#12

――ルモアがポエーナ帝国へやって来てから数日後。


シファールとの結婚式が明日へと迫り、彼女が着るドレスや装飾品が屋敷に集められた。


ルモアはそれを代わる代わる身に付けては、侍女たちからああでもないこうでもないと言われる日々を送っていた。


元々あまり着飾ることに興味がないルモアにとっては、かなりの拷問だ。


初めは物珍しさからそれなりに楽しめてはいたが、一日のほとんどを着替えるだけの生活など、まともな人間なら誰でも苦しいだろう。


しかし、そうはいってもルモアを狙う刺客が現れることもなく、このまま無事に式はおこなわれそうだった。


「はぁ、やっと朝に運ばれた分が終わったぁ……」


午前中の服と装飾品選びを終え、ルモアは屋敷の裏庭へと出ていた。


これからまた昼食を終えた後、夜までおめかしをしなければならず、彼女はうんざりした表情で庭にあった椅子に腰かける。


「おッ、今のはなかなかよかったぞ、サルボール」


「俺は“アルボール”だよ、ベアールさん! いい加減に覚えろって!」


裏庭では、ベアールとアルボールが稽古をしていた。


木剣で打ち合いながら、互いに声をかけ合っている。


この光景もまたポエーナ帝国へやってきてからは、当たり前――日常のものになっていた。


「しかし、日に日に腕を上げおるな。さすがはあの女の血を引くだけはある。これで兵の統率を覚えたら、立派な将軍になれるぞ」


「そいつはどうも。たとえやる気にさせるための嘘でも、褒められると嬉しいもんだね」


ベアールの言葉を聞き、ルモアは思う。


彼女は剣に関してはまったくの素人だが、それでも老将軍がお世辞を言っていないことがわかった。


それは、ルモアが二人の稽古を初日から見ていたからだ。


最初のうちアルボールは、ベアールに両手を使わすことすらできなかった。


だが、片手で軽く剣を振られて倒されていたアルボールが、今では互角に打ち合っている。


それに、互いに軽口を叩きながらも老将軍の表情が真剣なことから、ベアールが手を抜いていないことが伝わった。


「そろそろいいか……」


ベアールは木剣で鍔迫り合いになると、その屈強な体でアルボールを突き飛ばしてからそう言った。


すると、小首をかしげたアルボールが老将軍に訊ねる。


「へッ? なんか今日終わるの早くない?」


「もうわしから教えることはない。あとは別の師を見つけるなり、実戦に身を投じるなりで己を鍛えろ」


ベアールは、この数日間で自分にできることはすべて教えたと言った。


それはこれまで密偵頭として、暗殺に特化した剣技しか知らないアルボールにとっては、とても実りのある経験だった。


しかし、離れて見ていたルモアは疑問に思う。


老将軍は、なぜアルボールに剣を教えていたのか?


ベアールが手合わせを願ったのは、軍を持たないシェールス国の剣技に興味があるという理由だったが、それにしては度がすぎるほど稽古を続けていた。


移動中のときならまだしも、ポエーナ帝国の重鎮である将軍なのだから、この屋敷の警護以外にもやることも多いだろうに。


どうして忙しい立場でいながらわざわざアルボールを鍛えていたのだろう――と、ルモアは老将軍の考えが読めないでいた。


「勝手だなぁ……。俺はあんたに剣を教えてくれなんて頼んでないのにさぁ」


「まあよかろう。これで儂らがどうにかなっても、マルボール一人で幻獣姫を守れるというもんだ」


「だから“アルボール”だよ! さっき注意したばっかじゃん! 年寄りってそんなに忘れっぽいもんなの!?」


だが二人のやり取りを見て、そんな疑問は吹き飛んでいた。


そこには国や立場など関係なく、年齢さえも気にせずに笑みを交わし合う彼らの姿がある。


そんな二人を見て、庭にいた執事やメイドたち、ポエーナ帝国の兵士たちも笑っている。


これこそルモアとシファールが望む光景。


身分も生まれた国も気にせずに共に生きていける世界。


ルモアは、老将軍に打算などないと考え直し、今見える光景を眺めて胸が熱くなっていくのを感じていた。


「これを見れただけでも……彼を信じてよかったと思える……」


「何を信じてよかったって?」


ルモアがふと声を漏らすと、彼女の背後からシファールが現れた。


慌てて振り返った彼女がシファールの表情から思うに、どうやらしっかりと聞こえてはいないようだ。


そう思ったルモアは、眉を下げるシファールに向かって「ハハハ」と誤魔化すように笑いかける。


「ヤ、ヤダなぁ! そんなこと言ってないよ! それよりもどうだったの?」


ルモアはシファールに、式の準備は順調かと訊ねた。


シファールはここ数日は屋敷を出て、結婚式に向けて動いていた。


本来ならば国をあげての祝い事だが、ルモアが敵国の主というのもあり(よく思っていない者が多いため)、式は身内や近しい者のみという話になっている。


そういう理由から、式場の確保などに大きな労力はいらなかった。


では、一体なんのためにシファールは屋敷を出ているのか?


雑務などは従者たちに任せておけばいい――のだが、彼にしかできない、他人に任せられない仕事があった。


そのシファールしかできない仕事とは、彼の父である皇帝フェル―キと、兄シフェルに式に参加してもらうことだった。


「父上は出てくれそうだ。まあ、あまり長い時間はいれそうにないが」


「病気なんだっけ。そんなに酷いのに出てくれるなんて……。なんか想像と違って優しい感じなんだね、皇帝フェル―キって」


「かつて憎んだ平和主義者の娘が、一体どのような人物なのかが気になっているらしい。手を組むに相応しい、気骨のある者かどうかと」


「うぅ……前言撤回。やっぱイメージどおりの人っぽい……」


辟易へきえきした顔のルモアを見たシファールは、クスッと微笑むと、すぐに沈んだ声を声を出す。


「兄上のほうは……俺に、会ってもくれなかった……」

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