3話
「おい、朝だぞ。とっとと起きて仕事戻れ」
背中に衝撃を感じて目を覚ました。考えうる中で最悪な目覚めだ。昨日から家に帰れず会社泊まりで仕事を進めている。とうとう、家に帰れない日が来たかと陰鬱な気分はさらに底を深めていく。度重なる寝不足が祟って作業の効率は落ちていく一方でここから仕事が終わる気がしていない。寝起きのままパソコンの画面を力ない眼差しで見る。ああ、何をしてるんだろう。「田代、大丈夫か?」
声をかけられた気がして後ろに振り返る。そこには何年かぶりに見るお世話になった上司の顔があった。
「できます。」
「できるできないを聞いてるんじゃないんだけどな。ったく、ここはどうなってるんだ。田代今日はもう帰れ。しばらく休みを取った方がいい」
「それは、できないです。したくても出来ない、出来ないんです」
「俺が話を通しておく。仕事はもういいから、送っていく。荷物まとめとけよ」
「、、、」
返事のない俺を後にして部長の元へ向かう先輩。新入社員の頃からお世話になっていた人でその頃からずっと変わらずに俺の味方でいてくれる。辛くて、痛くて、苦しい心に、体に休めと言ってあの人は上司に掛け合ってくれている。俺はそんな簡単なことですら出来ないような小さな人間で、気づいたら泣いていた。やっと休める休んでいいんだと思ったら自然と溢れるものがあった。
「大丈夫か、田代。泣くほどか。辛かったな。休んだ後でいいんだけどうちに来るか?少なくともこんなとこよりはマシに働ける」
この言葉は蜘蛛の糸のように魅力的に見える。この一縷の希望に縋らずにはいられなかった。
そこから約三週間ほど休みを取った後退職届を出し、無事退職をした。自分を縛り付ける枷は外れたような気がしたが、そこから先の漠然とした不安感は拭えないまま、先輩からの誘いを受け新しい職場へと居場所を移すことになった。業態は以前とは変わらず、ただ違うのは残業の時間も仕事量も前と比べると格段に少なくなっている。仕事終わりはいつも日付を跨いで帰っていたのが定時で帰れるようになったことや、休憩の時間も12時から13時の間で取れるようになり。体調もだんだんと時間をかけるにつれて良くなっていった。あの地獄の日々を経験した後ではこの生活は夢のようで、毎日を噛み締めるように眠りにつく日々が続いていた。
新しい職場にもなれて仕事も好調になってきた頃通っていたカフェに足を運ぶことにした。
平日の17時あの時と同じ時間にカフェの扉を開いた。
「いらっしゃいませ!何名さまですか?」
「ひとりです」
「かしこまりました。お好きな席へどうぞ」
店内を見るとあの時いた若い店員は居なかった。心配をして声をかけてくれた、それだけでもあの時はありがたくてそのお礼をしたかったのだが。
いつも通りAセットを頼んだのだが、変わらないはずの味は前よりもずっと濃くそして美味しく感じられる。
「、、、うまいなあ」
なんでもないはずのサンドやコーヒーでさえ今はまともな感覚を持って食べられるようになった。思えばあの頃は精神的身体的な苦しさから味覚も嗅覚も衰えていたのだと思う。一種の味覚障害もあったのかもしれない。余裕ができた今その不安からも逃れて、
ドンッ
鈍く大きな音の後にブレーキ音が響いた。店の外からは女性の劈くような悲鳴が聞こえる。何事かと店員が外を確認しに行って血相を変え慌てて戻ってきた。
「店長!かなでが!」
カウンターで仕込みをしていた店長と呼ばれた女性はその名前を聞くや否や店の外へ飛び出ていった。俺も後は続くように会計を済ませて外に出る。
現場は悲惨だった。どうやら人身事故が起こったらしい。横たわった女性その下には血溜まりが出来ている。よく見ると見覚えがあると思った。記憶を辿るとその人物は件の若い店員であることが確認できた。
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