…………1-(3) 

 毎日がダンスで始まってダンスで終わる。そんな日々が楽しくて仕方がなかった。共同生活も、少しずつ互いのルールの上に成り立とうとしていた。それほど、他の何かを差しおいても、パーティでの成功を一番に考え、揃って行動していた。

 ある日、一本の電話から事が始まった。

 シャワーを浴びたばかりの格好で、上半身裸で勢い良く水を飲み干す。鍛え上げられた胸の上を滴る雫が流れていく。それを横目で見ながら、なつめは大学の参考文献を黙読している。

 テーブルの上の果物に手を伸ばすと、携帯の音が響いた。

「──はい」

 最近、深沢は女専用の携帯に頻繁に出ている。そろそろ禁欲生活の限界でも来たのかと思っていたが、黙って相槌を打っていた深沢の機嫌が悪くなると、その口調も次第に激しくなる。

「俺は今、パーティのことで、頭の中が一杯なんだ。分かっているだろう!この前で、話は終わったはずだ!」

 眉間に皺を寄せ、イラつくように机を叩いた。深沢にとって、今が一番充実している。この時間を少しでも邪魔をされたくない。その思いが強くなった時、数年間続いていた悪習だと思っていた、遊びの女たちの関係を全て終わらせた。

「………」

 電話口で畳みかけるように話してくる言葉に、苛立ちしか感じない。何人かの納得いかない女と泥沼化していた。さっさと片を付けたい。そんな口調が滲み出ているから、尚更揉めに揉めていた。

「あぁ…?お前には関係ない」

 また、抉れ始めた会話に、深沢は面倒臭そうにソファに転がった。

 そんな深沢をチラッと見つめ、なつめは大きな溜め息を吐き出した。機嫌の悪くなった深沢はダンスを踊らなくなる。女のほうも深沢と会わない限りは引くことはない。最近、繰り返される出来事に、今日の復習のレッスンを諦めた。

 女の謝っている声に、深い溜息を吐き出した。

「分かった。これからいつものホテルで…」 

 投げつけるように置いた携帯に、なつめは呆れた視線を向ける。

「泥沼だな」

 顔を顰めているが、それもいつものことだった。

「あんた、また何やったのさ」

 聞いたところで、決して言う訳がないと分かっていてもいつも聞いてしまう。深沢は苛立って睨み付けるが、いつものことなので、なつめは別に気にもしない。

「…態々オレの為に、レベルを下げてくれるのは、とても有り難いね」

 ここ最近、その電話の所為で、パーティまで二か月しかない貴重な練習時間を、よくも私情で潰せるものだと、なつめは内心愚痴垂れていた。ソファに深く座り込むと、深沢も足を投げ出した。

「俺の足を引き摺り下ろしても、なんの得にもならんぞ」

「人聞きの悪い。自滅だろう…」

「よく言うぜ。この負けずが!」

 カッと怒りの表情で、

「オレにあたるな!」

 横をむいたなつめを見つめ、項垂れるように大きな溜息を吐いた。そう情けない自分に腹が立ってきた。

「…っ……」

 なつめは多分、全てに対してもそうなのであろうが、出来ないとか、普通なら初心者に対して、そこまで求めるかなどということは、一切口にしない。努力して、努力して、口が悪くても、本当に努力を惜しまない男だった。とくに、泣き言を言わないところなどは、感心するくらい立派なものだ。今では、深沢の求めるレベルまで辿り着いている。完成度の高さを求める思いは、なつめのほうが高いくらいだ。

「…さっさとケリをつけてくるから、待っていろ」

 着替えると、激しくドアを開け、急いで出掛けて行った。その閉まったドアを、なつめは静かに見つめた。

「いくらでも待っててやるよ」

 だが、今日帰って来ないだろうことも予想がついていた。


 いつものホテルのいつもの部屋で、深沢は気に入っていた景色を、ソファから眺めていた。この部屋で過ごす事の内容は、いつも同じだった。でも、一緒に過ごす相手は、いつも違っていた。この部屋をリザーブするのは相手、支払うのも相手。一度、この部屋の眺めが、一番好きだって漏らしたことから、申し合わせたように、この部屋を使うようになった。今は色褪せてしまったが。

 深沢の周りには、夫人と呼ばれる女たちの協定が存在していた。彼自身の才能に投資している者は、信頼関係を大切にしている友人であり、この存在は、深沢の大きなバックアップとなっていた。数人の体の関係を持っているのは、ただの遊び友達である。なつめと組んでから、数ヶ月過ぎた頃、この遊び友達との関係を清算した。

 テーブルの上に用意されていたブランデーに視線を向けると、隣の部屋と繋がっているドアがゆっくりと開き、濡れた長い黒髪を棚引かせた女性が入ってきた。待っていたかのような様子に、深沢は目を細めた。

「なんだ、もう来ていたのか?」

 ここを予約するとき、続き部屋も予約されている。彼女達の夫の名が知れている以上、一緒にいる処は決して見られてはいけない。暗黙のルールだった。

 白いガウンを羽織り、フローラルノートな香りを漂わせている。この香りをよく鼻にすると、ある女性に尋ねると、優しさ(タンドゥル)と毒(プワゾン)を合わせ持つのよと、言っていた事を思い出した。

 確かに、以前はこの手の香りを好んでいたが──。

「…愛美まなみ、この前も言った通り、この関係は終わりだ」

「………」

 彼女は押し黙ったまま、静かに見つめた。でも、ゆっくりと笑いながら、深沢の目の前に立ち、その胸に頬を埋めた。

「今までいい関係だったじゃない。急にどうしたの?」

 深沢の冷たい視線に、一瞬動きを止めたが、気にしないように視線を逸らす。彼女の手をゆっくりと引き離すと、

「本気だ」

「待って…!」

 深沢の視線の前に回り込み、真剣な表情で呟いた。

「主人と別れたいの」

「お前の人生だ。好きにしたらいい」

 言葉の裏の意味を知って交わしていく。交わされた視線に、愛美は唇を噛み締めた。自分の夫にさえも見せない甘い声と仕種で、

「相変わらず、イヤな男ね。私は、あなたと結婚したいのよ」

 愛美の手を強く掴み、引き離す。

「…俺は、おまえと結婚したいと言ったか?おまえに旦那と別れてくれって頼んだか?スタジオに関しても、出資は必要ないと言ったはずだ」

「あなたの為にしたかったのよ」

「だから、好きにしろっとは言った。遊び以外の付き合いはしない。何度も言ったはずだ」

「それでも、愛してくれるって信じていたの」 

 うんざりと天井を見上げた。以前は、彼女らに会っているときは、それなりに楽しみはあった。今の愛美に対して、何の感情も湧かなかった。今自分にとって、何が一番大切か分かってしまったからだ。

「もう…」

「…この子がそんなにいいの?」

 言葉を遮られ、目の前に突き付けられた写真を見つめた。興信所を遣って、調べさせたのが分かる。珍しく笑っているなつめの写真だ。強い視線で睨みつける彼女の顔をじっと見つめ、意味深な笑みを浮かべた。

「おまえ程の女が、こんなガキに目の色を変えるのか」

「そうじゃないわ!」

 大きな目を吊りあげ、切羽詰まったその表情。深沢の心の中を探るかのように、睨み付けている。幾分、その目元が弱まったところで、

「なら、なんだ?」

「一緒に暮らしているらしいわね」

「そりゃあ、当たり前。パートナーからの条件だからな」

 深沢がパートナーの出した条件なら、大抵のことは受け入れることは知っていた。だが、一緒に暮らしたのは初めての事だった。

「嘘でしょう?この子は…」

「そう男だ──」

 信じられない視線を向けた。自分が愛した男が、趣向替えしたからか、それとも、自分を必要としなくなったことへの怒りからなのか。愛美は押し黙った。

 数枚の写真だけでも二人の親密さが伺える。取り巻き達は、深沢に尽くすことで喜びを感じていた。でも本当の深沢は、こんなふうに誰かの世話を焼くのだろうか。こんな穏やかに笑みを浮かべるのだろうか。自分の知らない深沢を突きつけられ、容姿だけでは、性別を判断しかねるほどに、魅力的な存在であることに、更に不安が膨れ上がっていく。何より目の前の深沢の変化をより強く感じた。

「あなたが男にはしるなんて」

「まさかだろう?パーティの前座だ」

「ってことは、内密なワケ?」

 それに含まれている何かを感じ、深沢はそっと立上り、愛美を見下ろした。

「おまえは俺を脅しにきたのか」

「だったら?」

 見上げる意地悪な笑みに、視線を逸らした。

「違うな」

 愛美の頭に手を乗せ軽く叩いた。彼女は驚き、深沢を凝視した。

「旦那に女でも出来たか?自分の顔をよく見てみろ。俺に当たっても仕方がないだろう」

 今までの深沢はこんなことをいう人ではなかった。

「…っ…」

 一瞬にして、表れた醜いまでの歪んだ顔を、愛美はスッと隠した。見られたくない素顔を、一番見られたくない人に見られてしまった。

「もう会わない」

「そんなことができるの」

 なつめの写真をチラつかせ、醜く笑う。深沢が苦しむ姿を見たいかのように…。だが、最後の足掻きも無駄に終わった。そんな愛美に言葉も残さなかった。

 なつめはこんなことで潰される程、弱くはない。深沢の気持ちも、揺るぎないほど強かった。ホテルを後にし、なつめの待つマンションではなく、スタジオで夜通し踊り続けた。


 図書館から、古い参考文献を数冊抱えたなつめは、卒業論文の項目を考えていた。頭の中には、いくつかの項目が回っていて、どれを取ろうか悩んでいた。そんな彼のすぐ脇に、黒のオープンカーが横付けして来る。目線だけを向け、興味もなさそうにまた歩き出す。

「待ちなさい!」

 静かに制する言葉に、そっと立ち止まったが、なつめは何を思ったのか、また歩き出す。それに、車をおりた彼女は、

「ちょっと、待ちなさい!」

 目の前に回られて、渋々、なつめは立ち止まった。

「なんですか?」

 面長の綺麗な顔立ちに、中性的な体のライン。バレエで鍛えた無駄のない筋肉と、長い手足。冷めた目で威圧感を与えながら呟くなつめに、彼女はグッと言葉に詰まる。

「待ちなさいって言っているでしょう」

「知らない人とは、話さないって決めているんだ」

 外見からは想像が出来ない口の悪さに、目を吊りあげ、

「私は知っているわ。あなたは、新藤なつめでしょう?」

 ニヤッと笑った彼女の口元を見つめ、

「ナニ、あんた?俺のストーカー?それとも、誘拐犯?年を考えたほうがいいよ。もう後がない訳だし」

 嘲笑うかのように、クスッと口元を吊りあげる。見た目を大きく裏切るこの遠慮のない言葉に、彼女は怒りを抑えながら、地団駄を踏んだ。

「あなたが、宗司をたぶらかしたのね」

 なつめは一瞬にして、無表情の顔を作り、氷のように凍った眼で、彼女の手首を握り締めた。

「なんだって?あんた名前は…」

「いっ、痛いじゃないの」

「名前!」

「愛美よ!」

 名前を聞くと、スッと力を緩めた。深沢の女性関係のリストはほぼ把握している。頭のなかで、リストにチェックを入れると、あとは興味さなげに見る。

「痛いわね!」

 写真で見たなつめのイメージは、大人しげでちょっと脅せば、逃げ出すと思っていた。だが、実際は細い体をしているが、その握力は男のものであり、自分の細い手首には綺麗に手の跡が残っている。それを見つめていた彼女の耳に、

「深沢に言ってやろうと──」

「なによ」

「あんた、約束破ったよな」 

 楽しそうな目で言うなつめに、訝しんでいた彼女の目が、大きく見開かれる。まさか、そんなことを知っているとは、思わなかったのだ。深沢は、遊び友達に一つの約束事をさせていた。それは名前では絶対に呼ばないこと。その一線を越えたなら、遊びではなくなってしまう。この関係の終わりを意味していた。

「深沢って、意外とけじめをきっちりしているな」

「ちょ…、やめてよ!」

「約束は約束…」

 益々青くなっていく顔色に、なつめは内心舌を出していた。

「嘘っ!言ってないわ」

「往生際が悪いな」

「…っ…」

 愛美は拳を震わせながら、悔しそうに唇を噛んだ。あれから、何度連絡しても、着信拒否をされているのだ。

「貴方に、私の気持ちは分からないわ」

 一瞬、何かを言い掛けたが、言葉を飲み込んだ。静かに愛美を見つめ、

「あんなヤツのどこがいい訳」

「あなたにそれを言われたくないわ」

「あっそ!」

 最初の勢いはなく、落胆している愛美を横目で見て、なつめはそれじゃあと手をあげて去っていく。

 まだ、深沢という男を捉まえているというスティタスから離れらない。現実を見たくないから、なつめに嫌がらせをしにやってくる。深沢にはもう個人的には会えない。だから、せめてなつめに会って、自分の目で見て何かを確かめたいと、もがき苦しんでいた。

 愛美はゆっくりと立ち上がり、きちんと着たスーツのボタンを外し、ブランドものの高いヒールを脱ぎ捨てると、車に乗って最後の嫌がらせに、なつめの身体擦れ擦れに走っていった。

「危ねぇな!」

 叫びながらもなつめは、愛美の気持ちも分からないではなかった。深沢が何かにけじめをつけようとしているのなら、なつめだって、真剣に向き合うべきだと思っている。自分だって、どんな手を使ってでも、掴み取りたいものがある。

 だから、切られた女友達が、次から次へとなつめのもとへとやってきた時、容赦なく噛みつき、片手で追い払っていった。

『ほかに男はいない訳?』

『旦那にバレてもいいんだ?』

 それ以上の辛辣な言葉で、女たちを切り捨てていった。本気で来るなら、本気で立ち向かう。形振りなんて構ってられない。

「───」

 深沢が女性関係を整理する前、その切っ掛けになる事があった。ダンススタジオで厳しいレッスンをしていた頃だった。女関係に歪みが生じ始めた頃も重なって、深沢の機嫌の悪さは手に負えなかった。

「one two three…」

 何度やっても、深沢とのタイミングが合わない。深沢がイライラして、次の動作までの溜めが出来ないため、なつめの動きが間に合わなかった。何度か、これを繰り返したとき、なつめが切れた。

「あぁ、もういい加減にしろよ!」

「なにが!」

「自分で分かっているだろう。全然集中していないじゃないか」

 深沢はカウンターのタオルを取ると、背を向ける。自分でも分かっていて、イライラしているから余計に倍増している。なつめは手洗い場に行くと、コップに水を注いだ。それを容赦なく、深沢の顔目掛けてかけた。

「……っ!」

「頭は冷えたか」

 マジ切れの様子に、大きな溜め息を吐き出した。

「すまん…」

「……ろよ」

「え?」

「俺を見ろ!」

 唇を噛み締めながら、深沢を睨みつける。その目は切なく悲しげに潤う。どんなに一人で頑張っても、空しいだけで駄目なんだ。泣きそうな、居たたまれない心の叫びが、痛い程伝わってくる。曾て、深沢自身何度もこの地獄を味わってきている。

「あんたのダンスに掛ける想いってのは、そんなものなのか」

「………」

「…俺は違う。気を散らしている時間なんてない。俺は、バレエを辞めても、この技術はいつか違う形でもいいから、自分がやりたいって思った時、必ず役に立つと信じていた。実際、これは俺の最高のチャンスだ。今の俺の全てをかけて此処に立っている。あんたと最高のステージを楽しむためだけに、だ!」

「なつめ…」

「あんたの本気を見せろ!」

「………」

 深沢は濡れた顔を両手で覆い隠すと、そのまま濡れた髪を掻きあげた。その仕草はとてもセクシーで、なつめは思わず見惚れてしまった。天井を真っ直ぐに見つめる黒い瞳に、湧き上がるような闘志が見える。何かを吹っ切ったように、笑みを浮かべた。

「決めた。俺のパートナーはお前だけだ。今は、それだけでいい」

 切れていたステレオのリモコンを押した。それをソファに投げ捨てると、リズミカルなラテンの音楽が流れる。深沢は優雅に手を差し出した。

「覚悟しろよ…」

「それはこっちのセリフだ」

 燃え上がる闘志むき出しに、二人は睨み合う。曲の流れに合わせて、激しいステップを踏んでいく。二人の合わせた手の音が大きく響く。

「…っ…」

 なつめは今まで、何処か押さえていた接触を、大胆に絡めた。一歩踏み込んだ場所は、思った以上に安定した。それは深沢に全体重を預ける事になる。

 深沢は、なつめの身体のバネを思うままに操る。今まで以上の一体感に、心から喜びを感じた。己の求める世界を追いかけた。全てを忘れるくらい、二人は倒れるまで踊り続けた──。


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