#15

間の抜けた表情から一変して、別人のように指示を出したベアール。


そんな老将軍の変貌へんぼうぶりに、ルモアとアルボールは言葉を失っていたが、シファールも屋敷の者たちも特に動揺してはいなかった。


皆、ベアールが緊急時には、一瞬で酒が抜ける人間だと知っていたのだろう。


ルモアとアルボールからすれば、そんなのとても人間技じゃないと、急に聞こえてきたひづめの音よりも、むしろ老将軍の変わりぶりに驚かされていた。


「驚くのはいいが、俺の傍から離れるなよ、ルモア」


固まっていたルモアに、シファールがそう声をかけた。


皇子の落ち着いた声を聞いたアルボールは、ここでハッと我に返り、ベアールの近くへと走り出す。


庭にいた兵士たちは、執事やメイドたちを囲むように陣形を組み、その中心にはシファールとルモアがいた。


老将軍のほうはいうと、ひづめの音がするほうに、剣を抜いて向かっていく。


「ベアールさん! やっぱ刺客なのか!? それにしても無策だね!」


アルボールも剣を抜き、ベアールと並んで進む。


彼の言うとおり、ルモアを狙うにしても小細工一つせずに、こうも正面から襲ってくるのはおかしかった。


当然ベアールも妙だとは思っているが、他にシファールの屋敷に向かって、勢いよく馬を走らせる理由がない。


使者か何かなのかとも考えられるが、明日に控えた結婚式の準備はもう終わっているのだ。


さらに今は夜。


陽が落ちた時間に襲撃するというのは、誰もが理解できるところだ。


「人の気配は感じられぬ……。あと聞こえてくる蹄の音からして、これほど早く走れる馬はポエーナ帝国にはおらんぞ」


「じゃあ、魔物か何かか!? ポエーナ帝国って軍事国家なのに、そんなに警備がガバガバなの!?」


「帝都に魔物が現れたことなど、儂がこの国へ来てからは一度もない。だが、それだけに油断できんな」


ベアールは足を止めて、剣を構えた。


アルボールも老将軍にならって、同じ構えになる。


確実に近づいている蹄の音に対し、屋敷の庭全体へ緊張感が走っていた。


そんな切羽詰まった空気の中、ベアールが声を張り上げる。


「シファール様! 何者かわからんが、おそらく人の常識を超えたものが現れます! お気を付けを!」


その言葉が、ルモアに恐怖を与えていた。


ベアールは長年に渡り、軍事国家であるポエーナ帝国を引っ張ってきた将軍だ。


そんな人物が、人の常識を超えたものが現れると叫んでいるのだ。


これは、血生臭い経験が少ないルモアでなくても、不安にならないほうがおかしいといえる。


「恐ろしいか?」


歯をガタガタと震わせていたルモアに、シファールが声をかけた。


低い落ち着いた声。


まだ耳に馴染んでいたわけではないが、目をつぶっていても彼の声だとルモアにはわかる。


ルモアは、目を開けてシファールを見た。


そこには、剣を構えながら立つ彼の背中がある。


ベアールと比べると小さく感じるが、それでもルモアにとっては、シファールのその背を頼りないとは感じなかった。


「これから俺たちが進む道には、想像していなかったような恐ろしいことが起きる……」


まるで耳元へ語りかけるかのよう優しい声に変わり、シファールはルモアに向かって言葉を続ける。


「もし、耐えられないというなら……覚悟ができないと思うのなら……俺と結婚しないほうがいい……」


「え……?」


こんな状況で何を言うのだ?


と、ルモアは思った。


彼女はシファールに向かって、言い返すなり答えるなりしたかったが、上手く言葉が出ない。


動揺して頭が上手く働かない。


すぐにでも彼の言葉を否定したいのに、それ以上に感情を揺さぶられてしまい、呆然ぼうぜんと立ち尽くしてしまう。


「ヒヒーンッ!」


そこへ馬の鳴き声が聞こえてきた。


いや、鳴き声というよりも叫び声に近い。


まるで何者からか逃げているような、そんな切迫した声だ。


「来るぞ、ベアールさん!」


「いや、待てアルボール! こいつは……幻獣ッ!?」


屋敷の庭に飛び出してきたのは、小柄な白い身体に獅子の尾、額に一本の螺旋状らせんじょうの角を持つ馬――幻獣ユニコーンだった。


見るからに我を忘れているユニコーンは、手の止まったベアールとアルボールを吹き飛ばして、庭の中心へと走り出す。


そこには護衛の兵士たちがいたが、彼らはすべはなく、皆、倒されてしまった。


前に立った者らを排除したユニコーンは、その場で足を止め、周囲を見回し始めた。


蹄で地面を叩いて鳴らし、威嚇いかくするように息を吐く。


目の前に立つ幻獣に対し、執事やメイドたちは怯えて動くこともできず、ただ震えているだけだった。


「くッ!? 不覚を取った! 申し訳ない、シファール様!」


吹き飛ばされたベアールが走り出していたが、ユニコーンとは距離がある。


従者たちを守るのは、とても間に合いそうにない。


当然ユニコーンが待ってくれるはずもなく、再び動き出す。


額にある螺旋状の角を突き出し、目に入る者を貫こうと狙いを定める。


このまま執事やメイドたちが殺されてしまうかと思われたが、突進してきたユニコーンの前にシファールが立ち塞がった。


「うちの者らは傷つけさせんぞ」


ガキンという金属音が庭に鳴り響いた。


シファールが剣で角を受け、従者たちを守る。


今のうちに下がれと声を張り上げ、ユニコーンの体を押し返す。


そんな状況で、他の者らと同じく怯えて動けずにいたルモアだったが、現れたのが幻獣だと知ると、彼女はなりふり構わず飛び出していた。

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