第8話 市原の大仏
2年かかる。私が高卒の資格を得るために。ただ前の学校は土曜授業まである学校だったので、単位は1年生でたくさんとっていて、その分かなりゆったりしたカリキュラムで卒業資格とれそうだった。それに隆君と一緒に卒業すれば、登校して行事をこなすことも楽そうだった。
この人、森の香りがする。居酒屋の2階という臭そうな場所なのに。世界樹があるの?世界樹がどんな清浄な香りかわからないが、この人は人工の香水の香りはすべて消して、神秘的な香りで空間を浄化している。私のおしっこの匂い届いていないといいけど、でもこの人にだったら匂い嗅がれてもいいような感じがする。
「木の中で何かにとりつかれたんですね。私も袋被って生まれてきた人間なので、行基の亡霊ですね。とりついたの。私に大仏作れって言いに来たのかもしれないです」
関東の大仏は鎌倉にもうあるが、あと2,3個はあってもいいと思う。
「奈良の大仏はもう市原にあるから。大仏じゃない。どちらにしても情報がすべて出そろってから決められることじゃないから。神秘的な世界へ行くか。現実世界で生きるか。近々に選ばなければならないわね」
市原にも大仏はあるのか。だとしたら私が市原でできることって何かしら。2つの目の夢は私に何をしなさいと言っているのかな。無意識に私は市原に住む未来を想像している。
「もしこっちを選んだら、私一生後悔すると思います」
あの黒い影のような男はたぶん私を愛していた。いや愛することになるはずだった。それが直感的にわかる。
「北海道選んだら、後悔はしない?」
隆君と魔女との出会いを捨てたら、後悔はすると思う。この人たちは近くにいても嫌にならないごく稀な人だ。私は運命を信じている。そして孤独なのは運命だと信じていた。それが初めて孤独ではないと言っている。
「大木に封印された私をじっと見ている人がいました。その人の住んでいる小さな都市に冬の雨が降って、水晶の街が出現して、そこに一瞬光が差すんです。あれで私、刺されたんです。その人が本当にいるかもしれない」
北海道の帯広のそばにその人が住んでいるというのが私の確信。激しいドラマが始まると思う。私にそれを捨てられるのか。こちらを選んだら、そう隆君を選んだら、あるのは穏やかな人生だ。こんな無価値の私が選ぶことのできる最高の幸福。
「でも現実にあなたが会ったのは隆だった。隆じゃ駄目だった?あなたと隆はいろんな面で似ていると思う。妄想と確率論は同じことの表と裏かもしれないと思うし」
「私、いつもの私じゃなくなっているんです。何かおかしくなっていて」
「あなたにとりついたのは、悪霊?それともいいものなの」
お照さま。多分アマテラス。夜だけはここに居る。そして私を抱いてくれる。それは多分悪霊ではない。そして行基が私のためにこの木の洞を作って待っていてくれた。
「雪の中の巨樹から私を遠ざけるという意味では悪いものです。でも」
「でも?」
「でも私がしゃべっている、話すことのできている相手。隆君と先生。こんなに話せた人、先生は現実世界の人なんですよね。そういう人がいるのが不思議で」
「それはね、私にも同じなのよ。多分隆にも。あの子、友達出来ない子だから」
「でもこちらの出会いを続けたら、北海道にいるあの人は遠くなる。本当に愛した人と、私は結ばれてはいけないんですか」
「一生理想の男性に憧れ続ける。冬の森や、朝の水晶の街を忘れない。忘れないけど、でもそれとは違う現実の生活も送っている。笑えるくらい平凡な男と、地味な仕事」
迷いはある。行き止まりだと思ていた人生に、急に2つの選択肢が与えられたのだ。
「隆君は天才だから、平凡ではないと思います。ただ私、それを選んだら孤独であり続けると思います。私がまだ会っていない男のことを忘れないとしたら、隆君は私を愛せないと思うし」
「本当に怖れるべきなのはね、自分は孤独ではないと信じてしまう時の方かな、そう思う時の方が人生は危険なの。痛い目にあったおばさんからのアドバイス」
先生は今は独身。ということは隆君のお父さんとはもう別れているんだ。どんな人生のドラマがあったのか、私が知る必要のないことだが、誰もが痛い目には会うんだ。
「私、決められないです」
「どちらを選んでもいいから賭けなさい。取り返しはつかないけれど、後悔することはできる。そうやって生きるしかないのよ」
「いつですか?私がここに入学するとしたら」
「4月入学が良いと思う。待っているわ。私が面倒は見る。住む場所も。私はもしかしたらあなたを待っていたのかもしれないし。1200年」
世界と妥協できる唯一のチャンスだと思った。これを逃したら、私はこの世では生きられないのだろう。
「甘えてもいいんですか?」
「御神木の洞であんな夢を見た人だから、私も無縁ではいられないの。行基さんはあなたのためだけに袋をあの木に置いたのかもしれないしね。1200年前に」
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