…………3-(6)
ベッドの上に起き上がり、寝惚けたままで頭を掻いた。夜通し飲んで喋って、なんだか気分がすっきりした。あんなに喋ったのも久しぶりだ。お陰で喉がカラカラだ。一番始めに潰れたのは、確か深沢だった。早々になつめが部屋に連れて行った気がする。
「うーん…」
一体、誰がこの部屋まで運んでくれたのだろう。そっと隣を見ると、誰かが布団に潜って寝ている。まあいいかと、部屋を出て行く。
「喉が渇いた…」
廊下に出ると、向かいの部屋から、静流が出てきた。
「よぉ、お前随分と爽やかな顔をしているな」
「みんな弱い弱い。クックッ、お酒は水と一緒…」
可愛いな顔して酒豪とは恐れ入る。
「僕も喉が渇いた…」
「下に何かあるだろう…」
揃って、一階のホールへ向かおうとしたら、音楽が流れている事に足を止めた。
「………」
静流は急に真剣な顔で聞き耳を立てている。振り返ると、直ぐ様部屋へ戻り、カメラを手にして走り出した。
「この曲は聞いた事がない!新曲だ!」
目を輝かせて、玄関ホールへ降りる階段ではなく、裏口の階段へと消えた。その身の熟し方は、日頃のぽうとしている同一人物とは思えない。
「あいつ、本当にウサギの被り物したおおかみだぜ」
ユーゴも、ふと何か思うところがあり、裏口の階段へと向かった。音楽がどんどん大きくなっていく。そういえば、時々あの二人が口ずさむ曲に似ている。
既に、静流は見つからないように、ドアの隙間からカメラのレンズだけ覗かせている。ユーゴに気付くと指で合図する。静流の反対側のドアの隙間から覗いた。
深沢となつめが同じ白のTシャツに、黒のスパッツっていう軽装で、何かのステップの相談をしている。なつめが頬を膨らませると、その唇に軽いキスをする。単なるイチャイチャじゃないかと、静流を横目で見ると、そこには本気のカメラマンの目があった。
ユーゴは直ぐに、ドアの隙間から二人を除く。
再度、リバースで掛かり始めた音楽に、深沢となつめが踊り始める。
「……ッ!」
軽やかなリズムに、ドラムの音が加わると、二人のステップが激しくなる。組むわけではなく、少しの狂いもなく、ぴったりと合っている。これは合わせてるもんじゃない。お互いを感じ合ってるような、息遣いも一緒、手の動く方向や体の向きは左右対象になっている。
またリズムが変わると、珍しくお互いで向き合って、全く同じステップに、回転の速度も合わせている。どんどんなつめのいつも澄ましている、あまり感情を露わにしない顔に、笑みが浮かべて、楽しそうに深沢を見る。
「ほら、もっと笑え!」
「もう!」
リズムが切り替わり、ゲームのような音楽に、見ているこっちまでも同じようにリズムを取っている。
「行くぞ!」
「今度こそ、絶対負けない!」
軽くフットワークすると、二人の手が絡み合う。激しいステップと分かる程、服の擦れる音がする。なつめの柔軟技の連発で、組手のようなぶつかり合い、激しい息遣いに、それでもまだこれでもかって程の、アクロバット的要素が盛り沢山だった。思わず、見入ってしまった。
「───!」
その時、ユーゴの心の中を突風が吹き抜けていった。
ホール一面に飛び散った白い羽根。ゆっくりとした時間が過ぎていくなかで、なつめの幸せそうな笑みに心を奪われた。凍っていた心が解けていくような、誰かの幸せを同じように感じる。心が温かくなっていく。
その時、一枚のイメージが浮かんだ。
「あっ……!」
思わず口を手で塞いだ。なつめの衣装が透けて見える。
ユーゴの変化を感じると、静流はニヤッと意地の悪いを笑みを浮かべた。同じ芸術家なら、あれを見て何も感じないわけがない。静流は、夢中になってシャッターを切った。
ユーゴは舌打ちすると、
「あぁ、スケッチブック持ってくれば良かった」
今のイメージを忘れないうちに、残してしまいたいのに。
「はい、どうぞ」
「………」
目の前に出された新しいスケッチブックに、目を瞠った。隣には、眠そうな尾方が立っていた。
「お前、どうして…」
「深沢さんから連絡を貰っていたんです。豪雨で遅くなって、着いたのが皆さんが潰れた後だったんで、誰もドアを開けてくれなくて困りましたよ。此処のオーナーが来なかったら、夜通し外でしたよ」
「オーナー?」
「それよりも、早く描かないと消えちゃいますよ」
ユーゴは座り込むと、必死にデザインを描き始める。何枚も描きながら、何枚かは迷いもなく破り捨てた。側で尾方はそのデザインに釘付けになった。
「……っ!」
「スランプ解禁出来そうなほど、素晴らしい作品だね」
ユーゴは顔を上げると、鷹東が同じように側に座り込んで見ていた。
「オーナー?」
鷹東は笑いながら、
「僕が此処に来た時、皆潰れていてね。彼と二人でそれぞれ部屋に運んだんだよ。大変だったよね」
「あぁ、すみません」
「いやいや、何か吹っ切れたようだね」
「はいっ……」
「君は此処を覚えているかい?」
「何度か、師匠が使ってましたよね…」
鷹東は穏やかな笑みを浮かべ、
「元々、此処は花枝の別荘だよ」
「………」
「今は僕が預かり、貸スタジオにしてるけどね。君は花枝との思い出の場所を避けてるようだったから。でも、今の君の顔を見ていたら、もう大丈夫かな」
ユーゴは夢のなかの花枝を思い出し、大きく頷いた。
雰囲気ががらりと変わったユーゴに、尾方は嬉しそうに目を細めた。何人かはスタジオを後にした者もいた。でも、今残っているメンバーは、ユーゴの再起を信じて、ずっと頑張ってきた。今のユーゴを見たら、きっとみんな喜ぶだろうと、込み上げる思いを堪えた。
ユーゴは立ち上がると、思いっきりドアを開いた。
「はいそこ、イチャイチャしない」
「……っ!」
いきなり乱入されて深沢となつめは、驚いて飛び上がった。びっくりしたなつめは慌てて、深沢の後ろに隠れる。
「なんで、みんなして隠れて見てるんだ」
「んもう!いい所だったのに!」
静流がギャンギャン喚く。ぞろぞろと苦笑いしながら、鷹東と尾方、椎葉までも頭を掻きながら現れる。
ユーゴはなつめの前に立つと、
「…悪かったな。俺のイメージを押し付けたようで、確かにあれは、お前らの世界観とは違った。だから、もう一度時間をくれ」
頭を下げたユーゴに、深沢はその目に以前のような輝きを見た。ただ、純粋に誰かを幸せに出来る衣装を作りたい。あの頃ユーゴはそう語っていた。
「お前以外に頼む気はないって言わなかったか?」
「宗司…っ」
ユーゴは込み上げる笑いを抑え、
「今のを踊り続けろ!なんかイメージが湧くんだ」
「───!」
深沢となつめが顔を見合わせ、吹き出すように笑った。誰かがこのダンスを見て、楽しんで元気になってくれたらいいな。そう思って、創り上げた作品だ。
「さっさと、早く踊れ!」
ユーゴはそれから数時間、真正面を陣取り、椅子に座って、デッサンし続けた。ペンの音が止まり、溜息を吐き出すと、目の前には深沢となつめが床に転がって寝ていた。
「そろそろお昼だよ。食事にしよう」
鷹東はエプロンを外すと、静流はサンドイッチを加えて、なつめの頬をつついている。
「なつめ君は、人の心を温かくする何かを持っている。いい子だよ」
「宗司が選んだ理由が分かりました」
「君のこれからを楽しみにしてるよ」
鷹東の言葉に、ユーゴは頭を下げた。
二人の世界観を共有しながら、ユーゴはなつめが光輝く衣装を作り上げた。その衣装は、二人のショーダンスの素晴らしさと共に大絶賛された。
マンションのユーゴが使っている客間で、なつめはユーゴと衣装の採寸の話をしていた。ふと気になっていた事を思い出した。
「ユーゴさん、そういえば。百々さんに連絡しましたか?」
「あ、いや…」
渋るユーゴに、困った視線を向けながら、
「百々さん、ユーゴさんがこの家から離れないのは、自分が倒れたからだって、自分を責めていたから」
「───!」
「ごめんなさい。立ち入った話だから、俺がいうことじゃないけど」
ユーゴは押し黙ったが、首を横に振った。
「いやいい」
今なら百々がなつめに話した理由もなんとなく分かる。
「大切にされてるんですね…」
そう母親代わりの百々を大切に思っている。百々も執事もユーゴの家族だ。だから、倒れた時失うことの恐怖に苛まれた。離れている間が不安だったが、この仕事をやり遂げるまではと自分に鞭を打っていた。返って百々を悲しませてしまったのか。
「両想いですね…」
笑って言うなつめに、笑みが浮かぶ。
「まあな…」
「あ、そうだ。百々さんが、もし死ぬときはボンが帰ってくるまで生きてますって…」
「───!やめてくれ。縁起でもない」
ユーゴはげっそりと肩を落とした。
「なかなか、気持ちを伝えるって難しいよな」
開けっ放しのドアに持たれて、深沢が笑って言う。頂き物のシュークリームとコーヒーカップをお盆に乗せて立っていた。ユーゴは時計を確認すると、
「もうこんな時間か…早いな」
「お前、以前よりも仕事人間になってないか」
「あぁ、でもお前と一緒で…。好きでやってる仕事だ。苦痛じゃなくなったよ」
三人で立ったまま、コーヒーとシュークリームを食べる。
「でもな、お前…」
部屋中というか、廊下にまではみ出した裁断した衣装というか、布だらけで足の踏み場もない。この部屋も私物化して、大変な事になっている。
「お前らの衣裳部屋だろう…」
「うーん。何か違うだろう。そうだ。隣空いてるから、引っ越せよ」
「いやだ!なんで態々隣なんか…」
ピンポーン。ドアホンに三人して顔を見合わせる。玄関を見つめ、深沢は眉を寄せる。
「最近、来客多すぎるんだよ」
「ほんと多いよね。誰だろう?」
誰も動かない。このまま居留守を使おうかと思案していると、ドンドンとドアを叩く音がする。
「先生、居るんでしょ!さっさと開けてください」
「チ、尾方か…」
ユーゴが舌打ちすると、ゆっくり玄関のドアの前に立った。突然、携帯が鳴り響く。ユーゴは画面を見て、懇意にしている取引先を確認すると、
「ユーゴです。いつもお世話になっております。はい、はい、はい?…そうですが。え、え、え?」
ユーゴの驚いたような表情に、深沢となつめは視線を合わせた。なつめは慌てて玄関のドアを開けると、尾方が満面の笑みで立って、話してしてるユーゴを見上げた。
ユーゴは信じられないような視線を深沢に送り、顔を真っ赤にして、大きく頭を下げた。
「はい、はい…。ありがとうございます」
尾方は玄関のドアを閉めると、
「今日は朝から、電話が鳴りっぱなしです。ネット上に流された深沢ペアの衣装を作成したデザイナーは誰だって…炎上したみたいで。得意先からは、今後の依頼が急増して大変です…」
ユーゴは携帯を握り締めると、
『いいデザインだね。待っていたかいがあったもんだ。これからが楽しみだ。期待しているよ』
先程の言葉が頭から離れない。放心状態のユーゴに、深沢は肩を抱いて、
「良かったな…」
「あぁ…」
本当に嬉しそうな笑みに、なつめは釣られて笑った。
「それだけではありません」
「なに?」
「某スポーツ製品を扱っている会社から、タイアップの話が来ました。健康志向の影響で、動き易くて格好いいスポーツウエアのデザインをお願いしたいとの要望でした」
深沢は驚いたように、
「これまた、棚ぼただな」
「凄い…」
「本当に凄いです。先生の風がまた吹き始めました。頑張りましょう」
「…尾方」
ずっとユーゴの才能を見守ってきた尾方は、この幸せを噛み締めるかのようにユーゴを見つめる。
「さあ、忙しくなりますよ。さっさと仕事を始めてください」
「うわぁ、もうかよ」
もう少し感動の余韻に浸りたいユーゴは、深沢の後ろに隠れる。
「今まで、休んでいたじゃないですか」
「こっちは趣味だし…」
「我がまま言わない!」
廊下で言い合いを始めたユーゴと尾方に、深沢となつめはゆっくりゆっくりと下がり距離を取っていく。リビングのドアを開け、そろりっと静かに姿を消す。二人で視線を合わせると、ドアをぴったりと閉め、可笑しそうに笑いを堪える。
誰かの幸せがこんなにも心を温かくしてくれる。
深沢はドアに片手を付き、なつめを見つめる。頬に手を添えると、その唇をゆっくりと味わう。離れて行くのを嫌がるように、もっと深いキスをねだられる。指を絡めて、深沢の胸へと顔を埋めてくる。安心したような表情に、愛おしくて抱き締めた。ドアがカチッと音がして少し開き、なつめの背中に当たる。
「なにイチャイチャしてるんだ」
いい所だったのにと、渋々離れる深沢となつめは、大きな溜息を吐き出した。
「お前、もう帰れよ。いつまで居る気だ」
三カ月も居座られている。ずっと居ないにしても、三日に一度は此処に戻ってくるのだ。いい加減二人の時間を楽しみたい深沢は、冷たくあしらった。
ユーゴはそんな深沢の気持ちを読んだうえで、
「此処が気に入ったからな。ここでないと仕事の意欲が湧かないんだ」
断れないだろう理由で、居座ってやる。案の定、深沢はまた大きな溜息を吐き出した。手持ち無沙汰ななつめは、先程の温もりが恋しくて、そっと深沢の側に寄ると、甘えるように背後から抱き付いた。なつめの回された手を取り、正面から抱き締める。
その光景がユーゴの心を温かくする。
「そんな人の幸せを見て喜んでないで、自分の幸せ探せばいいじゃないですか」
「………!」
ユーゴは尾方を睨みつける。
「お前はさっさと帰れ!」
「先生!」
「あぁ、お前らうるさい」
深沢はなつめの手を掴み、ぐぃっと引っ張り、肩を抱いてソファに座る。二人の時間は少なくなったが、仲間と呼べる人が増えた。この部屋のように、陽だまりの温かさのような、居心地の良い空間に人が寄ってくる。その温もりに、なつめは幸せそうに笑った。
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