第10話
冴島は階段室から出る前に
冴島は迷彩機能はオフのまま、防壁も展開しない状態で大きな音を立てて非常扉を開けて15階の通路に現れた。その音を聞きつけてゾンビ達がドアの前からこちらに全速力で駆けてくる。尾上は冴島の後ろにいて迫ってくるゾンビ達の姿を見て引き攣るような悲鳴を上げた。
先ほどと同じように二つの風の
・・・さっきの魔術は威力が強すぎたな。
先ほどとは異なり細い隙間を風が吹き抜けるような高い風音がした。目に見えない風による気圧変化でカマイタチが発生し、通路の左右の壁に2本の裂け目が前方に向かって走っていく。手前のドアが真っ二つになり壁に切れ目が入っていった。
術の範囲を狭くなるように制御すると壁面に裂け目がつかなくなった。通路ギリギリの幅で目に見えない
冴島は小銃を構えると、左側の通路を早足で突き進んでいった。尾上はその後ろを少し離れてついていく。
ドア横のボードに名前が印刷された紙が挟まれている。先ほどの術でボードは中程から切断され紙はくしゃくしゃになっていた。かろうじて安藤正雄という名前が読める部屋の前に来た。
「その部屋だと思います」
背後から尾上が冴島に声をかける。
冴島はドアをノックした。
「
ドアの奥で重いものを動かす音がした後に鍵を外す音がして数センチほどドアが開いた。ドアの隙間からテレビの情報番組で何度も見たことのある
「こちら側の通路のゾンビは倒してるから安心してください。怪我はしてないですか?」
冴島の後ろに尾上が立っているのに気づき開けて大丈夫だろうと判断したのか
真っ青な顔色をしているが神前愛梨は無事なようだった。闘う術を持たない女性が助かる確率は凄まじく低い。冴島は愛梨の異変を察知してすぐに部屋に閉じこもった判断力と幸運に救われた思いだった。
「はい、私は大丈夫です。でもイブさんが...」
部屋の中を振り返る愛梨の視線の先には右手首近辺に血で染まったタオルを巻き付けている女性がいた。愛梨より少し年上に見える細身の女性で、冴島が病室で見ていたニュースによく出てくる報道系の女性アナウンサーだった。
「ひどい怪我をしてるじゃないか」
冴島の背後から部屋の中を覗き込んだ
「静かに。このフロアのゾンビは全部倒していないから音はなるべく立てないようにしてください」
しまったという顔をした尾上は手のひらを口に当てた。
「中に入っても良いですか?」
冴島は周囲を伺うと低く感情を抑えた声で
「はい、大丈夫です」
先に尾上を部屋の中に入れると、冴島は小銃を廊下側に向けて背中からドアの隙間をくぐり抜けてドアをゆっくり閉めた。ドアの裏側にはバリケード代わりに移動したと思われる控え室に備え付けの空のロッカーが置いてあった。なんの役にも立ちそうになかったがドアの鍵を閉めてから、そのロッカーをドアに押し付けるように配置した。
「傷を見せてください」
冴島はイブと呼ばれた女性に近づいた。控え室の椅子に腰掛け血の気の引いたような青白い顔をしていたがニュースで見ていた以上の美人の女性だった。首からかけている社員証には
「沢田君、その怪我は?」
「私を助けようとしてゾンビに手首を噛まれたんです...」
「それじゃあ沢田君も...」
「私、ゾンビなんかになりたくないです」
目に涙を浮かべ
冴島は血染めのタオルを手首から剥がした。小指側の
「噛まれてどのぐらい経ってますか?」
愛梨が、
「30分ぐらいです...」
と答えた。
「それならまだ大丈夫だ」
ゾンビに噛まれることで体内に侵入する
・・・30分ぐらいならまだ肘に到達していないだろう・・・
「沢田さん、聞いてください。痛くないようにしますけど精神的な衝撃が大きいと思うので私が良いというまで目を閉じて絶対に動かないでください。音にも反応しないでください、できますか?」
「あの...私、助かるんですか?」
冴島は
「俺のいう通りにしてくれれば大丈夫です。ですが言ったとおり、直視に耐えられないでしょうから目を閉じて動かないでください」
冴島は沢田伊吹の怪我をしている右手を真っ直ぐに伸ばすと、左手で伊吹の手首の上の方を軽く掴んだ。
沢田伊吹は唇を噛むようにして目を閉じる。
右手の小銃を床に置くと、冴島は左腰の
痛覚を遮断する魔法と治癒魔法を同時に
痛覚を遮断する魔法は散々練習してきていた。瞬時に法力を練り上げて対象の場所の痛覚を遮断できなければ凄まじい痛みで戦えなくなってしまうからである。
淡い薄黄色い光に包まれた
上腕の切断面から大量の血が噴き出したが床に落ちるどころか空中で静止し切断面に戻っていく。そして切断されたはずの腕が切断面から生えるように腕が伸びていくと、20秒程度の時間で
「もう目を開けて良いですよ」
冴島に言われ、沢田伊吹は目をゆっくり開けた。服の袖がなくなっているものの、ゾンビに噛まれた傷どころか血さえついていない右手が彼女の目に入ってきた。
「えっ...嘘...どうやったらこんなこと...」
驚きを隠せない
「きゃーっ!」
伊吹の大きな叫び声が部屋の中に響いた。その声に呼応するかのように、この部屋が接している廊下の向こう側の通路の方からゾンビ達が音の発生源に向かって押し寄せてくる音がドアの向こうから聞こえてきた。
「声を出さないようにと言うの忘れてました」
冴島はそう言うと
引き金を引く指を離すと、辺りは静寂に包まれた。控え室側にはゾンビは一体もいなくなったが、向こう側の廊下に面しているオフィスルームのドアの向こう側にはゾンビが何十体も
冴島は
「まともなドアのある控室に移動しましょう」
そう言って、ボロボロになったロッカーを片手で引き倒し、ボロボロのドアを蹴破った。
廊下に出ると動かなくなったゾンビ達が折り重なるように周囲に大量に転がっていた。まさに
突然動きだして噛まれたりしないように他の3人に魔術防壁をかけることは忘れなかった。
斜向かい(はすむかい)のドアが壊れていない控室に4人で入ると鍵を閉めて一息つくと、各々が椅子やソファーに腰掛けた。
「これで少し落ち着けたかな?」
冴島は怖くならないように優しく愛梨に語りかけた。小柄で小動物のような可愛らしい感じの愛梨の大きく黒目がちの目が冴島の...いや、
「あの...まずは助けていただいたことのお礼をさせてください。ありがとうございます。イブさんもゾンビにならなくて済んだみたいですし...」
その言葉を聞くとふと思い出したように、沢田伊吹が冴島に向かって頭を下げた。
「さっきはありがとうございます。すぐにお礼を言わなくてはいけなかったのに。それと、驚いて大きな声を出してしまってすみませんでした...」
「あの状況では驚いて当然です。気にしないでください。そんなことより右手の具合はどうですか?」
「全く違和感ありません...あの、これはどういう...」
どのように質問したら良いのかわからないといった複雑な顔をしている沢田伊吹を見ていると、自分が湊大地と入れ替わったり魔術や魔法を初めて見た時の自分もこんな感じだったのだろうと思い、失笑しそうになった。
・・・さて、なんと説明したら良いのか。だが、嘘で誤魔化すことは難しいだろうな・・・
「信じるかどうかはわからないですけど、あなたの腕は魔法で修復しました。あ、皆さんがゾンビにならないようにする魔術をかけておきましょう」
冴島は
「これでゾンビに噛まれてもゾンビにはならなくなりました。それからゾンビに関係なく死んだとしてもゾンビとして復活しません」
「あなたは、何者なんですか? 魔法を使えて、しかも銃を持っているし...国防軍の方ではないんですか?」
青白い光に包まれた自分の身体をさするようにして異常がないか確かめながら、尾上が冴島に質問した。
「俺は
愛梨は不思議そうな顔をした。
「あの...どうして私なんでしょうか? さっき電話で話した時に聞いた冴島さんという人を私は知らないんですけど...」
「俺も詳細は知らないです。でもすごくお世話になった人だから恩返しのためにあなたを救いに来ただけなんです」
「でも、こんな危ないところに来て助けてくれるなんて普通じゃないですよね」
・・・本当のことを言うことはできない。なんて言うか考えてこなかったのは失敗だったな・・・
冴島は、もう一つの目的をふと思い出した。
「正直に言うとついでだったんです。このビルの上にあるヘリポートに用事があったんです」
確かにヘリポートにも用事があった。
冴島のその発言に
「そうか、国防軍が救助に来てくれるかもしれないですよね。ヘリポートで待っていれば...」
尾上はヘリポートで待っていれば国防軍がヘリで助けに来てくれると思っているのだろう。
この3人の命は冴島の次の行動にかかっていた。だが、
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