…………3-(4)
ユーゴが同居して一週間が過ぎた。意外と家事を全て器用にこなすユーゴの存在は、ある意味助かっていた。今日もリビングでダンスを踊っている深沢となつめを見ている。今はシチューを煮込んでいるので、優雅にコーヒーを飲んでいた。
「先生、その位置だとステップが間に合わない」
「そうだろうな、テンポがズレてる」
なつめのバレエで鍛え上げられた回転は速い。タイミングが合わないと速い分、止める深沢に付加がかかる。ある意味格闘技に見える場面もある程だ。もう何度も同じところで止まっている。
「あぁ、まただ…」
深沢にしがみついて、なつめが唸った。
ユーゴは肘を付きながら、
「なぁ…、なつめがもう一回余分に回れば、宗司の懐に入るんじゃないか」
ユーゴの言葉に、深沢は再度挑戦する。
「お、出来た!」
「ほんとだ!」
「なつめの回転が速すぎるんだよ。それなら、もう一回回れば、お前は構える事が出来るし、なつめはステップが踏めるってことだ」
「…お前、よく見てるな」
「おい。どれだけ毎日毎日見てると思ってんだ。曲も歌えるほど聞き飽きたくらいだ」
「まったくだな」
隣を見ると、なつめがソファに突っ伏して寝ていた。そっとタオルを掛けてやり、キッチン側の椅子を引いて座った。
「本当にダンス三昧だな。スタジオでも、家でも、ずっと踊ってるじゃないか」
「好きでやってるんだ、苦痛じゃないよ」
深沢にコーヒーを淹れ、冷凍庫のなかから手作りのアイスクリームを出す。
「お前、こんなものまで作ってるのか。時間あるんなら、スタジオに顔出せよ」
「………」
ソッポを向いたユーゴに溜息を吐いた。
ユーゴは窓の外へ視線を向けたまま、呟いた。
「…なんか、前にもこんなふうに一緒に暮らしたことあったな」
「あぁ、あの時か…」
ユーゴとの腐れ縁は長く、幼稚園からだ。会社経営と小さな妹で手一杯だった深沢の両親は、迎えに来るのがいつも遅かった。ユーゴは母親が病気で、乳母の百々が急いで走りながらよく迎えに来ていた。いつも遅くまで残っているのは二人だけ。小学校の時は一緒によく遊んだ。中学に入ると、ユーゴは父親の転勤で海外に行ってしまったから音信不通。それが、成人式の日に偶然再会してから、頻繁に連絡を取り合うようになった。
その時にはもう深沢はダンスにのめり込んでいたし、ユーゴは、花枝萬三に弟子入りしていた。惚れやすく飽きやすいユーゴの性格に、深沢はいつも愚痴ばかりを聞いていた。
そんな二人の関係が変わったのが、ユーゴの父親が亡くなり、深沢は哲を失った悲しみが重なった時だ。なんとなく、拒み切れなかった深沢は了承した。だが、付き合いだして三か月もしないうちに、ユーゴの師匠花枝が乗り込んできた。
『お前たちは
衝撃的な言葉だった。目を覚まされたような気がした。
「もしも、あのままだったら、どうなっていたかな」
「多分、お前は俺の目の前にはいない…」
「…だよな」
お互いに罵って傷つけあって、孤独のなか、今の地位にさえもついていなかったかもしれない。
ユーゴはシチューが出来上がったのを確認すると、ガスの火を落とした。
「そういえば、ここの冷蔵庫はなんなんだよ。高級食材ばかりストックして、ネットで頼むのか?」
「これだけ一緒にいて、そんな時間が何処にある?潤子が定期的に送り付けてくるんだよ」
「あいつか…。あれはもうお母さん的存在だな」
「最近、いや、ちょっと前かな。体調を崩したんだ。それから、更に拍車がかかってな。俺は飯さえあればいいんだが…」
深沢は手の込んだ料理は出来ない。和食が好きな為、ご飯を炊いて、おにぎりを作って食べる。おかずは至ってシンプルなただ焼くだけのもの。焼いた明太子や鮭など、魚が中心だが、加工された佃煮が数種類で満足だった。肉料理は基本外食ですませている。最近は、なつめが生野菜をちぎってドレッシングと混ぜるだけのサラダを作るようになったので、彩は綺麗になったが、
「いや、全く昔と変わらない食生活でびっくりだ」
「時々、なつめがレンジでチンしてるから…」
「チンチン電車かよ…」
呆れたような視線に、深沢は苦笑いを浮かべた。
「最近はな、沢山作って冷凍を覚えた…」
「呆れるような食生活だな」
「それでも、以前よりはかなり落ち着いた…」
寝ているなつめの横顔を愛おしそうに見つめた。
「だな……」
ユーゴはコップをシンクに置くと、肩を落とすように溜息を吐いた。
「お前は大丈夫なのか…」
「うん、まあな。ルンバの衣装は出来たよ」
「いや、ルンバの衣装はあのままでいい…」
競技会で着たあの衣装はとても気に入っていた。ルンバの曲とも合っている。舞台映えもするし、なんといっても、なつめとの一体感がほぼ理想に近い。全体的な完成度もかなり高かった。どこか遠くを見ているユーゴに、言いかけた言葉を飲み込み、深沢は諦めの溜息を吐いた。
今回、ユーゴに頼んだ衣装は、サンバとチャチャチャ。その出来栄えに一抹の不安を感じる。ユーゴは窓から広い空を見上げた。
「………」
そんな二人の会話を聞いていたなつめは薄目を開き、悲しそうに目を閉じた。
ナップサックを背負って、なつめは軽快に階段を一つ飛ばして下りて行く。口ずさむ曲は最近のお気に入りだ。イヤホンから流れているのは、アップテンポの曲に独特のリズム感。途中から切り替わるテレビゲームのような音楽、一度耳に入ると癖になるようなリズムに嵌まってしまった。この曲を聞いていたから、この曲で踊りたくて踊りたくて、深沢に相談してみた。
「先生…、あのさ…」
「お前が先生っていう時は、ダンス絡みだな」
なんとなく、心を先読みされたようで、ムっと頬を膨らませたが、
「仕事じゃなくてさ、この曲で踊りたいんだけど」
差し出したウォークマンを取ると、深沢はそれを持って、ステレオに繋いだ。ソファに座って目を閉じる。音楽が流れると、深沢の指がカウント取っている。
「………」
今度は手を打って、カウントを取り始めた。リモコンでリピートに設定すると、立ち上がって踊り始めた。深沢は弾む息を飲み込むと、
「面白いな、この曲」
「でしょ?」
「これはジャイブだな」
「ジャイブ?」
「あぁ、ジルバのカウントにaカウントが入るんだ。分かりやすく言うと、タタタッタタタッタンタン、タタタッタタタッタンタン。一番体力消耗するし、競技会でもこれが一番最後にあるんだ。ハード過ぎて地獄の苦しみだ…」
深沢は眩しそうに、なつめの目を見ると、
「そうだな。気分転換にやってみるか。ジャイブとパソもそろそろ本格的に、レッスン始めようかと思っていたしな」
「ほんと?」
なつめは目を輝かせて喜んだ。ベーシックは叩き込まれているが、ショーの種目に入れるには、まだまだ了解が出ていなかった。今の目標は五種目制覇だ。
先日、深沢の命名ジャイブもどきが完成した。珍しく前半は深沢と向き合って、鏡のように踊り、音楽の切り替わりに合わせて、組手のような絡みが入り、柔軟性と筋肉技の連発で、アクロバット的要素の強いものだ。深沢となつめの息がぴったりと合ったバリエーションに出来上がった。
「あれは楽しんでるだけだから、ショーにはならないけど」
なつめは含み笑いをした。
「…なつめ様」
呼ばれて我に返ると、直ぐ側に止まった高級車に驚いた。助手席の窓が開いており、なつめは一歩下がって、運転席を覗いた。
「あれ、ユーゴさんとこの執事さん?」
少し表情を和らげ、頭を下げられる。
「ユーゴさんなら、マンションにいますよ」
「はい。御用があるのは、なつめ様です」
「えっ、俺?」
助手席を指刺されると、手作りのケーキが並んでいる。確か、ユーゴの屋敷の掃除をしている人の手作りだとこの前言っていたのを思い出す。あっさりしていて、とても美味しかった。なつめは迷いもなく、後部座席のドアを開けた───。
当然連れて来られたのは、ユーゴの洋館だった。玄関側の花壇で、百々が車椅子に座って花を見ていた。
「あらあら、早かったこと…」
執事は大きな溜息を吐きながら、
「なかなか手強かったですよ。車で追い掛けるのは大変でした」
車のなかで、ケーキを食べながら、執事の大変な目を聞かされた。マンションからなつめが一人で出てくるのを、ずっと待っていたらしい。やっと出てきたかと思えば、身軽ななつめはフイと消えてしまった。ジョギングを掛けて、裏道を走った為、車で追い掛けるのは大変だったと、高齢の執事を虐めたみたいで、
「…すみません。まさか、付けられてるなんて思わなくて…」
「いいんですよ。こっちが勝手にしたことなんですから」
百々はゆっくり向きを変え、この前のテラスへと向かった。
「ボンが、ご迷惑をかけてないかしら」
「ユーゴさん?なんか申し訳ないくらい家政婦してくれてます」
「あらあら…」
百々は可笑しそうに笑った。
「新婚さんのお邪魔をしたら駄目ですよって言ったんですけど、言い出したら聞かないもので」
「えっ、新婚?」
意外な言葉に真っ赤になった。そう思わない事もなかったが、他人から言われると恥かしかった。
「…えっと。それで御用って」
話を変えると、百々は微笑みを浮かべたまま、
「ボンがこの家から離れたのは、本当に久しぶりなんですよ。それも自分から…」
師匠である花枝が亡くなってから、受け継いだスタジオにも頻繁に行かなくなった。初めは思い出すのが辛いのかと思っていたが、それだけではないようだった。仕事に対する情熱のようなものまで、失われたように見えた。
深沢に相談してみると、あいつが自分から行動を起こさないと、何も変わらないと言われ、ただ見守り続けた。
「宗司様は、なんだか随分落ち着かれたような感じでしたね」
「そうですか」
「いい関係を築いておられです」
褒められたようで、恥かしそうに笑った。風がそよぎ、なつめの茶色の髪が揺れる。浮かべた笑みは、見ている者を幸せにするような穏やかさを秘めていた。百々は眩しそうに見つめる。
なつめは唇を嚙むと、心のなかに湧いた不安がつい漏れてしまった。
「…二人は仲がいいんですね」
驚いたようになつめの顔を見上げ、強く握り締めた拳の上に優しい手を重ねた。
「不安にさせてしまったようですね。…でも、宗司様を信じてあげて下さい」
優しそうな目を見て、なつめはちょっと詰めた息を吐き出した。
「…分かりました。信じます」
「良かった。なつめ様は…」
「あ、様は止めてください」
「では、なつめさん。今日お呼びしたのは、私のね、我がままを聞いて下さる?」
「……?」
百々が大切そうに差し出した写真を見た。それはバレリーナと並んで撮ったものだった。嬉しそうな百々の隣で、そのバレリーナも楽しそうに笑っていた。珍しい写真に思わず、食い入るように見つめてしまった。
「………」
「私は、バレエを見に行くのが唯一の楽しみで、なかでもこのプリマの大ファンだったの。初めての舞台からずっと観ていたわ。もう引退してしまったけど…」
なつめは写真を暫く見つめ、そっと立ち上がった。軽く体操をすると、テラスの向こうの芝生の上に立つ。
「百々さん、俺も心のなかに大ファンの人がいて、その人が俺の誕生日にいつも踊ってくれたんです。小さい事はそんな踊りじゃなくて、ケーキを早く食べたかったんですが」
百々は可笑しそうに笑っている。
「でも、いつからか、その思い出は大きくなって、心に残ってるんです」
スッと背筋を伸ばすと、両腕を開き、右腕を翳した。ほんの五分くらいに集約されたバレエを踊り始めた。何千回も観て、そっくりに覚えた母の踊ってくれたプレゼント。指一本の動きまで、そして母の癖のような首の傾げ方まで、全てコピーした。
いつの間にか、執事が携帯で録画していた。
「…はい。こんな感じです。えっ、どうしたんですか…?」
なつめは慌てて、百々のもとに駆け寄った。
「…っ、違うの違うの。本当にそっくりで、それもこんな目の前で踊ってもらえるなんて、嬉しくて嬉しくて…」
涙を拭いている百々に、なつめはおろおろするばかりで、その場に座り込んだ。
「百々さん…」
「なつめさん、ありがとう」
百々が喜んでくれるものを考えていると、あっと思い出す。携帯を取り出した。
「百々さん、これを見てください」
毎年母と撮っている写真だ。百々はそれをじっくりと見て、嬉しそうに目を細めた。
「あぁ、やっぱり…」
「はい。
「こんな偶然があるなんて…」
「本当に。俺は母のそんな楽しそうな写真を見たことがありませんでした。だからお礼に…」
本当はばらすと怒られるんだが、なつめは百々が好きになっていた。
「また、遊びに来ていいですか?」
百々は幸せそうに笑った。
「ぜひ来てください」
やっと笑った百々にホッとした。帰ろうとしたなつめに、百々は悲しそうな顔で呟いた。
「なつめさんだからいいますが…。ボンがこの家から出なくなった理由の一つは、私のせいかもしません」
「……えっ…」
なつめは後ろ髪引かれる思いで、ユーゴの家を後にした───。
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