片想い相手の筆頭魔術師様が《死の呪い》にかかりました

紫陽花

第1話

「筆頭魔術師ギルベルト・エッフェンベルクが《死の呪い》にかかっているらしい」


 遠征の仕事が終わり、1か月ぶりに魔術塔に帰ってきた私は、そんな噂を聞いて愕然とした。


 ギルベルトは、国内最高峰の魔術師が集まる魔術塔において、弱冠二十歳で "筆頭魔術師" として認められた天才だ。


 魔術塔に入る前のアカデミー時代も、他の追随を許さない実力で生徒たちの頂点に立ち続け、そのまま首席で卒業した。


(そんな正真正銘の天才魔術師であるギルベルトが、《死の呪い》にかかっているですって……?)


 アカデミーでは同期として彼を一方的にライバル視していた私は、あまりにも信じがたい話に眉をひそめた。


 彼に解けない呪いがあるなど考えられない。

 

 しかしギルベルトは、二週間前に地下倉庫から見つかった「死の呪い」と記された呪具を調べると言った後、部屋にこもったまま姿を現さなくなってしまったという。


(私が遠征に出かけている間にそんなことが起こっていたなんて……)


 ギルベルトの部屋がある塔の最上階を見上げながら、思わず溜息が漏れる。


 すると、ふいに肩に手を置かれ、私は驚いて振り返った。


「──なんだ、エーリヒだったのね」

「遠征お疲れ様、アウレリア」


 そこにいたのは、アカデミー時代の同期エーリヒだった。


「溜息なんか吐いて、どうしたんだい?」


 当時から面倒見のいい彼は、珍しく黄昏れた様子の私を見かけて声をかけてくれたらしい。


 せっかくなので、ギルベルトの呪いについて彼に聞いてみることにした。


「さっき、《死の呪い》の噂を聞いたのよ」

「ああ、ギルベルトがかかったっていう呪い?」

「そう。あなたは何か知ってる? ギルベルトは大丈夫なの? タイムリミットはあるのかしら?」


 勢い込んで尋ねると、エーリヒは「そうだなぁ……」と顎に手を添えながら答えてくれた。


「僕もギルベルトが心配で何度も話を聞きに行ったんだけど、一言も会話してくれないから呪いのことは全然分からないんだ。でも、あのギルベルトが二週間経っても解呪できないってことは、相当に難解で複雑な呪いなんだろうね」

「……そうね。もしくは、解呪の条件が厳しすぎるとか」

「たしかに、それもあり得るね」


 エーリヒがうんうんとうなずく。


「そうだ、アウレリアは明日忙しい?」

「ううん。遠征明けで一週間の休暇をもらってるから暇よ」

「じゃあさ、明日一緒にギルベルトのところに行ってみようよ。僕じゃなくてアウレリアだったら、ギルベルトも話してくれるかもしれない」


 エーリヒがにっこり笑って提案する。


「わ、私なんかに話してくれるかしら……」

「何言ってるの。アカデミー時代から、君はギルベルトの唯一の話し相手みたいなものだったじゃない」

「それは、私が一方的に突っかかっていくのを相手してくれていただけで……」


 そうだ。

 いつもギルベルトに及ばず、万年2位という屈辱を味わわされていた私は、いつか彼に勝ちたくて死に物狂いで努力していた。


 ある時は彼の魔術の技を盗もうと陰から観察し、ある時は彼を待ち伏せて「次こそ勝つ」と宣言し、またある時は素直に指導をお願いして……。


 初めは面食らっていた様子のギルベルトだったが、次第に苦笑を浮かべながらも私に教えてくれるようになった。


 いつもギルベルトの背中を追いかけ、彼の姿を見つめ続けるうちに、気づけば私は恋に落ちていた。


 誰よりも優れた天賦の才を持ちながら、誰よりも努力を惜しまないギルベルト。

 そんな彼を知って、好きにならないわけがなかった。


「……明日、一緒にギルベルトのところに行くわ」

「うん! ありがとう、アウレリア」


 明日の待ち合わせを約束すると、エーリヒは自分の塔へ戻っていった。

 手を振って見送った後、私はこぶしをギュッと握りしめて決意を固める。


(ギルベルトが死んでしまうなんて絶対嫌よ。私が必ず助けてみせる)


 私だってアカデミーでは次席で卒業し、この魔術塔でも一目置かれている存在。きっと彼の役に立てるはずだ。


 ──と、ふいにどこかから視線を向けられているような気配を感じた。


(……? 何かしら。誰もいないみたいだけど)


 エーリヒが去った後、この裏庭には私ひとりきりだ。

 

(遠征明けで疲れてるのかもしれないわね。早く部屋に帰って休みましょう)


 私はギルベルトの無事を祈りながら、裏庭を後にした。



◇◇◇



「じゃあ行こうか、アウレリア」

「ええ」


 エーリヒと待ち合わせた私は、そのまま二人でギルベルトの部屋のある塔へと向かう──つもりだったのだが、なんとなく違和感を覚えて立ち止まる。


 また昨日と同じ視線を感じ、パッと植え込みの辺りに目をやると……。


「えっ、ギルベルト!? どうしてそこに!?」


 なんと、植え込みの向こうにギルベルトが立っていたのだ。


 青みがかった黒髪が風に揺れ、銀色の瞳が真っ直ぐにこちらを見つめている。


「ギルベルト! 部屋から出てきたってことは、呪いはもう解けたの!?」


 私は急いでギルベルトのそばへ駆けつける。


「本当に心配したんだから……! 身体に異常はない? 見えないところに呪いの痕が残ってたりすることがあるから……」


 念のため、きちんと確かめようとギルベルトの腕を取り、ローブをまくる。


 すると、ギルベルトは私との接触を拒むかのように勢いよく腕を引き上げ、後ろへと距離を取った。


「ど、どうしたの、ギルベルト……? まさか、呪いはまだ解けていないの?」

「……」

「ねえ、私にも呪具を見せてちょうだい。あなたほどじゃないけど、私だって高位の魔術師だもの。何か役に立てるかもしれない」

「……」


 ギルベルトを助けたくて手伝いを申し出るが、彼は無言で目を逸らす。


「ねえ、ギルベルト。私はあなたに死んでほしくない。絶対になんとかしてみせるから、お願いよ。こっちに来て、返事をして」


 しかし、私の必死の訴えにもギルベルトは答えることなく、最後には背を向けられてしまった。


 彼から、私など不要だと拒絶されたみたいで、胸に棘が刺さったような痛みを覚える。


「……ごめん、私なんかがお節介だったよね。でも、本当に力になりたかったの。それだけは分かって」

「……」


 ギルベルトは私の声が聞こえているはずなのに、何も言わない。


「無視は、しないでほしいな……」


 好きな人からの冷たい反応に、さすがに耐えきれず声を震わせる。


 すると、近くで私たちの様子を見守っていたエーリヒが、突然こちらへとやって来た。


「ギルベルト、その態度は酷いんじゃないか」


 名指しで咎められたギルベルトは、エーリヒを振り返って睨みつける。


 彼の鋭い眼差しに怯むことなく、エーリヒはなおもギルベルトに意見した。


「アウレリアは君のことをすごく心配していたんだぞ。それなのに君はあんな冷たい態度で無視までして、恥ずかしくないのか!?」


 エーリヒの言葉に、ギルベルトはこぶしを強く握りしめる。


(反論でも何でもいいから、ギルベルトと会話ができたら……)


 心の中でそう願ったが、彼は苛立った様子で顔を背け、そのまま私たちの前から立ち去ろうとした。


「ギルベルト……!」


 私の呼びかけにも、彼は答えてくれない。


 遠ざかっていくギルベルトの背中に向かって、エーリヒが怒鳴った。


「ギルベルト! いいんだな、僕が奪っても?」


 エーリヒの言葉に、ギルベルトが立ち止まる。


「え、奪うって何?」


 話が分からず小声で尋ねると、エーリヒも小さな声で「ごめん」と返し、それからまたギルベルトに聞こえるような声で私の名前を呼んだ。


「アウレリア。実は、君のことが好きだ。あんな冷たい男のことなんか放っておいて、僕と付き合ってくれないか?」


 時が止まったかと思った。


 どうして急に愛の告白?


 事態がまったく飲み込めず、私はエーリヒの淡い緑色の瞳を見つめ返すことしかできない。


 辺りは静まり返り、どこからか氷漬けにされてしまいそうなほどの冷気が漂ってくる。


「あ、あの、エーリヒ……?」


 戸惑う私にエーリヒはにっこりと笑って、さらに愛の言葉を紡ぎ続ける。


「大丈夫、僕が君を幸せにするから安心して。ギルベルトは魔術にしか興味ないみたいだから、本人の好きにさせておこうよ。もしかしたら彼も君に気があるのかなと思ってたけど、僕の勘違いだったみたいだ。だって好きな子にあんな態度をとるなんてあり得ないよ。ほら、僕と一緒に行こう。今日から僕が君をたくさん甘やかしてあげるから」


 時折、挑発するようにギルベルトへ視線を向けるエーリヒ。


 告白を終えると、彼は私の返事も聞かずに手を握り、その場を離れようとした。


「エ、エーリヒ……!?」


 エーリヒが力強く引っ張るせいで立ち止まることもできず、私は混乱したまま彼についていく。


 しかし、そのとき。

 背後からギルベルトの慌てたような声が響いた。



「待て、行かないでくれにゅ!」



「!?」


 私とエーリヒはハッとして後ろを振り返る。


 普段クールなギルベルトが、顔を赤く染めながら、懸命に声を振り絞る。


「アウレリア、君が好きだにゅ! アカデミーの頃からずっと好きだったにゅ! エーリヒにも、誰にも君を渡したくないにゅ……!」


 必死な表情のギルベルトと視線が絡み、私は小さく声を漏らす。


「どうして……どうして、語尾が『にゅ』……?」



◇◇◇



 それからギルベルトは私たちに呪いのことを話してくれた。


 どうやら例の呪具は百年前の魔術師夫婦の妻が作ったもので、話す言葉の語尾が『にゅ』になってしまう呪いが込められているらしい。


 そしてどういう訳かその呪いをかけられてしまった夫が、今後同様の犠牲者が出ないよう、呪具に『死の呪い』と注意書きを残して封印していたのだそうだ。


「たしかにこれは《死の呪い》だね……」


 エーリヒがやや引いた面持ちで呟き、私もそれに同意する。


 もし人前でうっかり語尾に「にゅ」をつけて喋ってしまったら、社会的に死ぬのは間違いない。


 ギルベルトはその運命を避けるため、部屋に引きこもり、頑なに無言を貫いていたのだろう。


「すぐに解呪できると思っていたのに、どうやっても解けなかったんだにゅ……。こんな無様な姿など、アウレリアにだけは絶対に知られたくなかったにゅ。だが昨日、君とエーリヒが裏庭で親密そうにしているのが部屋から見えて気になってにゅ……。それでも言葉を発するのは躊躇ためらわれて黙っていたが、エーリヒに奪われると思ったら、もう居ても立っても居られなくてにゅ……」


 ギルベルトが苦しげに心情を吐露する。


 特殊な語尾にもだいぶ慣れてきた私は、彼も私のことを好いてくれていたという事実がただただ嬉しい。


 エーリヒとの仲を勘違いしているギルベルトの手を取り、にっこりと微笑みかける。


「ギルベルト、安心して。エーリヒとはただの友達だし、たぶんさっきの彼の告白も本心じゃないと思うから」


 私の言葉に、エーリヒもうなずく。


「うん、アウレリアと僕はただの友達だよ。さっきのは、君たちの仲がこじれそうなのが見てられなくて。あそこまでしたら、君も素直になれるだろうと思ったんだ。両片想いのまま終わってほしくなかったからね」


「りょ、両片想いにゅ……?」


 ギルベルトが驚いたように私の顔を見つめる。

 さっきまで不安と羞恥に揺れていた瞳に、期待の光が宿っている。


「ええ、ギルベルト。私もあなたのことが好きよ。アカデミーのときからずっと好きだったの」


「……!」


 ギルベルトの綺麗な銀色の瞳が大きく見開かれる。


「呪いが解けなくても構わないくらい、ギルベルトのことが大好きよ」


 長年の想いを伝えると、ギルベルトは嬉しそうに微笑んで、私を優しく抱きしめた。


「ありがとう、アウレリア。俺も君が大好きだ。誰よりも愛している」


 耳元で囁かれる甘い言葉がくすぐったい。


(でも、何かが足りないような……?)


 違和感の正体に気づいて、私は大きな声をあげる。


「待って! 語尾が直ってる!」


 私からの指摘に、ギルベルトも驚いたように返事をする。


「たしかに……。普通に話せる。なぜかは分からないが、助かった……!」


 これまで相当辛かったのだろう。

 ギルベルトの両目にはじんわり涙が滲んでいる。


「それにしても、どうして呪いが解けたのかしら?」


 喜ばしいけれど、あまりにも突然の出来事に私は首を傾げる。


 すると、エーリヒが「うーん」と唸ったあと、ぽつりと呟いた。


「もしかすると、真実の愛のおかげかもしれないね」


「「真実の愛?」」


 私とギルベルトの声が綺麗に重なる。


「うん。今、アウレリアはギルベルトに告白した。呪いが解けなくても構わないだなんて、まさに真実の愛だ。知ってのとおり、真実の愛は時に強力な呪いを解くための鍵となる。つまり、アウレリアのギルベルトへの愛が《死の呪い》を解いたんだよ、きっと」


「わ、私の愛が……!?」


 改めて言われると恥ずかしくて、かあっと顔が熱くなる。


 ギルベルトは、どことなく満足げな表情で頬を染め、うんうんとうなずいた。


「なるほど、きっとそうだ。アウレリアの愛が俺を救ってくれたんだ。君は俺の女神だ」


「女神!? 恥ずかしいからやめてよ、もう……」


 晴れて両想いになれたのは嬉しいけれど、すぐそこにエーリヒもいるのに恥ずかしい。


 抗議するようにギルベルトを横目で睨むと、彼はそれすら嬉しそうに笑うので、結局許すしかなくなるのだった。



◇◇◇



 それから、例の呪具はもう二度と哀れな犠牲者が生まれることのないよう、ギルベルトと私の二人がかりでなんとか解体した。


(でも、ちょっと勿体なかったかも……?)


 なんて勝手なことを考えていると、隣でコーヒーを飲んでいたギルベルトが悩ましげに溜息を吐くのが聞こえた。


「どうしたの、ギルベルト?」

「いや、エーリヒの奴がな……」


 眉間に皺を寄せたギルベルトが言うには、最近、エーリヒが遊びに誘ってくるようになって、誘いを断ると悲しそうな顔をして「どうしてもダメなのにゅ?」と言ってくるらしいのだ。


「あいつ、俺のことを揶揄いやがって」


 私は笑いをこらえながら、憤るギルベルトの背中を撫でてあげる。


「エーリヒはあなたともっと仲良くなりたいのよ。たまには遊びに付き合ってあげたら?」

「でも、そうすると君と過ごす時間が減ってしまう」

「私とはこれからずっと一緒なんだから、少しは友人付き合いもしたほうがいいわ。にゅ?」


 小首を傾げて同意を求めると、ギルベルトは顔を赤くして、こくりとうなずいた。


「……君が言うと可愛いな」

「ふふっ、あなたも可愛かったわよ」

「まさか。自分で聞いても気持ち悪かった」

「そんなことないわよ。私、あの可愛い語尾をまた聞きたいにゅ」


 上目遣いを意識してお願いしてみると、ギルベルトの顔がさらに赤く染まった。


「──わ、分かった……にゅ」


 恥ずかしそうに目を逸らしてお願いを聞いてくれるギルベルトが心から可愛くて愛おしい。


(あの呪いを自分の夫にかけた魔術師の気持ち、ちょっとだけ分かったかも)


 人前ではクールなのに、恋人には恥ずかしいお願いも聞いてくれるくらい甘くて優しい彼に、私はご褒美のキスをした。


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