…………2-(3)
競技会のレッスンは、生徒とのレッスンが終わってからの一九時から二一時までと決めて始めた。女の子である優美を、夜遅くまで教室に置いておくわけにはいかない。優美がレッスンする間、なつめが同席する。帰りはなつめが一緒に帰って行くことで了解した。
ベーシックをクリアするまで優美のレッスンは、なつめが自分ですると言い出した。教えることは、自分自身も上達する。リーダーのステップやリードを覚えることで、また違った目線で感じることが出来る。
深沢は座って指示を出すだけで、決して、なつめの手助けをしない。黙って、二人のレッスンと小競り合いを見ていた。
血筋の所為もあるのか、仲の悪い姉妹を見ているようだ。間違えるところも似ているし、なんとなく気になる程度のクセは、やはりどこか似ていた。
「──あぁ、もう!なつめってば、スパルタ!」
「おまえみたいに、なんでもそれなりに熟す奴が、俺の努力が分かってたまるか」
「それって僻み?」
二人の視線の火花が散る。またかと思いながら、なつめのこんな言葉を聞いていると、心の葛藤を理解出来る。ずっと幼い頃から互いに比べ続けたら、こんなに性格が歪むものなのだろうか。
「あんたはいいじゃない。小春ママの息子ってだけで、チヤホヤされて。それ以上頑張らなくても、周りは勝手に認めてくれる。側で聞いていた私の気持ちは分からないでしょう」
「その嫌がらせに、川へ突き落しただろう」
想像できるだけに言葉もないな。
なつめが全てに対して、さばさばしているというか、無気力でいたのは、何もかもがよく似た人間が、劣等感を持って側にいることだ。更に、自分よりも優れていると見せつけられること程、嫌なものはない。
なつめのいうように、優美には苦手意識が全く働いていない。なつめが見せるどんな動きも、自分に出来ないとまるっきり思っていない。簡単になつめの真似が出来る。
逆になつめは、何度も何度も反復しながら、出来るという可能性に向かって、ひたすら努力してモノにするタイプだ。目先だけで熟していく、優美の限界は直ぐになんとなく分かってきた。優美自身も、自分のなかで矛盾してきている事に、イラつき始め、少しでも手抜き出来るところは、上手くごまかそうとする。
だが、そんなことは承知のなつめは、そこを鋭くついていく。
「優美、俺にその手は通じない。もっと前体重だ」
「分かっているわよ…」
深沢だったなら、簡単に騙されただろう動きに、舌打ちして顔を顰めた。深沢は、そんな喧嘩し合っている二人を、不安な気持ちで見ていた。
一ヵ月を過ぎた頃、レッスンも深沢の足を動かせるところまで辿り着た。二人のペアレッスンに、言葉では終わらず、手まで出し始めている。もうそろそろいいだろうと思ってはいたが、この二人をこのままペアとして、鍛えたほうがいいのでは?などと考えたこともあったが。感情面では、全くバラバラだった。
「多少のバリエーションも熟せるようになってきたな」
優美は嬉しそうに、深沢の側へと寄って来る。疲れたなつめは、ソファの上に転がっている。
「で、先生。そろそろ競技会でのレッスンに入りたいです」
なつめを睨むようにしていたが、深沢を見る目はうずうずしているように見える。確かに、競技会は二か月後だ。申し込みもそろそろしないといけない。深沢は仕方ないように、諦めの溜息を吐いた。
「エントリーだけはしてみるか…」
「はいっ!」
嬉しそうな優美と違って、なつめはソファに転がったまま、もう何も言わなかった。
「………」
深沢は最近、ずっと考えていたフォーメーションを思い出した。ソファに転がっているなつめの手を掴み、ズルズルと引っ張っていく。
音楽をかけると、なつめの体を抱き上げる。動き出そうとした優美を、視線で制止する。見ておけと目線で言う。大人しくソファに座った優美から視線を逸らすと、腕の中のなつめを強く抱き締めた。
「…踊れるか?」
「あぁ…」
それに口の端だけをあげて笑い、目を閉じた。音楽が鳴り響くと、抱き上げていたなつめを床にゆっくりと下ろした。
「………」
そのまま真っ直ぐ歩いていく。リードがあるまで、絶えず進み続ける。その肩を掴み、体の向きを変え、ゆっくりと絡めた手を頭上に伸ばして、指を絡める。伸ばした右手を持ち変え、数回転して回し、なつめの首だけを支えて、ブリッジのように頭を落としてキープする。
「…起き上がっての、前進…」
腹筋だけで起き上がると、抱き込むようにして、ステップを踏む。スリースリーのステップから、足を振り上げ、体がしなるようにキープする。ベーシックに重きを置いたフォーメーションだった。
ふとなつめは、深沢の右膝を掴むと、ゆっくり座り込み、器用に床から十センチのラインで右足をキープ。物凄い足の筋力で、その足を前に伸ばすと、深沢が笑いながら、
「ほらっ…」
両腕を抱えて、起き上がらせる。
途中脱線しながら、小さな声で指示を出している深沢の指示通りに、なつめの体は動く。いや、指示以上のパフォーマンスをみせていく。深沢が作ったフォーメーションは、優美を無口にさせ、なつめをその世界に引きずり込んだ。見た目には少し地味かも知れない。その分、ベーシックのなかに、高度なバリエーションも含まれている。なつめは、これをやりたいと瞬時に思った。
「深沢、これ…」
「私は、この前のが出来るのかと思っていました」
優美の言葉に、なつめは眉間に皺を寄せ、拳を握り締めた。その手を深沢が掴む。あれは、深沢のなかでも完成されたものだった。なつめ以外と演じるつもりはない。深沢は首を横に振った。
「今回は、これでいく」
深沢の頑とした突き放した言い方にも、優美は引かない。
「二、三か月でどうにかなるなんて、思っていません。でも私は、この前のフォーメーションがしたいです」
彼女の言葉に耳を傾ける気はなかった。二人は、体のラインも似ているが、違う面もはっきりとある。なつめの体は、ワイヤーのような伸びがあり、やはりどこか強さがある。先程の筋肉技もなつめだから勝手にやってのけたが、優美には出来ないだろう。なつめに求めたのはパワフルな強さと激しさであり、それを優美に求めてはいない。
今までのパートナー同様、女性らしい大胆なセクシーさと柔らかさは、女性特有のものがある。女性らしさを表現したほうが、より奇麗に自然に見える。
優美は、一度だけなつめに頼み込んで、深沢とのパーティでの演技を、近くでみせてもらったことがある。優美がどうしても、やってみたかったワンポーズは、なつめの男としての強さがあるから出来るのであって、優美はその時初めて、彼に出来て自分に出来ないものを知った。だから、余計に優美はそれに拘る。
「先生、お願いです」
「なつめとの完成度が高すぎる。あれはなつめ以外とやる気はない。それに、五種目もあるんだ。そんな時間はない」
「そんな…」
優美は唇を噛み締めた。今まで、羨望の眼差しでしか、見られたことがない自分が、それもバレエを途中で諦めたなつめよりも、低いと言われたようで、悔しさに拳を握りしめた。
「分かりました。レッスンを始めてください」
女の意地にかけても、それ以上のモノを作り上げようとした。優美がむきになればなるほど、深沢はすり抜けていく。初めての深沢とのレッスンは、たったの三〇分で終わった。ただ、深沢の気が乗らない、それだけだった──。
深沢と優美のレッスンが始まったあの日から、なつめは教室にも行かなくなった。優美と踊っている深沢を見たくなかった。勝ち誇った優美の顔にむかついてもいた。帰りもタクシーで帰ると言い出したので、もうほおっておいた。
深沢からは頻繁に電話が来る。その声を聞いているだけで、思わず何か嫌な事を言ってしまいそうで、直ぐに切ってしまった。何も考えたくなくて、大学の講義と卒論をこの期に準じて、一気に片付けると、体の良い理由をつけておいて交わした。
でも、ふとした瞬間、深沢が誰かを抱き締めるところが、頭を横切る─── 。バキッとシャーペンを折ってしまった。
「はあああ…」
何本目だよって、我ながら呆れながら、違うシャーペンを持つ。自分から言い出した事だが、不安で仕方がない。もしも、自分以上に作り上げられたなら、深沢にとって自分は、本当に必要ではなくなってしまう。
「やっぱり…」
なつめは、溜息を吐き出した。ノートは真っ白、己の心のようだと、天を仰いだ───。
相手があの優美であることが、余計に胸を騒めかせていた。
家も隣に住んでいて、父親が双子で仲が良かったからなのか。幼い頃から、なつめと優美は、兄妹のように育ってきた。
なつめの母親は有名なプリマで、毎年の誕生日に、目の前で踊ってくれたのが、忘れられなかった。それがバレエのきっかけであり、迷いもなくバレエを始めた。
だが、いつ頃からか激しく競うようになった、優美の追い掛けは始まった。書道、英会話、空手までも、同じように習い始めた。いつもなつめの側で、彼の世話を焼く振りをして、いつもなつめよりも上達し、見下ろすように立ち塞がっていた。
そんな優美を鬱陶しいと思ってはいたが、嫌っていた訳じゃない。それが年と共に、感情を言葉に吐き出すようになった頃から、苦手になってきたことは、仕方がなかった。最後の止めは、確かバレエ教室の演技会について、話し合っていた時、ある日先生から、ソロをやってみないかと言われた。
だが、それに眉間に皺を寄せて、隣にいた優美が低い声で呟いた。
「無理じゃない…」
「えっ……」
「みっともないから、止めてよ。私よりも細くって、私よりも女みたいな顔をしているなつめなんかに、バレエは向いてない!」
そう憎しみの込められた目で睨まれた。
あの顔が忘れられない。
なつめは、そのまま何も言えず、立ち竦した。
嫌な記憶が蘇る───。
「………」
なんとなく自分でも思っている容姿のことを、他人に言われるのはショックだった。女顔の自覚はある、だから髪を少し長くして、態と中性的にしている。純粋に楽しく踊りたかっただけだが、あまりにも周りの期待が高すぎた。父親がいた時は守ってくれたし、耐えられた。だが、一人では嫉妬とプレッシャーに耐え切れず、逃げ出した。諦めることの方が、もう気が楽だった。
居場所がない。あの時もそう思った───。
やっと手に入れた居場所だと思った。パートナーになりたかったのか、恋人になりたかったのか、分からなくなっていた。何を今求めているのか。
「…チッ……」
知らない間に、深沢のマンションの近くまで来ていた。そっと違う方向へと向け、歩き出す。視界は、闇夜に包まれつつあり、ひとりきりをより強調される。四六時中一緒にいて、常にダンスの話ばかりして、あの曲がどうの、ステップがズレたのはどっちのせいだとか言い合いながら、それが楽しかった。今更ながら、深沢との生活は満ち足りていた。何も言わなくても、深沢に必要とされていると、疑うこともなく思っていた───。
だから、男だから駄目だと言われたことが、事のほかショックだった。また、逃げる事しか出来ないのか。本当に必要なときに、側にいないのは、どうしたらいいのだろうか。
「……っ…」
なつめは、切なさに唇を噛み締めた。
「──なつめくんかな」
尋ねられた声に、我に返ると、駅の近くまで来ていた。行く方向に立っている人を、不思議に見上げてしまった。
「えっ…?」
頭が回らなくて、名前を思い出さない。
「平賀誠一…」
「あぁ、そうだ」
「…君。普段のほうが可愛いね」
「うるさい!」
なつめは、眉間に皺を寄せながら、無視してどんどん歩いていく。そんななつめの後ろを、のらりくらりと歩きついてきている。たまらず振り返った。
「一体、何の用だ!」
「君を口説くには、どうしたらいいかと考えていたんだが…。僕と付き合ってみないか?」
「いやだね」
「なぜ?君は、今はフリーだろう?」
「勝手に決めるな」
「事実だね。だって、ついさっき、深沢は君によく似た女の子と仲よく歩いて行ったよ。次の大会は彼女と出るなら、君はもう必要ないじゃないか」
立ち止まったまま、平賀を睨み付けた。今その話題は、一番聞きたくないし、考えたくもなかった。
「あんたに関係ない!」
「…ある。僕は、君に興味がある。そして、隙あらば抱きたいと思っている」
それに、なつめはクスッと笑った。
「えげつない」
「正直モノだろう?」
この平賀という男、見た目よりも、なかなか性格は面白かった。服の趣味が悪いのか、それとも見た目が、遊び人なのかは知らないが、
「取って喰やしないってさ。そうだ。深沢の昔のことなら、なんでも知ってるぞ、僕は」
そんな餌を投げて寄越した平賀に、なつめは肩の力を抜いた。
「それで?」
「あぁ、やっと興味が湧いたかい。なら夕食でも」
「奢りだろうな」
「決まりだ」
平賀の軽さが、なんだかとても有り難かった。今は、何も考えずに、ただ、笑ってみたい気がした。
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