弱虫

 光は泣いていた。

 自分の中で感情がごちゃ混ぜになって、なんで自分が泣いているのかさえよくわからなかった。


 終わりだと光は思った。


 嫌われたと思った。

 

 そりゃそうだ。

 

 幼馴染みだからといって、勝手にデートをストーキングして、嫉妬して、そして挙げ句の果てには見つかって逃げ出した。情けない姿だった。


 そしてそれ以上に、光は遥陽に申し訳なかった。


 そもそもが間違いだった。

 気持ちの悪い感情だった。


 一方的につきまとい、向こうが信じた友情を、独りよがりの恋情で粉々に破壊した。


 光はもう、どうすればいいのかわからなかった。

 

 今に始まったことではない。


 昔からそうだ。

 昔からどうすればいいのかわからなかった。


 思いを伝えれば、拒絶されることが怖かった。

 いままでの関係が、悪いものに変わってしまうことが怖かった。


 そしてついに、取り返しのつかないことをしてしまった。


 光はベットの上で寝返りを打った。

 窓の外では、いつの間にか雨が降っていた。


 光はベットの脇にある机に手を伸ばした。

 そして、机の上の手帳を手に取った。


 光は自分の手帳のページをめくっていった。


 最後までいくと、手帳のポケットには、二人の女の子が映ったプリクラがあった。


 光はそれを見て、泣き出したいような気分になった。


 その一枚には、”ひかり””はるひ”という文字が不格好にデコレーションされていた。

 プリクラに映った二人は、仲よさそうに抱擁をして笑っていた。


 この頃はまだ、髪の毛を伸ばしていた。

 恋という、身を焼き尽くす感情も知らなかった。


 もうこの頃には戻れない。

 光はもう恋を知ってしまった。


 そして、そのせいで二人の友情を破壊してしまった。


 大きな罪だった。

 自分が赦されるとは思ってなかった。


 けれど、遥陽に会いに行って、罰を受ける勇気すら、光にはなかった。



 どのくらい時間がたったのだろうか。


 やがて、光は気怠げに起き上がった。


 階下に降りて洗面台に向かって、そして鏡をのぞき込んだ。

 そこには泣きはらした目をした、不格好な短髪の顔があった。


 精一杯男ぶった女の顔だ。

 光が最も嫌いな、自分自身の顔だ。


「……はは」


 思わず乾いた笑い声が口から漏れた。


 光は自暴自棄になっていた。なんだかもう、どうでもいいような気分だった。



 光はもう一度自分の部屋に戻ると、何も考えずにベットに倒れ込んだ。


@@@


 そこからは単調な毎日だった。


 学校には行かなかった。


 行けるはずもなかった。

 無断欠席だ。


 だけどもうどうでもいい。なにせ、もう残したものは卒業だけなのだから。


 朝は起きなかった。

 

 昼に起きた。

 大体13時くらいに起きるようになった。


 昼食は適当に、家にあるものを食べていた。

 ただ、冷蔵庫にある食料では三日も持たなかったので、その日から何かを食べることはなくなった。


 あまりにお腹が空いたときは、渋々近くのスーパーまで買いに行った。

 ただ、大抵の場合、殆ど食欲はわかなかった。


 光は徐々にやつれていった。


 最も、鏡を見ることはなかったので、光はそのことには全く気がつかなかった。


 そして、日中にすることは何もなかった。


 いままで遥陽と学校で話していた時間が――たとえ遥陽が、翼と付き合いだしたことによって、減っていたとしても、なお長大だったその時間が――空虚な空白として、光の毎日にのしかかった。


 光はそれも辛かった。何もないと、かえって遥陽のことを思い出した。

 そして、自己嫌悪にさいなまれるのだった。


 だから、光は暇な時間はテレビを見ていた。


 昼間にやっているテレビは、若者たる光にとって、全くといっていいほど面白くなかった。

 退屈なものであった。


 けれど、暇つぶしにはちょうど良かった。


 スマートフォンには触らなかった。

 遥陽から電話がかかってくるかもしれないからだ。


 LINEにもメッセージが入ってるかもしれなかった。

 ただ、放置していた。


 光は、遥陽と再び関わることが怖かった。


 しかし、携帯電話を自分の体から離しておくこともできなかった。


 心のどこかで、遥陽が自分を気にかけてくれることを期待している自分がいた。


 別に電話でなくても良かった。

 直接家に来てくれたって良かった。


 もし、遥陽が光の家に来ようとしたら、光ははじめは遥陽のことを拒んでいただろう。

 だけど、最終的には家に上げていたはずだ。


 しかし、結局遥陽が家に来ることはなかった。


 遥陽から電話がかかってくることもなかった。


 電話をかけてきたのは、学校だけだった。

 光は着信音が鳴っているのを聞いて喜び、そしてその発信元を見て落胆した。


 光は学校からの電話にも出なかった。

 何か質の悪い意地が、光の奥底で働いているようだった。


 夜になると、光は一人だった。


 この家ではいつも一人だが、夜になるとより一層それが強調されるような気がした。

 歯磨き、風呂、洗濯(もっとも、ほとんど一日中家にいるので、洗濯はあまり必要ではなかったが)。


 様々な一日のルーティーンが、いつもより緩慢に進んでいった。

 一人の家では、時間はゆっくりと過ぎていくものだった。


 夜中には、あまり寝れなかった。

 起きる時間はどんどんと遅くなっていき、目元の隈も深くなっていった。


 光は縮こまって、ベッドの上で丸くなって泣いていた。


@@@


 何日間か無断欠席を繰り返していると、いよいよ自宅に担任がやって来た。


 さすがに迷惑をかけている手前、門前払いという訳にも行かないので、光は渋々担任の女教師を家に上げた。


 光の予想に反して、彼女はほとんど怒っていなかった。


 担任は、光の現在の体調について二言三言聞いてきた後、そのまま黙った。

 テーブルを介して向き合って、二人の間にあったのは、沈黙だけだった。


 やがて、担任はゆっくりと口を開いた。


 光のことを心配していること。

 何があったかは知っているが、前向きになってほしいこと。

 そろそろ卒業式もあると言うこと。

 リハーサルには来なくてもいいから、本番だけは来てほしいと言うこと。


 そして、遥陽も光のことを心配していると言うこと。


 言葉の端々に、かなり配慮が感じられた。

 問い詰められることもなかった。怒鳴られることもなかった。


 ただ、粛々と話をしていた。

 光は自分から口を開くことはなかった。。


 だが、担任の話を聞いていた。

 彼女は自分も失恋をしたことがあると言っていた。さっきからその話が続いていた。


 根本的に話が違うと光は思った。

 それは男と女の恋愛じゃないか。


 しかし、拒絶する気にはならなかった。


 担任は、自分を慰めようとしてくれていた。自分をわかろうとしてくれていた。


 その事が嬉しかった。


 一時間くらい話していると、担任は、もう学校に戻りますと言った。


 最後に、光は今見るからに不健康そうだから、一度外に出て運動した方がいいと担任は言った。

 そして、差し入れだといういくらかの食べ物――コンビニのおにぎりやら、栄養ドリンクやらを袋と一緒に置いていった。


 光は彼女を家の外まで見送った。

 そして、ありがとうと言った。


@@@


 光はその日の夜、担任からもらった差し入れをもって、近所の公園へと出かけた。


 冬の夜中は肌寒く、久し振りに感じる、外の空気に向かって吐き出す息は白色だった。


 光は凍えながら、公園の隅の方にあるベンチに座った。

 公園には誰もいなかった。静かな空間だった。


 光は公園にある空っぽの遊具を見ながら、昔、ここでよく遥陽と遊んでいたことを思い出した。

 秘密基地だった。ここで、遥陽に、将来結婚しようと言った。


 効力なんて何もない。ただの口約束。

 もう相手は覚えてすらいないだろう。


 小学生の頃の、馬鹿馬鹿しい思い出だ。

 けれど、まだそれを捨てきることができない自分がいる。


 辺りにある光源は、オレンジ色の街灯と、月明かり。そして星々の光だけだった。

 それらに照らされながら、光は、担任が置いていったおにぎりを食べ始めた。


 おにぎりは塩味だった。

 しょっぱかった。

 少しの間放置していたせいで、米は硬く、あまりおいしくなかった。


 だが、自然に、涙がホロホロとあふれ出た。


 涙が、のりとご飯にしみこんで、もっと塩辛くなった。


 けれど、光はそれを食べることを辞められなかった。

 涙を流しながら,光は両手でおにぎりを貪り続けた。


 食べ終わる頃には、手はかじかんで、赤ピンクに染まっていた。

 辺りは寒かった。

 だが、暖かなものが胸にあった。

 そして、栄養ドリンクを飲み干した後、光はつぶやいた。


「卒業式には、出ようかな……」


 白い吐息が辺りに漂った。

 そして、風に吹かれて流れていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る