第6話

 ドアを抜けた先は新宿の10階建てぐらいの高さのマンションの上だった。屋上の際に立って地上を見下ろす。そこはホラー映画さながらの地獄絵図だった。人が人を襲って引っ掻き、噛みつき、押し倒して覆いかぶさる。そして息絶えるまで食い尽くしていく。襲っている人間が死亡するとそれがわかるのか、襲うのをやめて他のターゲットを探すような素振りをする。

他人の記憶だが記憶どおりだった。


「これが戦略級魔術と言われる所以か...」


 魔術を知らない相手にこの術が使われれば一方的に蹂躙され社会は崩壊するのは確実だった。視線を移すと地上を走る車や空を飛ぶドローンタクシーがビルや信号などに追突し黒煙をあげている。遠くに逃げ惑う人たちが見えるが今から空間移動をしたとしても間に合わないだろう。冴島はただ立ち尽くして見ていることしかできなかった。


「ゾンビ映画そのままだな」


 だが、ここには様子を見にきた訳ではない。


「この魔術...惨跛ざんびが打ち込まれた場所を探さなければ...」


 この魔術を発動した魔術師が魔術陣のそばにいる可能性に賭けるしかなかった。

人間を動く死体に変える魔術「惨跛ざんび」の発する微力な魔力を探る。惨跛ざんびは広範囲に被害をもたらす戦略級魔術だが簡単な術であり少ない魔力で発動することができため術の探知をするのは至難を極める。冴島は早々に術の探知を諦めた。


 綿津見わだつみから渡された装備にスマートウォッチのような物があった。腕にはめたこの装置のの側面にあるボタンを押すとホログラムのようなパネルが装置の上に投影された。加多弥かたみのいる部屋で各地の状況を見た空間上のパネルに似ていた。


綿津見わだつみさん、やはり惨跛の魔術陣の発動場所を探知するのは難しそうです。そちらから地上のゾンビ達の密集度でどの辺りが発動場所か検討はつけられないですか?」

 表示されたパネル付近から綿津見わだつみの声が聞こえてくる。

「わかりました。調べてみますので少し時間をください」

「了解です。違う場所に移動したいので一旦そちらに戻ります」

 冴島の前の空間が揺らぐように動くと中心に歪むように空間が開いた。その中に足を踏み入れると、さっきまでいた自室の中だった。綿津見わだつみは冴島の部屋のデスク前の椅子に座っていた。

綿津見わだつみさん、池袋という場所に行ってみたいのですが」

「わかりました。どうしてその場所なのですか?」

 冴島は、はにかむような笑みを浮かべる。

「若い時に遊んでいた場所なんです。地理的に詳しいだけで、その場所でなければいけないという訳ではありません」

「わかりました。それでは適当なビルの屋上に転移ポイントを設定しました」

 たった今出入りしたドアを開くと青空が見える別空間が広がっていた。足を踏み入れると、そこが南武百貨店の屋上だということがすぐにわかった。

「懐かしいな...」

 自衛隊に入隊し、国防軍に転籍した後も日本各地や世界各国を転々としていた冴島は池袋に来るのは30数年ぶりだった。その思い出の場所には動く死体が蠢いていた。百貨店の屋上にもゾンビ達がうろついていた。冴島の存在に気づくとゾンビ達は冴島の方に向かってきた。

 冴島は装備の迷彩機能をオフにしていたことを思い出し、フードを被りフード内側に設置されているゴーグルを下ろすと機能を有効にした。惨跛ざんびの術はゾンビ達の目と耳を使って動体や音を出したものに反応するが、脳で展開している魔術陣が10数メートル程度の範囲を探知術を使って人間を探している。腐敗が進んで目や耳が機能しなくてもゾンビが人間を襲うことができるのはこのためである。

 装備の迷彩機能が有効になったことで動かない冴島をゾンビ達は見失った。装備の迷彩機能は光学迷彩だけでなく魔術の探知術もかわすことができる。冴島がゾンビに向かってゆっくり歩くと足音には反応できても正確な位置は判断できないようだった。ベルトのバックルのボタンを押すと太腿の横に二丁拳銃のように縦にぶら下がっていた龍髭刀りゅうしとうが台座を中心に回転し、背中の方に移動した。ベルトを挟むように2本の龍髭刀りゅうしとうが背中側で並行になって停止した。正面から見ると冴島の腰の左右から龍髭刀りゅうしとうの柄がそれぞれ覗いている。

 冴島は右の腰側の龍髭刀りゅうしとうの柄を順手で握ると剣を引き抜いた。軽く反った両刃の短剣の刀身部分にはうっすらと文字が刻印されている。辺りの様子を伺っているゾンビにゆっくり近づくと法力をこめることなく短剣を左から右側に薙ぎ払うように素早く一閃させた。

 ほとんど抵抗なくゾンビの首は真っ二つになり屋上の地面に重く湿った鈍い音を立てて落ち、転がった。鋭利に研いだ刃の切れ味を確かめるためにコピー紙のような上質の紙を縦に切った時のような感触に近いと冴島は思った。落ちた首は口を開閉し目は辺りを探るように動いているが胴体部分は身じろぎもしなかった。脳を破壊していないので惨跛の魔術陣は脳内で展開されてままである。そのため、首は生きているような動きをするが、首を切られた胴体部分は制御下でなくなったために動かせなくなっている。声帯と肺がないのに頭だけで声を出しているのは魔術陣が音を出しているからだった。ただ単に襲われる側の人間に恐怖を与えるための演出である。

 そばにいるもう1体のゾンビのこめかみ近辺を同じように横に払う。硬い頭骨など無いかのように頭の上部が真っ二つに切断された。

「凄まじい切れ味だな。なんでも切れると言っていたが想像以上だ」

 ゾンビ達に背を向け背後にある照明の金属でできた基部に短剣を突き立てると、豆腐に包丁を突き立てるように、何の抵抗もなく短剣が根元まで突き刺さった。そのままゆっくりと横にスライドさせると、照明の重みで若干抵抗を感じるがあっさりと金属を切断することができた。照明は重みに耐えきれずに切断部分を中心にひしゃげて広場の方に大きな音を立ててゾンビ達の上に倒れた。

 短剣を鞘にしまうと左脇の下のホルスターから右手で拳銃を引き抜き正面にいるゾンビの眉間に狙いをつける。トリガー内部の安全装置のレバーごとトリガーを絞る。サプレッサーをつけた銃よりもさらに小さな”プシュッ”という音がした。火薬を使っていないからだろう、かなり小さい音だった。

 ゾンビの眉間に銃弾が命中し脳漿のうしょうをぶち撒け、後頭部に10数センチ程度の大きな穴を開け、ゾンビは倒れ動かなくなった。脳が魔術陣ごと破壊された結果だった。銃を構えたまま他のゾンビ達の頭部を撃ち抜いていく。最後の1発を発射するとスライドがホールドオープンされた。装弾数は15発で使っていた実銃と変わらない。トリガーガードの根本のレバーを人差し指で引き、空になった弾倉と新しい弾倉を交換する。リリースレバーを下げてスライドを閉鎖させる。使い方は国防軍で使っていたSFP9と変わらなかった。よくここまで同じように造ったと感心するほどだった。

 今度はリリースレバー下のセレクターを魔術に変更し一番上の炎のマークのついたボタンをグリップを握った親指で押してみる。そして実体弾の時と同じようにゾンビの頭部に向けてトリガーを引き絞った。発射した直後は同じだったがゾンビの手前で突然炎が矢のような形になって実体化した。ゾンビの頭部はあっという間に燃え上がり短時間で身体全体が炎に包まれた。腐った肉が焼けるような匂いがしてゾンビは動かなくなった。特訓の時に自分が使った炎系の魔術よりは威力はだいぶ低いようだが、それでも人間やゾンビ相手だったら充分な威力だった。同様に水と風と土のボタンを押して銃を発射した。水は高水圧の水がゾンビの頭部を撃ち抜いた。土は尖った岩のようなものが現れゾンビの頭部にめり込み、風はかまいたちのような効果でゾンビの頭部を切り裂いた。

 実体弾に魔術をまとわせる場合、土の魔術は使えないことがわかったがさほど問題はないだろうと冴島は思った。

 ゾンビとはいえ人の姿をして動いている相手に対して、冴島は感情を交えずに無表情で装備の確認を淡々と続けた。惨跛ざんびの術でゾンビになった人間は死んでいて元に戻すことはできない。それだったら早く動かない死体に戻して人間の尊厳を取り戻してやりたいと冴島は思っていた。火の魔術で火葬にして葬ってやりたいとさえ思ったが今はそのようなことをしている場合ではなかった。小銃の試射を終え、百貨店の屋上にいるゾンビを全て行動不能にした頃に綿津見わだつみから連絡が来た。

「冴島さん、ゾンビの密集度や拡散度合いなどを検討したところ、東京近辺の発生場所が大体わかりました。赤坂です」

「赤坂?」

「はい、惨跛ざんびが広がりやすいように高いビルの上で、ある程度の広さのあるところと推測されます」


・・・確かに惨跛ざんびは発動するとゆっくり空気に乗って広がるような挙動を示すし、魔術陣は珍しく10数メートル程度の広さで地面に展開される。赤坂という場所はこの際置いておこう・・・


「ヘリポートか?」


 赤坂のビルの上にあるヘリポートといえば、マークヒルズが有名だが先の戦争のテロで爆破され未だ復旧されていないはずだった。ふと毎日病室で見ていたニュース番組が脳裏をよぎった。


「NTBSのヘリポートかもしれない」


 ある程度の高さのビルの上のヘリポート。惨跛ざんびを発動するのに最適な場所だった。

「なぜNTBSなんだ?」

 その答えは綿津見わだつみが教えてくれた。

「テレビ局だからでしょう。武尊たける様は惨跛ざんびの被害を広く知らしめるためにテレビ局を関東の最初の被害場所に選んだのではないかと推測します」

「関東の? 日本は他の地域でも惨跛ざんびの術が使われているのか?」

「はい、仁徳天皇陵古墳近辺で発生して、どんどん被害範囲が広がっています」

「なぜ日本は2か所なんだ? それにどうしてそんな場所なんだ?」

「仁徳天皇陵は地下世界と地上世界をつなぐ唯一の出入り口だからです。赤坂は日本の首都で惨跛ざんびを発生しやすくテレビ局だからということ、仁徳天皇陵は地下世界からの追手をいち早く妨害できるようにではないでしょうか」

「ちょっと待ってくれ。君や加多弥かたみさんも仁徳天皇陵の出入り口から来たのではないのか? だとしたら、そこで鉢合わせしていてもおかしくないだろう」

「タイミングが違ったのか、それとも加多弥かたみ様だったから手出しをしなかったのか、そのどちらかではないでしょうか」

 後者だろうと冴島は思った。ある程度の人数に出入り口を見張らせて追手を攻撃しない訳がない。

「実の姉とはいえ追手であれば攻撃しても不思議じゃない。どうしてだ?」

 綿津見わだつみは少し間をおいて答えた。

加多弥かたみ様と武尊たける様は同じご両親で皇帝陛下は祖父にあたります...それに姉弟でとても仲が良かったので...」

「家系的な事と大好きなお姉さんには手を出せないというのが理由か」

・・・であれば仁徳天皇陵が本命だな。だが・・・・

綿津見わだつみさん...すまないが、先にNTBSに行かせてくれ」

「私は冴島さんの判断を尊重します。でも、どうして仁徳天皇陵ではないのですか?」

 冴島はすぐに答えられなかったが、どうにか振り絞るようにして声を出した。

「まだ生きているかもしれないから...」

 綿津見わだつみからの返事はなかったが目の前の空間がゆらめき転移ゲートが開いた。綿津見わだつみはそれ以上聞くこともなくNBSにつながる転移ゲートを開いてくれた。

「冴島さん、NTBSのヘリポートだけでなくビル自体に転移ゲートを開くことができませんでした。転移空間の接続を阻害されているようです。ビル入り口手前にゲートを開きましたから、そこからヘリポートに行ってください」

「ありがとう...」

 冴島は小銃を右手に持ち転移ゲートの中に入っていった。転移ゲートから出た先は100mほどもありそうな大きなビルだった。見上げるとメッシュ状の丸い張り出しが見えた。

「あそこか...」

 惨跛ざんびの術を解除することも待ち構えているかもしれない敵から目的を聞くことも大事だったが今の冴島にはもっと大事なことがあった。

「頼む、生きていてくれ」

 冴島は小銃を構えると祈るような気持ちで入り口に向かって駆けていった。

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