第11話

 尾上おのうえはヘリポートに一刻も早く行くことで、ここにいる4人が助かる可能性が高まることを冴島に力説していた。

 冴島さえじまはいい加減、尾上の存在が邪魔になりつつあった。愛梨あいりの居場所を知ることができたのは、この男のお陰だったがもう必要なくなっている。どうすべきか考えながら愛梨の方に視線を移すと、やたらと沢田伊吹さわだいぶきと目が合った。彼女と街ですれ違ったら、普通の男ならばほとんどの男が振り返るほどの美人だと冴島は思った。男性だけでなく女性でも美人や可愛いと思うだろう。160センチぐらいでスリムな体型だがスタイルも良く、少しウェーブがかかった長い黒髪の正統派の小顔美人である。湊大地みなとだいちと同年齢ぐらいだろうか。自分がそのぐらいの年齢だったら伊吹いぶきの視線が気になって気もそぞろになってしまったりするのだろうか、などと考えてしまう。だが、肉体は若くても心は54歳であり、ついこの間までいつ死んでもおかしくない病人だったのである。しかも、戦場に似た生死がかかっている今の状況では生存本能が強まり、冴島は女性のことなど全く気にならなかった。生存本能と国防軍人としての誇り、そして大事なものを守りたいという強い心。それが冴島という生命体の精神と肉体を支えていた。とは言っても、今の肉体は鍛え方の足りない借り物であったが...。



「さて、まずはここを安全な場所にしよう」


 冴島は控え室のドアを開けて外に出ると、首を切断されて脳が破壊されていないゾンビの頭に対して惨跛ざんびの術の解析を行った。

 愛梨たちの脳で待機していた術が簡単に解除できたから予想はしていたが、思った通り惨跛ざんびの術は基本の術がかけられているだけだった。本来であれば術をかけた魔術師の名前などを暗号化して術式にまぎれ込ませて簡単に惨跛ざんびの術が解除されないようにするのが一般的であるのだが、そのようなことはしていないようであった。しかも、この術は活動期限が28日に設定されていた。


 ・・・魔術を知らない地上が対象だったから基本のみなのか。それよりもなぜ期限を設定している?・・・


 冴島は記憶を探って自分で考えるのではなく、頭の中にいる擬似人格の宿禰すくねに聞いてみることにした。


「おい、宿禰すくね。なぜ、期限が設定されていると思う?」


 独り言のように呟くと、頭の中に擬似人格の宿禰すくねの声が響いてきた。


惨跛ざんびの術は相手を完全に殲滅せんめつする目的以外は期限を設定するのが普通だ。相手に一定の打撃を与えることが術の目的なのだとすれば、どこかの時点で術を解除しなくてはならない。その場合、期間を決めることで被害を与えた後に術が勝手に消失してくれるから解除の手間が省ける利点がある。だが、打撃範囲を状況を見ながら判断する場合にいては、術に期限を設定せずに被害状況の範囲を確認してから、魔術師が必要に応じて解除の魔術を広範囲にかけるわけだ。地上を全滅させるつもりはないのだろうが、それ以上は判断材料が少なくて仮定すらできない】


「28日という期間に地上を混乱に陥れて、一定の被害を与える必要があるということか...」


 擬似人格の宿禰すくねから返事はなかった。




 術に期限が設定されている理由を考えながら、冴島は愛梨あいりたちがいる部屋の周辺にゾンビが近づくと惨跛ざんびの術が解除される術を仕掛け始めた。それが終わるとこのフロア全体に惨跛ざんびの術の解除術をほどこした。しばらくの間はゾンビが愛梨に近づくことはないようにすると、部屋に戻り愛梨と伊吹に声をかける。

「このフロアのゾンビは全て無効化しました。この部屋に近づくとゾンビの術が解けるようにしたから安心してここに閉じこもっていられます」

 自分の身の安全が確保できたことで2人の身体から力が抜けたように感じた冴島は、

「ご家族に連絡した方が良くないですか? 携帯が繋がるかわからないですけど連絡したらどうでしょう?」

と、2人に提案した。

 2人は冴島の意見を聞いて、ハッとして各々スマートホンで家族に連絡を取ろうとした。

「ちょっと待って!」

 電話をかけようとする2人を冴島は静止した。

「今、日本ではこのゾンビ騒動は東京と仁徳天皇陵にんとくてんのうりょうが中心地になっています。このゾンビの術は風に影響を受けますが、基本的に同心円上どうしんえんじょうに広がっていきます」

 愛梨はスマートホンの住所録から大阪にある実家の電話番号を検索しながら問いかけた。

「それじゃあ遠い場所に住んでいる人達や、東京と大阪から離れたりすれば安全なんですね」

「必ずしもそうではないです。ゾンビにはなっていないけど東京で術が脳に潜伏せんぷくしている状態で、地方に移動してそこで交通事故などで死亡したとします。その場合、そこでゾンビになって人を襲い始め、そこが起点となって広がっていきます」

「それじゃあ結局はどこも安全じゃないんですね...」

 伊吹が不安そうに呟いた。

「この術自体の拡散スピードはとてもゆっくりなんです。一気に広がるよりもゆっくり広がることで恐怖心をあおる効果が期待されるからです。まだ術が発動して数日しか経っていないことを考えると、術自体はそんなに広がっていないでしょう。関東近郊の県の人や仁徳天皇陵にんとくてんのうりょうから離れた場所にいる人は術が届いてないし、すぐにそこから離れれば被害にう確率はかなり減るはずです。そして移動先で人と接触しないように立てもるんです」

 伊吹いぶき湊大地みなとだいちの顔を見ると、

「あの、私の家族は千葉県に住んでいるんですけど...」

「それならギリギリ間に合うでしょう。急いで北に逃げるように伝えてください。いっその事北海道まで行ってしまえばより安全だと思います」

みなとさん、私の家族は大阪に住んでいるんです。仁徳天皇陵にんとくてんのうりょうからはかなり離れていますけど...」

 愛梨の言葉に冴島はの居場所が大阪だと知った。


・・・今は大阪に住んでいるのか。実家は熊本のはずだが・・・


 だが、それを知っても冴島には特に感じるものは何もなかった。

「それだったら九州に逃げ込むのが良いでしょう。どうせだったら鹿児島辺りまで行ってしまえばさらに安全だと思います」

 愛梨と伊吹の様子を見ると、2人は家族に一刻も早く電話をしたくてウズウズしているようだった。

「それから移動先で4週間ぐらい閉じこもっていられるぐらいの食糧と飲み物を確保するように伝えてください。この術はあと25日ぐらいで無効化されるからです」

「期間があるんですか?」

「理由はわからないですけど、この術には期限が設定されていました。その期間を耐えればゾンビはいなくなるし、脳に待機状態の術があったとしてもそれも消失します」

 その言葉を聞いて2人は自分の家族に電話をかけ始めた。

 冴島はふと尾上を見ると、彼は家族に電話をしようともせずに何かを考えている様子だった。


 愛梨と伊吹が家族への電話をし終わるのを待っている間、冴島は惨跛ざんびの術が展開されているであろうヘリポートへ行く時に、愛梨がついてこようとしたらどのようにして思いとどまらせるかを考えていた。ゾンビの来ない場所を作っても、ヘリポートに行って国防軍が助けにくるのを待とうとするかもしれないし、自分と一緒にいることが一番安全と考える可能性もあるからだった。

 だが、愛梨あいりは自分のことをまだ信用はしていないだろうと冴島は思っていた。それはそうだろう、知らない人間が命をかけて自分を助けに来てくれるという理解に苦しむ胡散臭うさんくささ。何かをたくらんでいると思っても不思議ではない。だとすれば、この部屋でおとなしく待っていてくれるかもしれない。ヘリポートで武尊たけるの魔術師たちと戦闘になる可能性は否定できない。愛梨を連れて行くことはできなかった。

 だが、さらに考えなければいけないのは、ヘリポートの惨跛ざんびの術を解除した後に愛梨をどうするのか。それも悩みの種の一つだった。惨跛ざんびの術の影響を受けないようにしたとはいえ、ここに愛梨を置いていくことはできない。それではどこに避難させるのか。答えが頭に浮かぶことはなかった。


 伊吹は電話を終えると思索しさくしている湊大地みなとだいちを見つめていた。なかなか電話がつながらなかった家族との電話を終えた愛梨が視線を辺りに移す。伊吹が湊大地みなとだいちのことを見ていることに気がついた。

 愛梨は伊吹にだけ聞こえるぐらいの小いさな声で、

「イブさん...もしかしたらみなとさんのことタイプだったりします?」

「えっ? そういう風に見える?」

 伊吹はちょっと驚いた顔をする。

「はい、ずっと見てるじゃないですか。いつものイブさんと雰囲気違うし」

 伊吹は少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「命を助けてもらったからなのかな...すごく気になっちゃう」

「でも、何者か全然わからないんですよ? 銃を撃ちまくって魔法を使うとか...それにゾンビのことやけにくわしそうだし。怪しさ満載まんさいですよ、あの人」

「だけど助けてくれたじゃない。愛梨ちゃんのこと助けに来てくれたんだよ?」

「でも、私、あの人とは初対面ですし、助けるように頼んだ人だって名前も聞いたことないんです。何か企んでるんじゃないかって思っても不思議じゃないですよね」

「愛梨ちゃんは湊さんのことカッコいいと思わない?」

「う〜ん...私、イケメンな人ってタイプじゃないし...」

「愛梨ちゃんは一目惚ひとめぼれとかじゃなくて、中身重視だもんね。でも、私だって同じだよ」


 伊吹は小さく笑いながら愛梨の顔から視線を湊大地みなとだいちに移した。

 家族には北海道の方に逃げるように指示をしたし、今いる場所を湊大地は安全なところにしてくれた。少し気が楽になると、彼と話をしてみたくてウズウズしてきた。愛梨にも言われたが湊大地みなとだいちを意識し始めているのがわかる。助けたからといってえらそうにするわけでもなく、言葉遣いも丁寧ていねいで優しい雰囲気をしているが、背も高く筋肉質で元軍人で強そうでもある。しかも魔法といった不思議な力を持っている。一緒にいたら頼れる存在であることは確実だった。

 自分は面食いではないと思っているが美男子が嫌なわけではない。伊吹は湊大地みなとだいちに興味津々で、彼と話をしたくてたまらなくなっていた。

 ゾンビに噛まれた傷が治るどころか新しくなった腕を治した魔法について質問をしたら大地だいちは反応してくれるかもしれない。伊吹は自分を助けてくれて、この後も助けてくれるかもしれない不思議な能力を持った好みのタイプに近い男性ともっと話をしたいと思った。


「あの...みなとさん、治った腕のことを聞いても良いですか?」

「ええ、良いですよ」

「この腕に仮に手術あとみたいなのがあったとしたら、治った腕から手術あとは消えてなくなるんですか?」

 冴島は伊吹の疑問に感心した。

「沢田さんは着眼点が素晴らしいですね。その場合、2つのパターンがあるんです」

 冴島は右手でVサインを作り、2つパターンがあるというのが可視できるようにした。

「2つのパターン?」

「ええ、2つあります」

「あの、なんだか敬語みたいなのだと話しづらいし普通に話してください。年も近い感じですし、私、仕事以外はそういう方が落ち着くので」

「わかりました。それじゃあ、少しくだけた感じで話そうかな。まず、1つは遺伝子情報から腕を再生した場合、遺伝子には手術あとの情報は存在しないから、再生した腕から手術あとは消え失せる」

「手術は後天的なものだからですね」

「その通り。もう1つのパターンは...皆さんは知り得ないことなのですが、別次元にある自分の鏡像体きょうぞうたいもとにして身体を再生する方法」

「別次元...?」

「私たち生命体は別次元に自分の魂や記憶、肉体の情報が保存されていて、それらが次元をまたいで私たちの肉体と細い糸のようなもので強固につながっています。鏡像体きょうぞうたい...ミラーコピーというのがわかりやすい説明かもしれないかな」

 冴島は少しずつ他人行儀たにんぎょうぎな話し方から、友達のような話し方に寄せていった。

 尾上は何を言っているのか理解できないという顔をしながらも興味があるのか真剣に聞いている。

「その別次元のミラーコピーは定期的に情報が書き変わって、身体が成長すればミラーコピー側も成長に合わせて更新されるし、記憶も同じように新しいことを覚えれば更新されていくわけです」

 伊吹が何か思いついたような顔をした。

「わかりました! 手術をした後の情報がミラーコピー側に更新された後にミラーコピーを基に腕を再生したとしたら、再生された腕には手術痕が残るわけですね」

 普通の女性なら必ず美男子というであろう湊大地みなとだいちの顔が微笑んだ。

「正解!」

 伊吹は得意げな顔で嬉しそうに微笑んだ。

「その生命体が死ぬと、その強固な糸が切れるのですか?」

 尾上は理解が及ばないながらも思索しさくすることで冴島が語っている生命の秘密を推理しようとしていた。ゾンビ達があふれかえっている世界にも関わらず、未知なる生命の秘密に触れられて尾上は知的好奇心で質問していた。

「そうです。生命体が死ねば肉体は滅びます。そうなると肉体のミラーコピーは削除されて次元をまたいでいた強固な糸は切断されます。ですが別次元の記憶や魂は消滅せずに残り続けます。そして新しい生命が生まれると別次元で孤立している魂と記憶が新しい生命と強固な糸で接続されて肉体のミラーコピーが新たに作成されるわけです。この時に記憶内容は削除されて新しい記憶が保存されていくのですが、まれに記憶が削除されないことがあるようです」


輪廻転生りんねてんせいとか言われているようなことは、その仕組みが関わっているのでしょうね」

「そうなのかもしれないですね」

「でも、どうしてそんな風になっているんですか?」

 伊吹が不思議そうな顔をして冴島に訪ねた。

 もっともな疑問だった。

「それは俺を含む魔法使いや魔導師という人たちも誰も知らなくて、その仕組みを魔法を使って利用できるということを知っているだけなんだ」

「でも、そういう仕組みで失われた腕が簡単に元に戻るのだったら死んだ人も生き返らせたりできそうですよね...」

と、愛梨あいりが独り言のように呟いた。

「俺は見習い魔法使いだし、死人を生き返らせる魔法は知らないなぁ。それにそんな魔法があっても禁忌きんき扱いされてそうだし...もしかしたらゾンビになって死んだ人を生き返らせられないかって思ってる?」

 愛梨にも友達のような感じで話しかけてみる。なるべく図々ずうずうしくならないように気をつけながら距離感を近づけようとする。

「はい、職場で仲が良かった人もたくさん目の前でゾンビになって死んでしまったから...」

 冴島は湊大地みなとだいちの顔で真面目な表情を作った。

「でも言えることは、それをやったら全員生き返らせなければならないということかな」

 尾上は訳知わけしり顔で頷いた。

「生き返る人を選別することになるかもしれないということですよね?」

「そういうことです。それと法力ほうりきという魔法のもとになる力のみなもとみたいなものを人間が扱う量にも限界があるからです。まあ私は死んだ人を生き返らせる術は知らないから、やりたくてもできないですけどね」


 そのように言うと、冴島は頃合いと判断してヘリポートへ向かうために立ち上がった。

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