第15話
朝霧は見えないながらも、自分が腕を捻じ上げられ身動きできなくされ、刃物らしきものを喉元に突きつけられていることは理解していた。そして魔術防壁が消えていることに茫然としていた。
「防壁が・・・」
数メートル離れて大剣を上段で構えている牙炎は、足の裏を使って冴島たちに少しずつにじり寄っていた。
「貴様たちに2つ聞きたいことがある」
冴島が朝霧の背後から声をかけた。
「1つは、なぜ惨跛の術を使ったのか。もう1つは葛木武尊が今どこにいるかだ」
朝霧は見えない相手を覗き見るように頭を後ろに動かし、目を横に向けた。冴島はそれ以上何も言わずに2人からの応えを待った。
「もう1つ忘れていた。惨跛の術の終了期間に何か意味があるのか?」
「そんなこと教えるわけないだろう。俺たちの作戦だからな」
朝霧は精一杯強がった様子を見せ、抵抗しようとした。
冴島が続けて言葉を発することはなかった。相手が痺れを切らして、こちらに有利なことを言うのを待っているのと、こちらの情報を相手に言わないためである。
牙炎はその様子を見て言った。
「おい、貴様何者だ? 実体弾の銃を使っているところを見ると地上人のようだが、地上では魔術を使える人間は数千年前にいなくなっていると聞いている。弍式を倒した魔術を見る限り、地上人とも思えない」
だが冴島は黙ったままだった。
「応える気はないようだな」
言いながら牙炎は上段に構えた大剣で空を突き上げるように構えると一歩前に近づいた。
冴島は朝霧にだけ聞こえるように小声で呟いた。
「俺の質問に応えろ。言えば命は助けてやる」
朝霧は牙炎の方をチラッと見てこちらの会話が聞こえてないのを確認した。
「俺たちは何も知らされていない。惨跛の術をこの場所で発動させて、維持するという命令しか受けていない」
「おい、何を話している?」
朝霧の口元が動いているのを見て牙炎が問いただすが、朝霧も冴島も無言だった。
冴島は龍髭刀の刃を立てないようにして朝霧の首に押しつける。
「それが答えなのだとしたらお前の命はこれで終わりだ」
「本当だ。術は指示された場所に指示通りに展開しただけだ。武尊様もどこにいるか知らない」
そう言い終わる前に牙炎が斬魔刀を振り下ろした。朝霧の顔の前を風切り音が通り過ぎ、目の前の空気が左右に分かれたような感触に朝霧の肌が震えた。
「牙炎! 貴様、何をする!」
目を見開いて朝霧が大声を出す。
「自分が助かるために、武尊様を売ろうとしているんだろう?」
「貴様、たかが化外剣闘士が魔術師に楯突くとは何事だ」
「俺は武尊様に惨跛の術を守ように命じられているのであって、お前を守るためにここにいるのではない」
朝霧は身動きできない身体で怒りを表し、牙炎を睨みつける。
「化外剣闘士は仲間の魔術師を守るのが役目のはずだ」
「違う! 化外剣闘士は仕えている魔術師を守るのが仕事だ。お前は俺の主人でもないし、俺はお前の家に仕えているわけでもない」
湊大地の口から低く抑えた声が響く。
「もう一度聞く。なぜ惨跛の術を使った? 葛木武尊はどこにいる?」
「武尊様を知っているということは、地上人であったとしても葛城宿禰と関係があるのは間違いないな」
牙炎は両手で柄を握ると右肩の上に大剣を担ぎ上げた。
「貴様が何者で何を知っているかは俺には関係ない。武尊様の邪魔をする奴は俺が殺す」
牙炎は前に踏み込みながら担ぎ上げた大剣をまっすぐに振り下ろした。
冴島は腕を捻りあげている朝霧の背中を蹴ると後方に飛び退ってから牙炎の右手側の方にサイドステップして移動して左手を前方に向けた。
突然蹴り飛ばされた朝霧の身体はつんのめり、振り下ろされた大剣の前に飛び出した。朝霧には時間がゆっくり動くように感じられた。そして牙炎の斬魔刀がゆっくり自分に振り下ろされるのを見ているしかなかった。牙炎は必ず寸前で斬魔刀を振り下ろすのを止めると思った朝霧だったが、牙炎の手は止まらず、朝霧は左の鎖骨から右腰にかけて真っ二つに切り裂かれた。
肉と水分と硬いものが一気に叩き切られるような複雑な音がして朝霧は大量の血飛沫を噴き出しながら、二つに分かれた肉体の上半身部分は金属の床に鈍く重い音を立てて落ち、下半身は後ろにひっくり返るように倒れた。
牙炎は朝霧の血飛沫を浴びて真っ赤な姿で剣を振り下ろしたまま、冴島がいるであろう辺りを睨みつけた。
冴島は朝霧が切断されるのを横目で見ながら、伸ばした右手の前方に意識の1つを集中させて乙位階の強力な火炎系魔術を励起させた。渦を巻いた炎が吹き上がり、近距離にいる牙炎に襲いかかる。
突然右手から巨大な炎が襲いかかってきても牙炎は冷静だった。襲いかかる炎に向けて、朝霧を切り伏せた大剣を右手一本で振り上げる。惨跛弍式を葬り去った乙位階の高威力の火炎魔術は牙炎の一振りで真っ二つに分かれ消失した。
その隙に冴島は牙炎の後方に回っていた。真っ二つになって息絶えている朝霧の遺体を牙炎の後方から悲しげな目で見つめた。戦場でたくさんの死体を見ている冴島でも鋭利な刃物で真っ二つになった死体を見るのは初めてだった。
「おい、そいつは仲間じゃなかったのか?」
急に背後から声が聞こえて牙炎は声をした方を振り向く。
「魔術師の魔術や兵士が銃で攻撃してくる時は『殺意の気配』が薄くてわかりづらいんだよな」
・・・『殺意の気配』・・・殺気のことか?・・・
「俺たちは剣で相手を斬り殺す。手にその時の衝撃や感触が残るから殺したことを実感する。だから敵と相対すると殺そうという『殺意の気配』がどうしても強くなるし、その感覚に敏感になる」
冴島はなるほどと思った。
殺そうという意識より、引き金を引いて命中させたり、術を発動することに集中するから自分には殺そうという気配が薄いのは理解できた。
「こいつは仲間じゃない。しかも自分だけ助かろうとした裏切り者だ」
冴島は左手で龍髭刀を抜くと両手を軽く曲げて前に出して牙炎の目を睨んだ。複雑な気持ちだった。前線で命を賭けている戦士たちがお互いを信じて戦っていない。そういう連中が戦場から生還することが難しいことを冴島は知っていた。
「おい、これで俺たちだけだ。隠れてないで姿を現せよ」
左手は順手、右手は逆手で龍髭刀を握り、ヘリポートの金属の床を見た。金属のプラットフォームの表面はざらっとした滑り止めのような塗装が施されていた。冴島はこの床の塗装では攻撃を避けたり敵の背後に回り込む時に床の上をスライディングできないと思っていると、牙炎が冴島の殺気を感じられないまま斬魔刀を地面から10センチぐらい上を狙うようにして振り回しはじめた。
「相変わらず隠れたままか。魔術師は卑怯者が多いようだな」
牙炎は喋りながら、見えない冴島の足元を狙って大剣を8の字を横にしたような無限大の軌跡で振り回す。時折、切っ先が金属の床を削り火花が立ち、甲高い金属音が響き渡る。
牙炎は今までの冴島の動きと、先程の会話での声がする方向で当たりをつけ、そして最終的に足音でその後の移動方向を判断していた。
牙炎の靴は地面を掴むようにして音を立てずに歩けるような構造をしており、摺り足のようにして移動するため、足音はほぼ聞こえない。だが、湊大地が履いているタクティカルブーツのソールは音を立てない構造とはいえ、動き回ってはどうしても音を発してしまう。金属製のヘリポートにいるのは牙炎と冴島の2人だけである。移動することで発する足音は湊大地の足音だけだった。
殺気や音などに鋭敏な牙炎の感覚は冴島を追い詰めるには十分な能力だった。
避けているつもりだが腕や脚、そして胴体部分に牙炎の切っ先が少しずつ触れて迷彩機能の戦闘服だけでなく肌も切り裂き始めていた。滲み出した血によって部分的に迷彩機能が少しずつ損なわれていく。
牙炎はかなり冴島の位置を適切に掴めるようになっていた。横8の字の大剣の軌跡を変化させて縦や真横、そして斜めへ振り抜くなど太刀筋に変化を加えることで、冴島に剣の軌道を読ませないようにする。
・・・こいつ、俺の位置がわかるようになってきたな。しかも近距離でも魔術に反応して無効化されてしまう・・・
冴島は攻め手を考えていた。そして安全なマージンをとっているだけでは、夜叉よりも強いこの男には勝てないと思った。
・・・斬魔刀の内側へ 鎧の耐魔術防御の向こうへ・・・
冴島はつま先を使って方向転換すると縦に振り下ろした斬魔刀の横をすり抜けるようにして牙炎との距離を一気に詰めた。
足音と人間一人が近づく時に発する圧のようなもので、牙炎は冴島が近づいてきたことを認識した。
水平方向右側に大剣を振ると握っていた左手を離し、右手一本で上方に振り上げると左手を再び握って左下方に向かって振り下ろし、そこから横8の字の軌跡で剣を振り回す。
凄まじい速度で振り回される長い大剣の動きに翻弄され近づいても再度距離を置かなくてはならず牙炎に全く近づけなかった。
・・・このまま奴の体力の消耗を待つか・・・
冴島の思考を読んだかの如く、牙炎は言葉を発した。
「化外剣闘士の体力を甘くみるなよ。俺たちは魔力を込めて剣を振る修行を、子供の頃からひたすら繰り返してきているんだ。疲れるのを待っても無駄だぞ」
確かに牙炎の言う通り、剣速は衰えず全く変わらないように見える。何度か接近と退避を繰り返し、冴島は覚悟を決めた。
一歩後ろに後退してから、バスケットボールのステップでフェイントをかけるような足捌きで左右に小刻みに足を動かして音の撹乱をすると、冴島は右に移動して牙炎の足元に乙位階の土系魔術を発動した。金属の床が波打ち、棘状の鉄の槍が床から生えるようにして牙炎目掛けて突き出された。
牙炎は後退しつつ斬魔刀を少し下向きの右薙の太刀筋で水平に斬りつけて金属のスパイクを切り裂いた。ヘリポートの床に展開されている惨跛の術の魔術陣は、床が激しく変形することで術を維持できなくなり青白く光る魔術陣は明滅を繰り返した。
冴島は牙炎の左手側から近づいた。牙炎の右手側に大きく振るわれた大剣が自分の方に向けられるほんの少しの時間を魔術とステップで稼いだと思った冴島だったが剣の返しはあっという間だった。逆方向への横薙ぎの太刀筋を腰を曲げ背中の後ろで避けたと思った直後に背中に重い一撃が加えられた。
牙炎は金属のスパイクの角度と剣を振るう方向から冴島が左側から近づいてくることを読んでいた。スパイクを切り裂いた逆方向の横薙ぎの太刀筋を冴島が接近してくるであろう位置の真上で方向を変えて真っ直ぐ下に切り下ろす。振り下ろす距離が短い分、威力は弱いが敵を負傷させるには充分だと思った。
冴島の身を隠していた迷彩機能が突如機能しなくなり、床に四つん這いになっている冴島の姿が露わになった。大剣は冴島が着ている戦闘服の肩甲骨中央付近にある楕円形の物体に斬魔剣が食い込んでいた。この物体のおかげで湊大地の肉体が負傷することはなかったが、エネルギー供給が行われなくなって迷彩機能が停止したのだった。
「次元動力炉を使った迷彩機能付きの戦闘服だな。地上にはそんなもの無いはずだし、高威力の魔術を使うところを見てもお前はやはり追手のようだな」
金属の擦過音と部品が軋む音がして斬魔剣が引き抜かれる。牙炎は大剣を振り上げると同じ場所に振り下ろした。冴島は右方向に体重を移動すると、回転するようにして横方向に逃げようとした。
自らの魔術で床から生えているスパイク状の金属がある方には逃げられないため、自ずと逃げる場所は限定されてしまう。横向きに回転したところに牙炎の斬魔刀が振り下ろされる。
斬魔刀が金属の床に叩きつけられるようにして火花を散らしながら切っ先が食い込んだ。冴島はなんとか致命傷になる傷を負わずに済んだが、右側に回転する際に開いた状態で遅れた右腕は間に合わなかった。龍髭刀を握った右手首を斬撃によって切断されてしまった。
「ぐっ!」
冴島は即座に右手の上腕から先の痛覚を魔法で遮断したが、切断面の修復は魔法は使わずに魔術で細胞の自己修復速度を加速するだけにした。
即座に跳ね起きると牙炎から遠ざかるように数歩後退したが牙炎の斬魔刀は追撃を緩めなかった。
冴島は湊大地の手首から先がない右腕を迫り来る斬魔刀に向かって前方に向けて突き出した。斬魔刀は切断面に垂直に腕を縦に切り裂くようにして腕を縦に引き裂いていく。刃が肘に到達する直前に右肘の辺りに薄黄色い文字のようなものが飛び交った。
斬魔刀が肘まで腕に食い込んだ時だった。そこで急に固い物にぶつかったように斬魔刀の動きが止まった。
「何?」
人間の腕の硬さとは思えないほどの硬度のものにぶつかりそれ以上切り裂くことができなかった。
「身体の表面全体の強度を高くしたら関節部分が動かなくなるから有効な方法ではないのだが、部分的に硬くするのは難しくないし使えるんだよな」
冴島は上腕部分を剣では切断できないほどの高強度の物質に魔法で変質させていた。
「まさか...貴様、魔法師だったのか...」
「魔法師とか法術士とか色々呼び名があるみたいだが、俺は魔法使いという呼び名が気に入っている」
縦に真っ二つになった冴島の腕の周囲を薄黄色い文字のようなものが再び飛び交うと、腕は瞬く間にくっつき、切断された手首から先も生えるように修復された。肘部分に斬魔刀が突き刺さったような状態である。冴島は再生された右手で剣を握る牙炎の右手首を強く握った。
「これで斬魔刀は使えないな」
牙炎が斬魔刀の柄を引っ張っても湊大地の腕から抜けなかった。
「魔法師ならなぜこんな回りくどい戦い方をする! 法術を使えば俺たちなど...」
「ああ、言い忘れてた。俺は魔法使い見習いなんだ。治癒系の魔法と身体強化みたいなのしかうまく使えないんだよ」
冴島は牙炎の手首を掴んでいる右掌から直接電撃の魔術を手甲の内側に発動させた。
「ぐあっ!」
牙炎の手に電撃が走る。衝撃の強さによる激痛と衝撃で牙炎は身動きできなくなっていた。そして電撃の衝撃で筋肉は収縮し、斬魔刀の柄をさらに強く握りしめて手を離せなくなっていた。
「ゼロ距離なら斬魔刀も魔術防壁機能つきの防具も関係ないだろ?」
冴島は左腕に掴んでいた龍髭刀で、電撃の衝撃で身動きできない牙炎の両方の前腕を切り落とした。何の抵抗もなく腕から切り離された両手首は。斬魔刀を握ったままだった。
「化外剣闘士は手首から先を無効化すれば沈黙させられるんだったな」
化外剣闘士は魔術を無効化する斬魔刀と手甲の拳部分に突き出した爪以外の攻撃方法は存在しない。要するに手首から先を使えないようにすれば攻撃手段が実質なくなってしまうのである。
両手首の動脈から真紅の血液が迸ったが牙炎の腕の周りに薄黄色い記号の様なものが閃くと出血が止まり傷が塞がれた。だが、手首が再生されることはなかった。
「出血多量で死なれても困るからな。だが、身動きできないような負傷は負ってもらうぞ」
突然、牙炎が口から血を吹き出した。
切断された手に逆手で握られた龍髭刀が牙炎の背中に突き刺さり防具を突き抜けて鳩尾の近辺から切先が突き出ていた。
「異能力はこうやって結構うまく使えるんだが攻撃系の魔法は法力の使い方が繊細で難しいんだよな」
冴島は異能力の念動力を使ってヘリポートの床に落ちていた龍髭刀を右手ごと引き寄せて牙炎の背中に突き立てたのだった。
「これぐらいなら死ぬこともないだろう」
冴島はそう言うと、左手の龍髭刀で斬魔刀が突き刺さっている右手上部を切断した。痛覚を遮断して治癒しながら切断した上腕からは血液が迸ることもなく、瞬時に腕が指先まで再生した。
「魔法というのは便利なものだな。肉を切らせて骨を断つという戦法を躊躇しないで使えるんだからな」
牙炎は痛みと雷撃の衝撃で立っていられず膝をついた。
冴島は牙炎を見下ろして勝利を確信した。
「お前が魔術師を殺してくれて助かったよ。今の俺じゃ魔術師と化外剣闘士を同時に相手をするのはかなり無理があったからな」
左手に握った龍髭刀の切っ先を、膝をついた牙炎の目の前に突き出した冴島は応えを得ていない質問を再び繰り返した。
「もう一度質問する。なぜ、惨跛の術を使った? 葛木武尊はどこにいる?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます