第3話

 総武線の船橋駅のホームの際ギリギリの場所に冴島陣は立っていた。正確にいうと湊大地という青年の身体を借りた冴島陣である。

 総武線の列車が警笛を鳴らし、急ブレーキをかけながらホームに入ってくる。駅員が大声を出して走って近づいてくる。


『冴島陣、どうだ、うまくいったか?』


 先ほどと同じように葛城宿禰の声が頭の中に響く。


「ああ、うまくいったようだ。」


 目の前が真っ暗になったと思ったら駅のホームに立っていた。宿禰の魔法が遅かったら湊大地という青年はこの世からいなくなっていたのは確かだった。


「あんた、何やってんの!」


 駅員が大声で冴島に喚き散らしながら走ってきた。


「すみません、ちょっと眩暈がしてフラフラしてしまいました」


 頭を左右に振って目眩を治そうとする素振りをしならが、それらしい嘘をつき謝りながらその場を後にする。それにしてもこんなにしっかりとした足取りで歩くのはどのぐらいぶりだろうか・・・。冴島は健康な身体がいかに大事かということを歩くという行為だけで思い知らされた。

 身長は185、6センチぐらいだろうか・・・。身長183センチの冴島の視線の高さより少し高いようだった。だが肉体の鍛え方は物足りなかった。

・・・特殊作戦部隊の自分とヘリパイを比較しても仕方ないか・・・

 船橋駅のホームに設置されている広告スペース付きの鏡に自分の姿が映った。少し屈むようにして鏡を覗き込むと初めて見る青年の顔がそこに映っていた。1/4ぐらい白人系の血が混ざっているような顔つきで、目は大きいが切長の端正な容姿の短髪で27、8歳ぐらいの青年が鏡の向こうからこちらを見つめていた。身長は高いが顔だけであれば儀仗隊を難なくクリアできるであろう容姿が嫉妬を生んで、虐めを受ける要因の一つにもなっているのではないかと冴島は思った。全体的に線が細い感じだけでなく他に何か理由があるのかもしれないと思いながら先を急ぐ。


 それにしても自分の身体が気になった。そのまま総武線に乗ると市ヶ谷に移動する。戦争で破壊された元防衛省近辺は今では既に整備が終わっていた。国防省の建造物が新たに建築され、埼玉から防衛医科大学校病院と世田谷から自衛隊中央病院が国防省に隣接するエリアに移設されて国防大学校中央病院という1つの大きな病院になっていた。冴島陣は国防大学校中央病院の緩和ケア科の病棟にいる。 

 冴島陣改め湊大地は市ヶ谷の駅を出て自分が入院している病棟を目指した。そこに死を目の前にした自分がいると思うと緊張した。面会の手続きを済ませ部屋の前に来るとドアを開ける。そこには確かに自分が横たわっていた。眠っているようだった。


「起きているか、湊大地君」


 声をかけると冴島陣の肉体は目を開いた。自分の声が目の前からする不思議な体験だった。


「なんだか不思議ですね。自分が目の前にいる」


 湊大地も同じように感じたようだった。


「これでよかったのか? 君の身体を借りることになってしまったが」


 ベッドの上の冴島の肉体が微笑みながら小声で言った。


「この方が人に迷惑をかけないで死ねるじゃないですか。何と言っても病死ですからね。でも痛いのと苦しいのは嫌だなぁ」


 冴島陣は湊大地の肉体で頷いて理解を示した。


「だが急がないといけないな...終わってみたが私の肉体は間に合わなかったじゃ話にならない」


「別にそれでも僕はいいですけどね。どうせ死ぬつもりだったんだし」


「そういうわけにはいかないさ」


 若く健康な肉体からは普段とは全く異なる力強い声が出る。


「冴島さんって戦場の死神って言われていた人ですよね? 噂に聞いていた人がどんな人かと思っていたら自分がその死神になっちゃいましたよ」


 冴島の身体から弱った肉体からやっと絞り出しているような低い声と乾いた笑い声がした。


「とにかくだ、しばらく身体を借りる。それだけ言いたかった」


 2人の頭に宿禰の声が響いた。


『冴島陣の身体には時間がゆっくり流れる魔法をかける。湊大地の意識はそれに影響を受けるからほぼ寝たきりのようになり意識もほぼない。とはいえ完全に止めるわけではないから早く私の兄を捕まえるなり殺すなりしないと冴島陣の肉体が間に合わなくなるぞ』


「ちゃんとやるから病気を先に治してくれないか?といってもダメなんだろうな」


『契約だからな。それに病気を治すのは冴島陣、あなたがやるんだ。こっちから魔法で治すのは結構面倒だからな』


 湊大地の肉体が驚いた顔をした。

「私が治すのか? あんたが治してくれると思ったんだがなあ」


『そのぐらいできるようにならなければ私の頼みは叶えられない。全部終わった時には、そのぐらいのことはできるようになってるはずだ。どうしてもと言うなら私がやろう』


「知識も何もないのにどうしたらいいんだ?」


『安心して欲しい。特例として皇帝陛下の許可を得て、短期間私の姉が護衛を連れてそちらに行くことになった。あなたの教育係とその他諸々の手助けをするためだ。魔術、魔法の天才と言われた人だ。男だったら私ではなく確実に時期国王になっていたであろう人だ』


「こっちの世界に来てはいけないんじゃないのか?」

 

『国王の私が行くよりは敷居が低くてね。それに私が行ったら手加減できる気がしない。地上世界が戦闘でメチャクチャになったら困るだろ?』


「それは地上世界の人間からしたら看過できないな」


『奴がかなりの人数を連れて行ったことを考えると逃げ込むだけが目的ではないだろう。地上世界で何をするかわからないから1日も早くあなたは強くならないといけない。姉さんはうってつけの人材だと思う。それに姉は自分が行って手伝いたいと思っているようでね...血筋に関する特別な背景もあるし...』


 宿禰は歯切れの悪い言い方をした。

「血筋?」


『これ以上は私からは言えない。詳しく聞きたかったら姉さんから聞いてくれ』


 湊大地の顔がやれやれ、という顔をしてため息をつく。・・・どうやら国王殺し以外にも複雑な背景がありそうだな・・・


 冴島陣は視線を自分の肉体に向けると自分の目がこちらを見ていた。

「引き受けて失敗したって顔してますよ」

「いや...これでも元国防軍人だからな。俺たちにしかできないっていうなら喜んでやるさ。こっちの世界を守ることになるみたいだからな」

「守りたい人がいるんですね?」

「ああ、誰にでも1人はいるんじゃないか?」

 冴島陣の肉体は視線を逸らし苦い過去を思い出しているように見えた。

「僕にはそんな人いないですよ。防衛大学に入ったのだって衣食住揃ってて勉強できてお金までもらえるからですからね」


 2人の会話に割り込むように宿禰の声が響いた。


『そうだ、言い忘れていたが湊大地の脳を覚醒状態にした。脳力だけでなく肉体にも徐々に影響が出てくるだろう。すぐに気付くのは反射神経が格段に良くなっていることぐらいだろう』


「人間は脳の能力の10%ぐらいしか使っていないというのを聞いたことがありますね」

 冴島陣の中の湊大地がわけ知り顔でいう。

「ああ、私も聞いたことがある。だがあれは都市伝説のようなものだろうな。覚醒というのはそういう意味なのか?」


『いや、違う。脳の潜在能力を強化するということだ。それと魔法によって脳力を拡張する。

それによって記憶領域は格段に増えるし記憶を引き出す速度も脅威的に上昇する。なんといっても私の魔術、魔法の知識を全て詰め込まないといけない。さらにいうと術を早く発動することや複数の術を同時に制御するには脳力の向上は必須だからな』


「話を聞いていると、かなり人間離れしてきてるな」

 冴島陣は手を広げると自分の魂が宿っている肉体をまじまじと見つめる


『それはそうさ。地下世界の人間は地上世界の人間よりも進化しているから、その肉体に近づけなければならない。あ、それと私の疑似人格も記憶と一緒に入れてある。疑似人格にもいろいろ助言がもらえるから有効に使うと良い』



「疑似人格?」

 宿禰とは違う声の響き方をして声が聞こえてきた。


 『やあ、冴島陣。私は葛城宿禰の疑似人格だ。いろいろ教えてやるから安心

 しろ』

 

「少し本人と雰囲気が違うな。これが素のあんたなのか?」

 宿禰が冗談ぽく笑ったような雰囲気の声を出した。


 『さあ、どうだろうな。疑似人格と仲良くなればわかると思うぞ。

 まずは姉さんに会ってからだ』


「どこにいけばいいんだ?」


『そこの入り口脇の扉を開けば会える』

 指定された場所にはトイレのドアがあった。


「そこはトイレだぞ」


『いいから開けてみろ』


 冴島陣は言われた通りトイレのドアを開けてみる。ドアの向こうはトイレではなかった。そこはSF映画に出てくるような部屋だった。天井自体が薄く発光して部屋全体が明るく照らし出されている。壁は金属のようだったが塗装されていたり壁紙が貼られているようなものとは全く違う質感だった。


『姉さんがいる場所と空間を接続している』


 ドアの向こうには170センチぐらいありそうな細身の美しい女性が立っていた。服はSFというよりも着物をミニ丈にしてアレンジしたような、どことなく日本風なものだった。

 その女性は日本式なお辞儀をすると「冴島陣様、お待ちしていました。私は綿津見と申します。あちらで加多弥様がお待ちです」と言い、先を促すように手をその方向に向けた。

 冴島陣はかつてトイレのドアに足を踏み入れた。数歩前に歩くとトイレのドアが背後で静かに閉まった。

「いつの間にトイレのドアが自動ドアになったんだ?」

 冴島陣は苦笑いすると、この先どのぐらい驚くことがあるのだろうかと思いながら歩みを進めた。10mぐらい進むと目の前にドアが現れる。音もなくドアがスライドすると30畳程度の部屋奥中央の立派な椅子に若い女性が1人座っていた。着ている服は先ほどの綿津見という女性と似たような和服をモチーフにしたようなものだったが上品な感じで生地も仕立てもしっかりしていてかなり高級に見えた。

・・・真ん中の女性が加多弥という人だろうな・・・

 その女性の左右に護衛と思しき若い男女が立ってこちらを見ている。男2人の肩口から剣の柄がのぞいていた。鞘と思しき先端がふくらはぎの裏側に見え隠れしているところを見ると柄の終端から刀身の先端は身長とほぼ変わらないぐらいの長剣だとわかる。もう1人の女性は杖のようなものを持っていた。

・・・護衛にしてはかなり若いな・・・

「これを耳につけてください」

 綿津見にチタンに似た質感の金属できたものを2つ手渡された。綿津見以外の3人も同じものを耳につけている。アクセサリーのイヤーカフのように耳に取り付けるようだった。

「これは?」

 見よう見真似で耳に取り付ける。

「冴島様と私たちの言語は似通っているのですが単語を含めて翻訳が必要なので翻訳機をつけていただきます」

「なぜ君はつけていないんだ?」

 綿津見を横目で見ながら尋ねる。

「綿津見には必要ないんです。人間ではありませんから」

 座っている女性が綿津見の代わりに答えた。そちらを振り返る。

「紹介が遅れて申し訳ありません。私は葛城加多弥です。冴島さん、早速ですけど肉体改造と魔術・魔法の練習と龍脈孔チャクラの制御を覚えてもらいます」

「ちょっと待ってくれ。彼女が人間じゃないというのはどういう意味だ?」

 加多弥の隣に立っている一番の年長者に見える男が声を上げる。

「貴様、無礼だぞ」

 その若者は黒人だった。髪は地上世界の黒人とは異なり日本人のような艶やかな真っ直ぐな髪をしている。

「阿修羅、冴島様に失礼ですよ。控えなさい」

「はっ、申し訳ありません」

 阿修羅と呼ばれた黒人の男は加多弥に叱責され一歩下がった。

「私の護衛の失礼な物言いをお許しください」

「いや、そんなことよりも、人間ではないというのはどういうことなんですか?」

 阿修羅という青年の言う通り、お姫様に対してぶっきらぼうな言葉遣いは失礼に当たると気付き、幾分か控えめにした。

「言葉の通りです。綿津見は人間に作られたヒューマノイドなんです。ちゃんと翻訳できてると良いのですけど...」

 はさり気なく綿津見の方を見る。

「翻訳は問題ありません。冴島様がこちらにいらっしゃる前に、現在使われている地上世界の言語を調べ直して翻訳機に反映しています」

「そう、ありがとう」

 冴島は失礼と思いつつも綿津見の顔や姿を何度も見返していた。

「いや、どう見ても人間にしか見えないのですが...」

「綿津見の様な人間に限りなく近づけて造られているヒューマノイドはかなり昔から造られているんです。でも彼女は王族専用の最新型で構造から性能まで過去のものとは全く異なっています。今は彼女に私の身の回りの全般をみてもらってます。性能の無駄遣いになっているかもしれないですね」

 加多弥は冴島を見て微笑みながら答える。綿津見もそれに応える。

「私は耳につけていただいた翻訳機よりも高性能な翻訳機能を有していますので翻訳機をつける必要がないんです」

 綿津見が翻訳機をつけてない理由はわかったが、それでも彼女が人間ではないという事実に冴島は納得することができなかった。見た目だけでなく言葉遣いや所作全てが人間だった。病院のトイレが別の場所につながっていたり、人間そっくりのアンドロイドを造ることができる地下世界の科学力の凄さに冴島は驚きを隠すことができなかった。

「話を戻しますね。冴島さんには肉体改造と魔術・魔法の練習と龍脈孔チャクラの制御を覚えてもらいます。よろしいですね?」

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