…………3-(5)

「今日のショーはキャンセルになりそうだ」

 椎葉の言葉に、なつめは外の豪雨に溜息を吐いた。

 でも、椎葉の横顔を見て、笑みを浮かべた。椎葉は手術を決意すると、即座に迷うことなく、一番早い時期で手術を行った。術後の経過もよく、本人の強い意志によるリハビリで、驚異的な速さで松葉杖で歩けるまでになった。周りが驚くほどの回復だった。今は以前ほどの痛みもなく、やっと同行できるまでになった。まだ杖はいるが、楽しそうにマネジャーの仕事を熟している。

 マネジャーの椎葉、カメラマンの静流、衣装担当のユーゴがいるため、移動には運転手付きのバンがやってくるようになった。荷物も多いし、とても助かるが───。

 皆で食事を終え、深沢は大きく伸びをしながら、

「うーん、やっぱりな。警報も出てるし、この豪雨だ。誰も来ないだろう」

 椎葉はよく降るなぁと窓の外を眺めながら、

「天候が心配だからって、レッスン場を押さえてたんだけど、結果オーライだな」

「確か泊まれるって言っていたよな。ならこの雨だ。泊まっていくか」

「えっ、マジ?」

 なつめが嬉しそうに目を輝かせた。いつもとんぼ返りが多いため、ゆっくりする間もなく、慌ただしく帰っていた。ショーがないなら、深沢と二人きりで部屋で楽しめる。

「……っ…」

 嬉しそうに俯いたなつめに、静流が覗き込んで小さく呟く。

「エッチ三昧…」

「…違う!」

 静流となつめの光景を眺めながら、椎葉は可笑しそうに笑いを抑えている。

「そうだね。今回は、レッスン場には勿体ない場所を押さえたんだよ」

「勿体ないって…」

「洋館を一軒借りてるんだ」

「やった!」

 一番喜んだのは、静流だった。覗き見し放題だ。深沢は大きな溜息を吐くと、これは保護者を呼ばなければと、鷹東に即座にメールを送った。一件着ていたメールに気付くと、なんとなく嵐になりそうな予感を感じ、返信をした。

 

「あれ?俺、此処来たことあるな」

「貸スタジオだからじゃない?僕もここ来たことある」

 洋館の玄関前で、家を見上げてユーゴと静流は呟いた。玄関のドアを開けると、大きなワンホールがあり、真正面には立派な階段がある。床も輝いているほど磨き込まれていて、大切に管理されていることが伺える。

「これは、想像以上だな」

 深沢はホールをグルっと眺め、軽く踊ってみる。ちゃんとワックスまでかけてあることに、感心した程だ。

「よし、これは何もしないのは勿体ないな。次のリハに入るか」

「…うん」

 なつめは気を引き締めて頷いた。

 ユーゴは衣装ケースから、なつめの衣装を広げた。

「さて、新作の衣装だ…」

 チャチャチャの衣装は、青と白の少し長めのリリアン。背中のラインが大きく開き、ズシッとした重さに、なつめは眉間に皺を寄せた。パンツは、青に細い白のラインが入っているため、足長効果抜群。裾は両脇に半分スリットが入っている。サンバの衣装は、紫を基調としたクジャクの羽のような色彩。回転の度に、激しく動くように羽根とシフォンとリリアンがとても奇麗なものだ。ルンバの衣装は既に貰っていたが、実は着るのは今日が初めてだった。部屋のハンガーに掛けていつも眺めていた。

どれもとてもゴージャスな衣装だった。

「………」

 ユーゴはどうだと言わんばかりに、衣装ケースから取り出したが、誰も何も言わなかった。妙な沈黙に、ユーゴはじろりとなつめを睨んだ。

「おい、なんか言えよ」

「…うん。ありがとう。着替えてくる」

 衣装を持って、逃げるようにして二階の部屋へと駆け上がった。深沢はそんななつめの後姿を見つめ、大きな溜息を吐いた。

「俺も着替えてくるか…」

 ユーゴは納得がいかないように、舌打ちした───。

 ルンバの衣装に着替えたなつめを見て、ユーゴは満足そうに頷く。流れるルンバの音楽。切ないオルゴールと時計の秒針の音が、妙に心を揺すられる。何度も、見飽きるくらい二人のダンスを目にしてきた。これなら二人が並んで立ったら、皆が羨望の眼差しを向けるだろう。

「………」

 だが、なつめの動きがどうも可笑しい。その表情も余裕がない。前の衣装の時は、ダンスと衣装の調和がとても美しかった。なつめの動きに合わせて、衣装が舞うように流れ、その動きをより際立たせた。花が開いたほどの感銘を受けたが、この衣装で踊っているなつめは輝いていない。

「……チッ」

 腕を組み、厳しい顔で凝視する。他に何が違うのか?リリアンが激しく動くと、なつめのバランスが崩れた。あのステップからの倒立回転は、足が全く伸びない。見せ場のラインなら、きっともっと奇麗なはず。だが、深沢とのタイミングも合わない。気持ちがいいほど、ビシッと決まるポーズまでもがふらつく。

「……っ」

 何回か繰り返した時、ユーゴは視線を逸らした。

 音楽の途中で、なつめの動きが止まった。拳を握り締めると辛そうに俯いた。深沢は大きな溜息を吐き出すと、なつめの頭を撫でた。

「なつめ…」

「…踊れない」

 苦しそうに小さく呟く。

「思うように、楽しく踊れない…」

「………」

 ユーゴは嫌な感情に、視線を逸らしたままだ。でもそっと横目で周りを見ると、静流が怒ったように、ユーゴに受けてカメラをフラッシュしている。眩しさに、眉間に皺を寄せると、なつめが深沢の手を放した。黙ってみていた椎葉が椅子から立ち上がったが、深沢が制止する。

「なつめ…」

「もうやだっ!」

 なつめは背を向けて立ち去ろうとした。深沢の呼ぶ声にビクッと動きを止めた。

「…俺を信じろ!」

「信じてる!けど…」

 振り返ると、不安な表情で見る。この衣装はなつめから何かを奪っていくような感じがする。息が詰まりそうだった。その目から涙が溢れる。声もたてず、俯いて泣いている。

「なぜ……?」

 ユーゴは呆然と立ち竦した。その姿がどこか自分と重なって見えた。

 深沢は、部屋にかけられた衣装を眺める、なつめを思い出した。どこかユーゴの感情に引き摺られているような感覚はあった。一人でずっと不安を抱えていた。深沢は両手を広げ、

「ほら、こい…」

 なつめはゆっくり歩いて、深沢の前に立ち、そのまま腕のなかに隠れるように顔を埋めた。安心するように息を吐き出した。

「ユーゴに遠慮して、頑張り過ぎなんだよ」

「だって…」

 ユーゴが来てから、深沢と二人の時間が少なくなった。それが、少しずつなつめの心の不安を大きくしていた。いつも昔話をして、仲のいい所を見せられると、居場所を見失いつつあった。極めつけがこの衣装だった。ユーゴの気持ちに雁字搦めになって、深沢を取られるような錯覚が、限界を超えてしまった。時々見せる不安な視線を感じてはいたが、深沢はこんなにも追い込んでいたのかと反省した。

「…悪かったな。気付いてやれなくて」

「俺のせいなのか…」

 ユーゴは一生懸命作ったものを否定されたようで、力なく座り込んだ。

「なんなんだよ…」

 衣装を作っても楽しくない。何をしても、満足感が得られない。

「じゃあ、どうしたらいいんだ!」

 声を荒げれ言うユーゴに、静流が叫ぶ。

「よくもなつめ君を泣かしたな。だから、今のあんたじゃ無理だっていったんだ。自分のスランプを他人のせいにするな!」

「あぁ、くそ!」

 ユーゴは床に転がった。静流は側により、上からカメラ越しに眺めると、

「あんた、あの衣装作る時何考えていた?」

「なに…!」

「僕には静止した絵のように見える」

「───!」

 ガバッと起き上がると、深沢に守られるように立っているなつめを凝視した。以前の衣装は、潤子から送られてきた動画を見ながら作った。なつめの柔軟性に驚きながら、どれだけ限界を可能にできるのか、瞬間に繰り出される技に、どんなふうな世界を注ぎ込んだら、この花はより美しく輝くのだろうか。

「あっ……」

 今回は近くに居すぎて、技やポーズの瞬間を頭のなかに焼き付けてしまった。あの衣装は、ただ立っているだけの奇麗な衣装。何もない自分の存在を示したかっただけ。それでも、精魂掛けて作った事に変わりない。素直に認める事など出来ない。

「気に入らないなら、着なくていい」

 静流は目を吊り上げると、

「…なら、あんたあの衣装、自分で破ってみろ!」

「なに!」

「静流さん!」

 驚いたなつめは静流に駆け寄ろうとしたが、深沢がその手を掴んだ。

 ユーゴは静流を睨みつけると、そのきつい視線が、花枝の視線と重なった。

『自分で作った殻は、自分でしか破れないんだ。自分で限界を作ってどうする』

 遠い記憶が蘇ってくる。

「………」

 深沢の厳しい顔を見て、なつめは押し黙った。怒りの表情をしたユーゴは立ち上がると、なつめの側により、

「その衣装かせ!」

「でも…」

 深沢の顔を見あげると大きく頷いた。椎葉が持ってきたスエットに着替えると、なつめは深沢の後ろに隠れる。

 ユーゴはその衣装を見つめると、一瞬躊躇ったが、思い切って、でも綺麗に布目に沿って破り始めた。一週間もかけて作成したものだ。何がいけないんだ。どうしたらいいんだ。何度も投げかけながら、破り始めた。

「……っ…」

 ユーゴの頬を涙が流れた。拭いながら破っていくと、その手を深沢が止めた。背後になつめを連れたまま、穏やかに笑っている。

「まったく、やっとか」

「なにが…」

「今まで、泣きたくても泣けなかっただろう。花枝さんが亡くなった時も、去年百々さんが倒れた時も、悲しかった心配だったって、泣けば良かったんだ」

「……っ!」

 震えるユーゴの冷たくなった指を、深沢の温かな手で包まれた。笑いかけたユーゴは、悔しそうに顔を両手で覆った。

「あぁ、もうなんなんだよ。今度は涙が止まらない!」

 花枝が亡くなった時は、全部を受け止められなかった。本当の父親以上の愛情を貰った。仕事に対する全ての事も教えてもらった。その存在の穴はとても大きく、ユーゴの心はひび割れたガラスのような脆さだった。

 去年、百々が倒れた時、心が壊れそうになった。また、大切なものを失うのか。そればかりが頭の中を巡って、百々が無事に退院しても、夜眠れなくなった。一旦心配し始めたら、どんどん不安が膨れ上がり、雁字搦めになって身動きが取れなくなる。あの家から一歩でも出ようなら、百々が帰って来ないような気がした。暗闇のなかただ一人歩いているような状態だった。

 そんなユーゴの心に光を与えたのは、なつめだった。

『あの衣装が一番好きだ』

 幸せそうに笑った顔に、全ての不安が一掃するくらいの響きがあった。だから、その温かい光を求めて、呪縛から解き放たれるように、一歩を踏み出した───。

 深沢はユーゴの前に座り込むと、

「今日は思いっきり泣いてしまえ。とことん、付き合うぞ」

「なんなんだよ、お前は」

「お前の親友で、もうこのプロジェクトの仲間だからだ」

「勝手に決めるな…」

 涙を拭いて、可笑しそうに笑った。

 見守っていた椎葉が笑いながら、袋に詰めたビールを抱えてくる。どこから持ってきたのか、静流が一升瓶を抱えてきた。

「外は台風並みの雨だけど、楽しく宴会だ!」

 椎葉はおつまみを広げ、ユーゴにビールを数本渡した。

「キャンセルが返って良かったみたいだね」

「もう今日は思いっきり飲むぞ。みんなに絡んでやる。全部忘れてやる!」

「やったー!なつめ君、一緒に寝よう」

「それは駄目!」

 深沢の言葉に、静流はムムと口を尖らせた。

 途中から泣きくたびれたユーゴは、久しぶりに花枝の夢を見た。笑いながら、大きく手を振って、何かを叫んでいる。何を言っているのか分からないがきっと、

『良かったなぁ』だと思った。

 初心に戻ってみます。ユーゴはそう叫んでみた。今なら、変われそうな予感がした。


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