第7話

 この場所が術の発動した中心地点だとしても、惨跛ざんびは脳で待機している状態で対象者が死亡して発動するか、ゾンビに怪我を負わされて展開した術が体液に乗って脳に辿り着かなくてはゾンビにはならない。要するに死体が存在しなければゾンビにはなり得ない。NTBSの本社ビル周囲で死体なければいくら中心地点でもゾンビはいない筈だった。だがNTBSビル周囲にあるシアターや複合施設にはたくさんのゾンビが蠢いていた。

・・・この近辺に大きな病院があって、そこで死者が出たのか、それとも斎場があるのか、もしくは交通事故で死者が出たのか・・・

 冴島のタクティカルブーツの靴底は柔軟性があり最低限の靴音しかしなかったが走る音に反応したゾンビたちが冴島の方を振り返った。警察の機動隊や警備員の制服を着たゾンビが混ざっていた。テレビ局と周囲の警備をしていた者達も惨跛ざんびの術に巻き込まれているようだった。

 構えた小銃のセレクターを実弾に変更し、もう一つのセレクターのア・タ・レのアからタに切り替える。”ア”は”安全”、”タ”は”単発”を意味する。引き金を引き絞るとくぐもったような小さな音がして実弾が1発だけ発射された。池袋の百貨店屋上で試した時のようにゾンビの頭部に命中した弾丸は大きな射出口を反対側に作り、軟組織と骨のカケラ、毛のついた皮膚が吹き飛んだ。1発目で頭部を破壊されたゾンビが倒れるより早く、冴島はトリガーを数度引き絞る。走りながらでも狙い通りに銃弾はゾンビたちの頭部に命中していった。ゾンビが倒れる音や冴島の走る音に次々とゾンビたちが反応し、冴島に向かって駆け寄ってくる。死体とは思えないスピードで走っているのを見ると実は生きているのではないかと思えるほどだった。

 へそより少し下の丹田たんでんと言われる場所に意識の一部を移す。宿禰すくねによって湊大地の脳は徐々に覚醒されており、意識を複数分散できるようになっていた。周囲の状況を確認しながら走る、狙いを定めて銃を打つ、丹田たんでんに意識を移す、この3つの事をはっきりと別作業として認識しながら冴島はそれぞれの制御ができていた。丹田たんでんは身体の中心を走る龍脈りゅうみゃくにつながる7つの重要な龍脈孔チャクラの1つである。今開いている冴島の龍脈孔チャクラは眉間、丹田たんでん、そして右てのひらの3つだけだった。心臓部分にあたる胸の中心は活性化が終わっていたが未だ開く気配を見せていない。

 丹田たんでん龍脈孔チャクラが温かくなる。別次元のエネルギーが龍脈孔チャクラに流れ込み、法力に変換されているのを感じた。かまいたちを作り出す風魔術と物理的な防御をする物理防壁の魔術陣を記憶から引き出しながらゾンビの眉間に小銃の狙いを定め引き金を絞った。





4日前、


宿禰すくねの記憶を見てもらえば良いのでしょうけど、私から説明するように言われているので説明しますね。まず覚えて欲しいのは魔術師は魔力を、魔法使いは法力を作り出すことができます。でも魔術師は法力、魔法使いは魔力を作り出すことはできません。ですから魔術師は魔法を使うことはできないんです」

 加多弥かたみは特訓の前にこのような説明をしていた。

「その言い方だと魔法使いは魔力を作れないが魔術は使えるということなのですか?」

「はい、その通りです。法力は魔力の上位に位置しています。互換があると考えてください。ですから魔法使いや魔導師は法力で魔術を発動させることが可能なんです」

「魔法使いと魔導師は何が違うのですか?」

「魔法使いは私や冴島さんのように誰かが作った魔法を使うだけの人たちのことです。魔導師は宿禰すくねのように魔法を使えるだけでなく、魔術や魔法を創る知識や技術を持っている魔法使いのことを言います。魔法使いは正確には魔法師という呼び名が別にあるのですけど魔法使いっていう人が多いですね。それから私と話をするときはもっと砕けた言葉遣いにしてください」

 阿修羅と言われる青年とヒューマノイドの綿津見わだつみは必ず加多弥かたみと行動を共にしている。

阿修羅は冴島には興味がないという顔をして加多弥かたみの説明を聞いていたが、加多弥かたみが砕けた言葉使いをして欲しいと言った時には冴島を睨むような表情をした。綿津見わだつみは冴島が加多弥かたみの説明をどの程度理解できているのかを知ろうというような顔をして冴島の顔を見ていた。

「言葉遣いはもう少し馴染めた頃に少しずつ変えていきましょう。それにしても、現国王は優秀なんですね。それでなくても魔法使いは少ないみたいですし、その中で魔導師になれる人は限られるのでしょうから」

 その言葉には敢えて触れずに、加多弥かたみは魔術と魔法の説明を続けていく。宿禰すくねが国王になったことが今回の事件の発端だけに国王のことにはあまり触れたくないのかもしれないと冴島は思った。

「魔術は詠唱文か魔術陣に魔力を流し込むようにして術を励起れいきします。術ごとに必要な魔力量は決まっていて、それ以下では術は発動せず、余分な魔力を加えたとしても威力は変わりません。それから魔術の発動は詠唱しても魔術陣を使っても威力は同じです。まず詠唱文を使う場合、言葉に出しながら魔力を術に流し込むようにして術を励起れいきしていきます。魔術陣を使う場合、術式から展開した魔術陣に魔力を流し込みます。詠唱文や魔術陣の両方とも、紙に書いてその線の上に魔力を流し込むようなイメージを持つと良いと思います」

 学校で教えるテキストのようなものがあるのか、綿津見わだつみが冴島の眼前上部に加多弥かたみが説明している内容の図を表示させている。

「なるほど...」

「その線の上には一定の厚みの魔力しか留置できないと思ってください。たとえば、インクを吸収しない紙にインクで文字を書くことを想像してください。表面張力で書いた文字が保持されると思いますけれど、表面張力を超える量のインクが使われれば文字の線は広がり文字として認識できなくなるでしょう。このインクのたとえのように文字として認識できないほど魔力を流し込んだ場合、術は発動しますけれど魔力の無駄遣いになります。ですから魔力を流し込んで術が励起れいきして発動する直前に魔力を流し込むのを停止してください。あ、冴島さんは魔法使いですから魔力ではなく法力ですね」

 眼前にある図を見ているので冴島は加多弥かたみの言っていることがなんとかイメージできていた。

「詠唱する言葉や魔術陣は記憶にあるからそれを使えば良いわけですね」

「はい、でも詠唱や陣を描いていたら時間がかかってしまいますから無詠唱で術を発動できるようになって頂きます。大多数の魔術師は術を詠唱するか、既に描いた魔術陣を携帯したり、杖などの補助道具によく使う術を無詠唱で発動できるような仕掛けをしておきます。冴島さんは詠唱文、魔術陣のどちらを使うにしても記憶から呼び出して、その記憶に法力を乗せるようにして術を発動できるように訓練します。私もそのようにして魔術も魔法も発動させています」

「ということは、その方法は難しいということですよね...」

「コツがわかれば大丈夫ですよ」

 ニッコリと微笑む加多弥かたみを見て冴島は思った。

・・・天才はコツがわかっても大多数の魔術師ができないということに気づかないのだろうな。私に果してできるのだろうか・・・


「魔法は魔術と違って詠唱する魔法文や魔法陣を練り上げた法力の紐で描いていくようなイメージです。魔術とはだいぶ違います」

 説明図が切り替わった。

「魔術は平面の線、魔法は太さのある紐というイメージです。魔法は込める法力の量によって術の威力が変わります。法力の紐が太くなれば威力は大きくなります」

 話を聞きながら炎の魔術を記憶の中から引っ張り出す。脳のどの辺りに、どの記憶があるというのがわかるようになったのも宿禰すくねが言っていた脳の覚醒によってできるようになったことの1つだった。初級の炎の魔術と上級の炎の魔術では確かに必要な魔力がかなり異なっていた。魔術では広範囲を数千度の炎で焼き尽くそうとしたら上級の魔術を使うしかない。だが魔法は同じ法術でも法力の量を増減することで威力を調整できるということだ。

「とはいえ、魔法でも似たような法術で同じぐらいの法力なのに威力が異なっていたり、法力が節約できるようなものは存在しています。色々な術を練習して自分が制御しやすい方法を覚えてください」


 頭の中で擬似人格の宿禰すくねの声がした。

『私の記憶があるから覚えるというよりも上手く使いこなすということだ。とにかく色々試してみることだな』








 冴島は必要な量だけの法力を記憶から引き出した2つの魔術陣に流し込むと術を発動する。冴島を中心にした半径2メートル程度の薄青白い球体が展開された。同時に右てのひらを開き前面に向けると、てのひらの10センチ程度先から凄まじい風がゾンビたちに向かって発射された。本来であればこのように術を発動する方向に手を向けるようなことはしなくても良いのだが、まだ術の制御に慣れていない冴島は加多弥かたみのアドバイスでこの方法を採っていた。慣れてくれば相手の背後や上方から術を放つことができるらしい。

 台風の時のような大きな風の音がした瞬間に冴島に向かって走ってくる30数名のゾンビたちの首や胴体が真っ二つに切断され、大多数のゾンビたちが前方で倒れこんだ。損傷を負っても走ることに支障のないゾンビが数人スピードを緩めずに走ってくる。

冴島は焦らずに小銃の引き金を引く。青白い防御用防壁にたどり着いたゾンビはいなかった。NTBS本社ビルへ辿り着くために障害となるゾンビ達を倒すと、小銃の弾倉を交換し1階入口に向かって走り出す。途中に設置されている案内板の影に隠れていたゾンビに気づかずに近づいたが迷彩服の機能で冴島が近くにいることに気づかないようだった。

 ゾンビの脳内で展開されている術には身体の制御以外に周囲の狭い範囲への探知術が含まれている。ゾンビは動く物体と音に反応するが、襲うべき人間か判断する要素にはこれら以外に探知術での探知結果も含まれている。目と耳が腐敗して機能していなくても人間を襲うことができるのは探知術によるものである。だが、冴島の装備はこの探知術を無効にする機能があることからゾンビに探知されなかったのである。

 逆手にした左手で左腰の龍髭刀りゅうしとうを引き抜くと、左手で殴るような軌跡で龍髭刀りゅうしとうを振るう。切っ先に反射した光がゾンビの首めがけてきらめくとゾンビの首は音もなく胴体から切り離され地面を転がった。


・・・銃を使いながら魔術を使うのはなかなか難しいな。意識を分散させられようになってきてもまだどこかの意識に引きずられてしまう・・・


 入口横にたどり着いたところで探知魔術を発動させる。ゾンビ達の発する探知よりもはるかに広い探知範囲内に、どのようなものがあるのかを冴島は知覚した。20m程度背後に倒しきれていないゾンビが3人、広い1階フロア手前に20人ほどのゾンビがバラバラの方向を向いて立ち尽くしている

 音を立てずに入口をくぐるとさっき使った風魔術でゾンビ達の首を切断する。今度は広い範囲に対して効率的に術を使うことができ、フロア内で探知できたすべてのゾンビを一度に無効化することに成功した。音が反響しそうな1階フロアの中に音を立てないように慎重に入っていくと、1階のフロアの中に設置されている社員の出入り用ゲートを閉じた状態で飛び越えた。着地すると一気にゲートから遠ざかり振り返りざま小銃を構えてセレクターを連射、魔術に切り替えると連発に設定する。

 ゲートを飛び越えた為、ゲートに設置された赤色灯が点滅し警告音が鳴り響いた。その音に反応してエレベーターホールにいたゾンビ達がゲートに向かって飛び出してくる。引き金を引き絞ると圧縮空気が噴き出すような音が連続して発生する。飛び出してきたゾンビ達の首や頭部が次々に切断され床に落ちていき、ゾンビ達の体は紐を切られたマリオネットのように床に倒れ込む。

「ゾンビには実弾よりも広い範囲で攻撃できる魔術弾の方が有効のようだな」

 小銃のセレクターを実弾、連射にすると、警告音を発しているゲートに向けて銃を連射した。外のゾンビ達が中に入ってこないように、そして上階のゾンビ達と鉢合わせしないようにゲートを破壊した。警告音が止まった。破壊したゲートを抜けてホール中央の受付横の壁に掲げられているフロアガイドを見る。警備上の配慮なのか社外向けの会議室とスタジオ、そしてオフィスのある階ぐらいしかわからなかった。

 再びゲートを抜けて誰もいなくなったエレベーターホールに移動する。非常階段のドアと並んだエレベーターのドアの前で一考する。


・・・通常なら階段だが、物理防壁を張っている状態だったらエレベーターでも問題ないか? いや、エレベーターが停止したり落下したりすることを考慮に入れる必要があるな・・・


 冴島は非常階段のドアを開ける前に探知魔術を発動した。非常ドアの向こうには誰もいない。音を立てないように慎重に非常ドアを開け階段室に入ると、開けた時と同じように慎重にドアを閉める。階段室上部からの音を聞き漏らさないように気をつけながら階段を駆け上がっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る