だから英雄は旅をした

涼風 鈴鹿

そして僕らの物語は始まった

邂逅


「君は、どうして生きているんだい? 」


 月も見えない新月の夜。

突然現れた窓からの来訪者はベッドに腰掛け自分を見上げる17歳程の少年に問うた。

 少年は目を凝らして来訪者の姿を見ようとするも、真っ暗な部屋の中、月光すら無いこの状況では相手の服装は愚か、顔すら分からない。

 せいぜい分かるのは、相手が自分よりも少し年上の女性であることだけ。


 そんな来訪者の問いに、少年は少し考え口を開く。


「皆が、それを望むから。僕もそれを望むから」


 答えたその目に迷いはなかった。

 答えたその声に曇りはなかった。

 それだけで、来訪者には少年の言葉が真実だと伝わった。

 ただ、その表情には少し、寂しそうな気配があった。


「よし分かった。ありがとう。

 じゃあね英雄君、また次の新月に逢おうじゃないか」


 そんな彼の答えに来訪者は笑顔で頷き、まるでドアから外に出て行くように窓の外の虚空へと足を掛けた。

 此処は屋敷の3階。当然道などある訳ない。

 その為、来訪者の姿は重力に従い窓の下へとスッと消える。


「何やってるの!? 」


 慌てて少年は窓から身体を乗り出し、窓の真下に視線を向ける。

 すると、


「ははッ、それが君の素か。そっちの方がいいじゃないか! 」


 来訪者の顔が目の前にあった。

 暗闇に目が慣れて来た事もあり、今度はその顔がしっかりと見えた。

 吸い込まれるような大きくて真っ黒な瞳に、綺麗に整った顔立ちと、後ろに真っ直ぐと流れるような長い黒髪。


「大丈夫、私は一度誓った約束は破らないさ」


 そう言うと、彼女を見つめる少年にニコリと笑って下へと降りていった。

 ハシゴやロープなど一切ない虚空を、まるで木の葉が落ちるようにゆっくりと。

 やがて地面に着くと、そのまま屋敷の外へと平然と歩いて行った。


 まるで変な夢でも見たような不思議な状況に少し混乱しながら、少年は再びベッドへ戻り目を閉じた。


 目を瞑ると、来訪者の笑顔が蘇る。

 こんな事は生まれて初めてだった少年は、初体験の自分の感情に少し悩みつつ、それと共に残った心地よさの中静かに眠りに落ちて行った。


***


 庭で小鳥のさえずる声と共に、少年の意識は覚醒した。現在の時刻は朝の6時。いつもの起床時間丁度だった。

 そのままベッドから起き上がり、近くに用意していた動き易い外用の服に着替える。

 着替え終えた所で扉がノックされ、「失礼致します」との声と共にふくよかなメイド服の女性が部屋の中へと入ってくる。


「おはようございます、英雄様。本日も素晴らしい朝でございますね」


 メイドはニコニコと笑い朝の挨拶を行うと、手にした一冊の手帳を開く。


「では、本日の予定に御座います。

 本日は8時より教会より教皇様が見られます。その後、9時より街へと赴き国民の皆様との合流。11時より14時に一度30分の昼食を挟み、16時まで学習の時間となります。

 本日の昼食には王女様御姉妹がお見えになられますので、楽しみでございますね」


 その後も、ギチギチに詰められたスケジュールをメイドは丁寧に読み上げる。

 其れを少年は頭に入れて、聞き終わった後で、


「本日も素晴らしい1日になりそうで、私もとても楽しみです」


 表面に貼り付けられた完璧な笑顔でそう言った。

 その裏側に表情など一切ないままに。


***


 それから約一ヶ月、いつも通り詰められるだけ詰められた日常を過ごして少年は布団へ入る。

 いつも通りの日常を終え、いつも通りの明日を迎えるためにいつも通りの時間に眠りに着く。

 ただ、本日だけは唯一違った。

 本日は新月、いつも通りが崩れる唯一の日。


「やぁ少年、約束通り逢いに来たよ? 」


 前回と全く同じ時間に、再び来訪者は窓の外から現れた。


「それにしても、この一ヶ月君のことを観察したけど、随分と窮屈な生活じゃないか? 

 そんな人生、楽しいかい? 」


 開口一番、来訪者はそう言った。


「楽しいですよ。皆が笑ってくれる。皆が喜んでくれる。それが僕の生き甲斐ですから」


 そんな彼女の発言を遮るように、少年は彼女の言葉を否定した。

 相変わらず来訪者の顔は見えない。

 それでも、少し寂しそうにしたのは気配で分かった。

 だけど、その理由が少年には分からない。


「そっかぁ……まぁそうなっちゃうよねぇ。

 それならまぁ仕方ない。


 じゃあこうしよう! 」


 来訪者は手をパンッと大きく叩いて


「一つ私と賭けをしようじゃないか」


 彼に提案をした。


「賭け……? 」


「うんそう。

 これから毎月、新月の日に私は君にこうやって話をしに来る。何、政治やら面倒の絡まない他愛無い世間話さ。

 で、その世間話で何か一つでも、君の心を大きく揺さぶる要素が有ったなら、勝負は私の勝ち。一つ私の願いを聞いて貰うってのはどうだい? 」


─英雄は賭けなどしない。

─英雄は他人の口車に乗らない


 染み込まされた心得が少年の頭の中を駆け巡る。

 こんな馬鹿げた話、考える間もなく否定するのが当たり前。


 そう頭では分かっていた。


「でも、それじゃ僕に得が無い。一体僕はどうやったら勝ちで、勝ったら何を貰えるんですか? 」


 それなのに、口は全く別の言葉を紡いでいた。


 英雄が『利』を求めるなど恥の行為だと散々言われて来たのにだ。


「そうだなぁ。

 じゃあ1年間にしよう。

 月に1回、次回から数えて12回。その間に私が勝てなかった場合は君の勝ち。

 君の願いを一つ叶えよう。

 それでどうだい? 」


─乗っては行けない

 英雄が賭けなどして良い訳がない。

 英雄が個人の益など望んで良い訳がない。

 英雄が人々の幸せ以外を願って良い訳がない。


 それなのに彼は、少年は、英雄は。


「分かったよ、乗ろう」

 

 来訪者の提案を受け入れた。


「よし、賭けは成立だ。

 じゃあ少年、来月にまた逢おう」


 そう言って振り返り、来訪者は外へと向かう。

 と思った矢先、


「あ、そうそう」


 何かを思いついたように再度振り向き、


「私の名前はライラ。

 君の名前はなんだい? 」


 何気ない来訪者、ライラの問い。

 その簡単な問いに対して少年は首を傾げた。


「何を言っているんですか? 」


 本当に意味が分からないといった表情。

 新月に隠され少し曇ったライラの顔など見えない少年は更に続けた。


「英雄である僕に、名前なんてある筈が無いじゃないですか」




 こうして、英雄と仕立て上げられた少年と、奇妙な来訪者ライラとの物語は幕を開けた。

 この数奇な邂逅が最後何処へと向かうのか、そんな事は誰も知らない。

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