第9話 神で遊ぶ
結局私は残った。帯広の温室の地下に深く引きこもり、深夜にトマトをもいで食らうのは諦めた。父が一人で北海道に去ったあと、私は市原の長谷部家に下宿することになった。魔女の名前は長谷部のの花。私はのの花先生と隆君と一緒に暮らし始めた。
「のの花、というのは野原に咲いている花のことですか」
「ののというのは神様や仏さまのことを言う幼児語らしいのよ。私の家は昔から女系でね。女が後を継いできたの。それでなぜか娘にののという名前を付けることが多かったらしい。神官の家だったからかな」
家は広い庭のある古い日本家屋で、神社にも隣接している。家の一部は和カフェ「木の葉」になっている。ここは木曜日しの午後1時から4時までしか営業しない。先生の姪のさつきさんが手伝ってくれる。メニューは抹茶セットのみ。
のの花先生は学校では月水金の週3回しか働いていない。そして和カフェが木曜日週1回。それでも神社の世話や家事は手が足りないし「木の葉」に出すお菓子は手作りなので暇ではない。近くに住む昔から長谷部の家を世話してくれる家の人に手伝ってもらっている。
「昔っていつごろからなんですか。おじさん」
「室町頃はもう仕えていたみたいだが、その先はわからんねぇ」
私は下宿すると同時に「木の葉」のウェイトレスになり、お茶のたて方も習い始めた。抹茶の飲み方に作法はないというのがのの花先生の考えで、とても気楽な茶道だった。私は新メニューに白湯セットを加えてもらった。何しろ神社の敷地の中に湧き水があり、この水がとてもおいしいのだ。
それ以外に神社の草刈り、家事全般を仕込まれる。何もできなかった私が社会の末端でうろうろすることになった。勉強もしている。学校には週1回通うコースにしてもらった。隆君も同じ日に登校してくれるので、いろいろ安心できる。学校では友達はできなかったが、何人か知り合いができた。それに「木の葉」の常連さん。適度な距離感を保てる人たちで。快かった。
神木には月に1度くらい泊まっている。お照さまの世話は私の係になった。この人は太陽神なのだが、孤独が好きなので、夜は木の洞に隠れている。日本の中にこの木のような神木が何本かあり、その夜の気分によって居場所を変えているらしい。
もう夢はあんまり見なくなった。それが寂しい。妄想も前のように激しくはなくて、適度にコントロールできるくらいで済んでいる。それでもいつも並列思考はしている。2重の世界を生きていても、片方がのの花先生や隆君とつながっている現実世界だとはっきりわかっているので、普通に生きることができている。もし北海道に行っていたら、前よりもっとひきこもっていただろう。どちらがよかったのかはわからないままだが。
勉強ではのの花先生から『更級日記』を1冊最後まで読み切るという課題を与えられ、学校で1年間かけて読んだ。少しずつ朗読して現代語に直していく。先生はのの花先生。生徒は私だけ。私が妄想を満開にして感想を言っていく。
その中で作者が不倫の恋愛をしている場面があった。中年貴公子。会ったのは2回。すでに作者は結婚している。体の関係があったかどうかは微妙である。もし契っているなら、最初は3Pである。妄想では何回も契っているが、史実はわからない。
でも魂の交流はある。男は冬の思い出を語るのだ 問題は私の雪原の男の夢と被ることだ。心の深いところにしまわれた私を見つめていた男が蘇る。一瞬だけ輝いた水晶のような町に住んでいる男。私が選ばなかった男だ。更級日記の作者もこの貴公子を選ばなかった。選ばなかったけれど、忘れることもなかった。多分夫よりも深く魂のつながった男だ。それは体を許す以上に不倫だと思う。
更級日記の作者にはもう一つ気になることがある。鏡を作ってあるお寺に奉納する。わざわざ僧侶に頼んで夢のお告げを聞きに行かせている。それはいい。ただこの僧侶は二つの夢を見て帰ってくる。豊かに成功し幸せになっている未来と、侘しく不幸なになっている未来。二つの夢を見ている。
なぜ?私の経験したことは更級日記の作者のコピーなんだろうか。それだけじゃない。この人アマテラスのお告げまで受けている。アマテラスって、私が世話を任されたお照さまよ。
市原が国府のあったところで、更級日記の作者がここで過ごしたことは知っている。もし神様がいるならいたずらが過ぎる。私の運命で遊んでいるの?
「先生、私、神様にもてあそばれているんですか」
「神様があなたをもてあそぶなら、あなたも神様を遊べばいいのよ」
「私あまりにも似ていますよね。更級日記の作者という人と」
「まあ白湯でも飲んで落ち着いたら」
「神様で遊ぶってどうすればいいんですか」
「私の家系は、昔から夢解きを仕事にしてきたのね。それが神様で遊ぶっていうことかな」
「夢解きって、見た夢を解釈することですよね。私そんな力ないと思います。自分の見た夢の意味さえまだ分からないし」
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