#8

ルモアの質問で、場の雰囲気が一気に変わった。


湿気もないというのに、重たい空気が周囲を覆い尽くす。


呼吸をするのが苦しいとまではいかないが、ルモアを中心に息苦しい感じが広がり出していた。


「幻獣姫は、わしがフォレトーナを止めなかったのが気に入らんか?」


返事をしたベアールの口調が、礼儀に準じているものではなくなった。


国を代表して花嫁を迎える案内人とは思えぬ態度だ。


それだけではない。


ベアールは、まるで戦場で敵を前にしたかのような、凄まじい威圧感を放ち始めた。


それは、ポエーナ帝国の兵士たちが青ざめてしまうほどだった。


「気に入らない……とは少し違います。でも、もしそのときにあなたがフォレトーナを止めていれば――」


「終わったことに“もし”はないぞ、幻獣姫」


ベアールは、ルモアが言い切る前に口を開いた。


それは彼女の言葉をさえぎり、もうこれ以上何も言わせないようだった。


案の定ルモアは、それ以上口を開くことはなく、ただ「そのとおりです……」とだけ、返事をした。


だが、それでもルモアは思ってしまう。


ベアールがフォレトーナを止めていれば、もしかしたら……。


たとえポエーナ帝国の皇帝に強引に結ばされた絆であっても、人生の伴侶として決まった相手だ。


傍にいてほしいと言っていれば――。


これからも一緒にいたいと声をかけていたら――。


今でも二人は夫婦でいられたのではないかと。


陽が落ち始め、空がオレンジ色に変わってきていた。


それがルモアの今の心情と重なり、彼女はますます寂しさを覚えてしまう。


もうすぐ今夜泊まる場所に着くことがせめてもの慰めだが、そんな重たい空気を吹き飛ばすように、ベアールが口を開く。


「ところで、小僧。おまえの父親は?」


「なんだよそれ? さっきはなんかカッコいいこと言ってたのに、実はまだ母さんに未練があるの、あんた?」


ベアールにたずねられたアルボールは、意地の悪いことをき返した。


しかし、それでもベアールは気にもせずに答える。


「気にならないほうが変だろう。殺し合いをしてその後に愛した女が、一体どんな奴とくっついたのか。知りたくないほうが不自然だ」


「そりゃそうだねぇ……。でもさ。話しても、あんたが期待するようなことは聞けないよ」


「それはどういう意味だ?」


ベアールは乗っていた馬の速度を落とし、御者席で手綱を引くアルボールに並んだ。


馬車の隣に来た老将軍に、アルボールは視線を合わせて言う。


「いないんだよ。俺に父さんなんて」


アルボールが生まれたときからずっと、家に父親はいなかった。


彼が物心ついたときにも、それらしい男は誰一人現れなかったらしい。


さらに時が経ち、アルボールが国のために働くようになった今でも、フォレトーナから父親の話はされていない。


母の配下たちにも何気なく訊いてみたが、どうやらシェールス国には、アルボールの父親だと思われるような男はいないようだ。


二人の会話を何気なく聞いてルモアは、たしかにと思った。


アルボールとルモアは、彼女の両親――シェールス国の王と王妃が早くに亡くなったのもあって、フォレトーナに育てられた。


二人は姉弟同然に一緒におり、ある日ふとルモアは、アルボールに父親がいないことに気がついた。


だが、きっと戦争で亡くなったのだろうと思い、子どもながらに訊ねてはいけないことだと考え、フォレトーナに訊くことはなかった。


ルモアの中では、てっきり先代の密偵頭がアルボールの父親で、彼が生まれる前に亡くなり、フォレトーナは息子に父の跡を継がせたのだと思い込んでいたのだが――。


「フォレトーナの配下って、たぶん密偵の人たちのことも入ってるよね……」


どうやらそれは勝手な思い込み、勘違いだったようだ。


ベアールとフォレトーナの過去の関係に続き、またも暗い話でさらに重たい雰囲気になってしまうと思いきや――。


「そうかそうか。父親はおらんし、男の影もないのか。いや、そりゃ結構」


老将軍はアルボールの話を聞いて、なぜか嬉しそうにしていた。


これにはルモアとアルボール、ポエーナ帝国の兵士たちも不可解そうにしていたが、ベアールは気にせずに話し続ける。


「よし、小僧。今夜あたりちょっと手合わせでもせんか? 稽古をつけてやるぞ」


「はぁ? いきなりなんだよ? 意味わかんないぞ、あんた」


ベアールはガハハと笑いながら、アルボールに答えた。


幻獣姫の護衛についたアルボールの実力に興味がある。


ましてや軍を持たないシェールス国の警固役だ。


平和主義者の武芸がどのようなものなのか。


一人の武人として、未知数の者の強さを知りたくなる。


そう言いながら馬を馬車に近づけて、ベアールはアルボールとの距離を詰めた。


「で、でもなぁ……。夜は夜で、なんだかんだ仕事あるしぃ……」


詰め寄られたアルボールは、振り返ってルモアのほうを見た。


どうやらアルボールは「おまえのほうから断ってくれ」と言いたかったようだが、彼女はこれを勘違い。


小首を傾げていたと思ったらポンッと手を打ち鳴らし、「是非、稽古をつけてあげて!」と、ベアールに、アルボールが言ってほしかったこととは逆のことを言った。


ルモアの言葉を聞き、ベアールは満足そうに笑う。


「ガッハハハ! いやはや、幻獣姫が話のわかる方でよかったよかった!」


「ル、ルモア……。おまえなぁ……」


その一方で、アルボールは引きつった顔で固まっていた。

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