第8話

 冴島は階段室に入る前に防壁の魔術を解除してベルトのバックルに搭載されている防壁発生装置のスイッチを入れた。銃と同じように次元エネルギーを利用した半永久的なエネルギージェネレーターで防壁魔術を機械的に発生させるようになっているとの事であった。自身の魔術で防壁を張るよりも防護距離が狭く両手を広げた程度であり、出力も低い。だが、これから先何が起きるかわからないため冴島は法力を無駄に使いたくなかった。また、戦闘服の迷彩機能がゾンビ達に有効であることが確認できたことも装置に任せる理由だった。仮に出力が弱いことでゾンビに怪我をさせられたとしても、対惨跛ざんび用魔術をかけておりゾンビに噛まれても体内で惨跛ざんびの術が活性状態にならず消滅してしまう。怪我は正しく制御できる治癒魔法を使えば即座に治療すれば問題はない。


 冴島は階段を駆け上がりながら加多弥かたみと化外剣闘士の夜叉やしゃとの訓練を分散した意識の1つで思い出していた。

 冴島は宿禰すくねの魔術、魔法の記憶を受け継ぎ、それらを使いこなせるように練習をしていたが、魔法の知識はあっても法力の練り上げ方や量の加減は知識とは別物だった。そして、その習得に手こずっていた。攻撃魔法を練習した時に法力の量を少なめにしたにも関わらず施設を全壊させるほどの威力の法術(魔法)が発動してしまった。加多弥かたみが瞬時に魔法防壁を内向きに展開して冴島の魔法を押さえ込んでことなきを得たが、それ以降の魔法の練習は治癒魔法と痛覚を遮断する魔法に集中する羽目になってしまった。だが、攻撃用魔術の練習が順調だったこともあり、この2つの魔法の習得は1人で戦わないといけない冴島にとって優先できることは渡りに船であった。


 そんな冴島が不安なく使用できる現在の攻撃手段は魔術と加多弥かたみから渡された装備のみである。無理に攻撃用の魔法を使えば制御できない超破壊力が周囲を破壊し尽くしてしまうかもしれない。



 階段を駆け上がっていると4階の踊り場で2体のゾンビに遭遇した。冷静に頭部を狙うとヘッドショットを決める。たおれているゾンビをまたぎ越えてさらに上を目指す。

「さて、何階を探すのが正解かな...」

 下層階がスタジオというのはロビーのフロアマップで把握していた。病院で見ていた番組は13時ぐらいだったから10時少し回ったぐらいの現在では、オフィスの自席にいる可能性が高いと冴島は考えた。

 探知魔術を階段上部に向ける。動く物体はもういないようだった。大きな音を出してもゾンビには勘付かれないだろうと、階段を登る速度を上げる。12階の表示のある踊り場が階段の最後だった。踊り場の非常扉越しに探知魔術を向けると長い通路上の10メートルほど先にゾンビらしき反応が11あった。防火扉のドアノブを音がしないようにゆっくりと捻り小さく開くとドアの隙間に滑り込むように入り込み、小銃を構えスコープで一番手前のゾンビの側頭部に照準を合わせる。薄青い光で全身が覆われていたが服の迷彩機能で冴島に気付いてる様子はなかった。冷静に引き金を絞り、1体、また1体とゾンビを倒していく。圧縮空気が噴き出す時のような小さな発射音に反応して振り向くゾンビも中にはいたが冴島の存在に気づけないようだった。振り向いたゾンビの眉間に実体弾が着弾する。綿津見わだつみに渡された銃で使用する弾丸は魔術で発射するため通常の弾丸のような薬莢部分は存在しない。そのため長い弾丸でできた弾丸の射出口は通常のそれよりもさらに大きくなる。後頭部に大きな穴が開いたゾンビが鈍い音を立てて倒れる。その音に反応したゾンビの頭部をさらに撃ち抜く。そして銃を構えたまま少し前進し、ゾンビの頭部を撃ち抜く。その繰り返しで長い通路上のゾンビたちを全て倒した。軍人の時にこの状況に遭遇したら、正体不明の化け物相手に正気でいられたか冴島は自身がなかった。だが、今の冴島はゾンビに対する知識だけでなく対抗する手段も持っている。ゾンビ相手であれば不安はなかった。

 辺りを見回すと、ここが社員食堂があるフロアだということがわかった。探知魔術を駆使して周囲の様子を見ながら歩みを進める。通路の壁には放送中のドラマやバラエティーのポスターが張り出されていた。通路最奥の社員食堂の入り口手前にはメニューやイベント告知などのレジュメが載せられているテーブルやソファが設置されていた。食堂の入り口から中を覗き込むと、ふらつきながら歩いていたり立ったまま微動だにしないゾンビがいる一方、倒れたまま動かないゾンビもいた。倒れているのは存在を気づかせないためや魔力消費を減らすのが目的である。

 社員食堂の中に社員が立て篭もるような場所はないだろうと判断し、社員食堂に入るのをやめて銃を構え直すと食堂入り口手前の階段室に入っていく。吹き抜け状の階段の下の方からゾンビが発する声が聞こえてきた。一階上にも社員食堂があるはずだった。これだけ大きいビルの2フロアに社員食堂があるということは社員だけでなく関係者も使うことができるのだろう。

・・・13時にはまだ数時間ある。生放送前には準備がたくさんあるだろうし、この時間に早い昼食を済ませたりすることはないだろう。この上の社員食堂があるフロアに会議室や控室があれば別だが可能性は低いだろうな・・・


 冴島はこの上の13階に行っても意味がないと判断し、もう1階上の14階に向かうことにした。13階から上はオフィスと出演者の控室になっているはずだった。階段室の踊り場で下の階よりも広い範囲に対して探知魔術で調べてみる。今回はゾンビだけでなく探知対象をフロア全体にして詳細に調べようとした。


 魔術には10の位階が存在する。こうおつへいていこうしんの10位階であり、

一番低い位階がこう、一番高い位階がである。こうは使用する魔力が一番少ない反面、効果は限定的である。探知魔術であれば位階が上の方が探知範囲が広くなり探知内容は詳細になっていく。攻撃魔術も同様に上位の位階になればなるほど威力は増していくが必要になる魔力は加速度的に増えていき、制御も難しくなっていく。初級魔術はこうおつ、中級はへいてい、上級は、特級がしんという区分けがされており、特級魔術を使える魔術師は地下世界でも数名しか存在しない。


 冴島は先ほどまでの探知魔術はよりも1段上のおつ位階の探知魔術を使った。冴島の脳裏に通路の形、通路上に存在するゾンビ、オフィス内と控え室と思しき広さの場所にいると思われる生存者たちの存在などが俯瞰ふかん図を見ているかのように浮かび上がってきた。

・・・この探知能力と意識の分散が昔使えてたらPKO(国連平和維持活動)の時に戦死する仲間をもっと減らせただろうな・・・

 自衛隊から国防軍に変わり、PKO活動に参加することになった冴島達が遭遇した市街地での対ゲリラ戦闘での苦い思い出が蘇ってくる。その思いを振りきり、音を立てないように非常扉を開き14階の通路に滑り込んだ。冴島が立っているフロア隅の非常扉前が角になっていて、正面と左側に通路が伸びている。正面突き当たりを左に曲がる通路はオフィスに行くための通路であり、左側の通路には出演者の控え室と思しきドアが並んでいた。目の前と左側の通路にはスーツ姿やラフな格好をした男女のゾンビたちが溢れかえっていた。そしてドアの中に獲物がいるのがわかっているかのようにドアの前に集まってドアを開けようとしている。探知魔術と肉眼で通路上に人間がいないことを確認した冴島は乙位階の風属性魔術を2つ励起させる。

 通路上だけを対象にするように両手をそれぞれの通路に向けて魔術を発動する。凄まじい圧力の風が通路上を突き抜けていく。通路にいたゾンビ達は吹き荒れる風の圧力で吹き飛ばされ、通路向こうの壁に激突すると風の圧力で潰されて人としての姿ではなくなっていく。通路の内壁は魔術の風の圧力とゾンビ達の重さに耐えきれず大きな穴が開き、ゾンビだった肉の破片は外壁のパネルに打ち付けられた。ビルの外壁が吹き飛ぶ前に術を解除する。左側通路の一番手前のドアは魔術の風圧でヒンジが壊れドアが折れたようになっていた。そのドアの隙間から外の様子を見ている40代前半ぐらいの男性と冴島は目が合った。正確に言うと冴島はその男と目が合ったが、男の方は迷彩機能で冴島の姿は見えておらず、薄く発光する青白い球体を見ていたのだ。

 冴島は迷彩機能と防壁をオフにする。男の目の前に戦闘服を着て銃を構えた身長180センチを超えた男が突然現れた。冴島は目と鼻の部分を覆っていたバイザーを跳ね上げ、頭に被っていたフードを左手で後頭部側にまくった。

 男は突然目の前に人が現れたことに驚いたが、助けが来たと思い折れたドアをこじ開けると通路に出てきた。

「助けに来てくれたんですか?」

・・・お前じゃないけどな・・・という言葉を冴島は飲み込んだ。

 この40代前半ぐらいの男には見覚えがあった。病室でつけっぱなしのテレビのニュースで何度も見ていた顔だ。

 どこにいるかわからない人間を探して回るよりこの男を利用ようと冴島は考えた。

「人を探している」

「人? こんな時にですか? あの...一体何が起きているんですか?」

神前愛梨かんざきあいりというアナウンサーを探している」

神前かんざきなら、この上の階のオフィスにいたと思いますけど...でも、一般の方は...」

 男はそこまで言うと、通常であれば関係者以外は入って来られない場所だが、今は通常時ではない。会社のルールは今は関係ないと思い直した。

「そんなことより、何が起きているんですか? どうなってるんですか?」

 男は兎にも角にも現状の把握をしたいようだった。

「俺にはそんなことではない。何が起きているか? 見てわかるとおり人間がゾンビのようになっている」

「あなた軍人さんですよね? 助けに来てくれたんですよね?」

「違う、私は一般人だ。神前愛梨かんざきあいりという女性を助けてやってくれと頼まれてここまで来た」

 武装した人間はどう見ても一般人ではないだろう。だが間違っているわけでもない。そう思いながら、冴島はこの男とのやり取りを早く切り上げたかった。

「時間がない。上の階だな?」

「ええ、でも彼女が私みたいに無事かどうかわからないですよ」

・・・そんなことは言われなくてもわかっている・・・

 少し苛ついた表情をした冴島を見て、男はスラックスのポケットからスマートフォンを取り出した。

「内線かけてみましょうか。うちの会社はスマホを貸与されていて内線もスマホなんです」

 渡りに船だった。ゾンビ達を倒しながら、部屋を総当たりで調べていたら間に合わないかもしれない。

「あの...私を一緒に連れて行ってくれるのであれば...」

 男は冴島の顔色を伺うようにしてスマートフォンを操作する。

 こんなところに置いていかれたくないのは理解できる。しかも目の前にいる人間は武器を持っているのだ。

「ああ、俺の言うとおりにしてくれるのであれば構わない」

 男は嬉しそうな顔をしてスマートフォンの連絡先リストから神前愛梨かんざきあいりを選んで内線電話をかけた。数回のコールで相手が電話に出たようだった。

「あ、神前かんざき? 尾上おのうえだけど、君は無事か? 今どこにいる?」

 神前愛梨かんざきあいりは無事なようだった。冴島は全身の力が抜けそうなほど安堵した。

 尾上おのうえと名乗っていた男は冴島の顔色を見ながら話を続ける。

「うん、15階の控室だね。うん、うん、弁護士の安藤先生の控室にいるんだね」

 冴島は頷いた。

「今すぐに助けに行くと伝えてくれ」

「今から武装した...軍人さんだと思うんだけど、一緒にそっちに行くから」

「貸してくれ」

 冴島は尾上からスマートフォンを奪うように取り上げると電話の向こうの相手に声をかけた。

「もしもし、私は...」

 なんと名乗ろうか冴島は迷った。喋っているのは冴島陣だが、身体は湊大地みなとだいちである。神前愛梨かんざきあいりは冴島陣という名前を知っているのだろうか。湊大地にしても軍では脱走兵扱いになっている可能性が高い。彼の名前を出して良いものだろうかと冴島は考えた。

「もしもし、俺は湊大地と言います。冴島という人にあなたを助けて欲しいと頼まれて、ここまで来ました。はい...知らないですか...でも、頼まれたので、とにかくすぐに向かいます」

 そう言うと電話を切った。

 冴島は湊大地の名前を使うことにした。このゾンビ騒動で脱走兵どころの騒ぎではないと思ったからだった。それに冴島陣という名前を彼女にはあまり言いたくなかった。

「尾上さん、俺から離れずに後ろからついてきてください」

 冴島はさっき出てきたばかりの非常扉を開けて階段室に入ると、階段を駆け上がって行った。

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