エピローグ:12年後

「ママ~、おかえり~」


 玄関のドアを開けると、光のことを出迎えてくれたのは、三歳になる娘だった

 とてとてと歩いてくる様は、まだまだ成熟していないものであったが、しかしながら初めから考えてみれば、随分成長したものだと光は思った。

 

「ただいま」


 光はしゃがんで、腕を脇に入れて、彼女を抱き上げた。

 もう片方の手で、鞄を肩にかけながら、リビングルームへ歩いた。

 廊下は寒かったが、リビングルームに入れば、そこは温い空気が広がっていた。


 家の中は暖かな光で照らされていて、キッチンからは香ばしいジャガイモの匂いがした。

 

「光、おかえり」


 キッチンに立っていたのは、髪の毛を後ろで束ねた背の高い女性だった。

 鍋をかき混ぜながら、横目でこっちを見ていた。

 

「そろそろ晩ご飯できるから、着替えて待っといて」


「うん、わかった」


 光は娘を床に下ろして、夫婦の部屋へ向かった。スーツを脱ぎ捨て、ラフな服装になると、光は鏡に向き合った。


 鏡には薄化粧の30の女が映っていた。老けたな、と自分でも思った。12年という歳月は、自分から若さを奪いもしたが、しかし同時に、自分に娘という若さを与えてくれるものでもあった。


 光が部屋着に着替えてからリビングに来ると、食卓はすでに準備ができているようだった。

 二人はもう既に席に着いていて、3歳の娘は待ちきれない様子でソワソワしていた。


「いただきます」


 三人で揃えて言った。

 和やかな夕食の時間だった。

 

「ママ、私ね、今日ね、保育園でね」


 娘が唐突に語り始めた。


 光はこの時間が好きだった。

 家庭の料理を味わいながら、娘の保育園で起きた他愛のない出来事を聞く。

 彼女がどんどんと成長していくのが感じられた。

 食器の使い方も、使える言葉の数も、どんどんと洗練され、そして増えていった。

 

 夕食を終えたら、三人で台所に並んで立って片付けをした。

 それから、三人でソファーに座って映画を見た。

 幼児向けのポップな映画だった。


 光は別に、この映画が面白いとは思わなかった。

 けれど、隣から聞こえてくる、光に抱きついた娘の笑い声が、ただ心地よかった。

 

 春の小川の流れのように、緩やかに時が流れていった。


 すべてが平和だった。


 オレンジ色の室内照明に照らされて、娘の暖かい抱擁の中で、光は大きく笑った。

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きみの内側に届かない 清一色 @kamijo

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