後編

 2週間くらいしたらまたテッタくん「遊ぼうや」言うねん。学校早めにはけてきて下校で通るバス停の小屋で待ち伏せしてたんや。俺もバス停で待たされて、祐也が下校して来たら祐也も入れて今度は3人でまた山や。祐也は顔青うしてうつむいて黙ったとった。俺も似たようなもんやったと思う。

 テッタくん、山着いたら鞄からロープ出して、足の裏で木蹴りながら、

「お前、これでこいつ、ここに縛れ。」

 て祐也に言うねん。立入禁止の廃品置き場にあるような黄色と黒の縄や。

「え、でも…。」

 て祐也まごついて俺の顔見よんねん。(めんどいなあ)思いながら、こっちは(早よやれや。どうせ逆らえへんねやろ)て顔で顎でしゃくって俺、その杉の木にもたれてん。

「ごめんね。」

 て言いながら祐也、けっこうきつう縛りよんねん。両手首も縛られて、一人では絶対抜けられんわこれってそん時思た。松脂の匂いが頭にまとわりついてるんがわかって、デカい蟻が首筋這っとった。暑いんか冷や汗なんかもわからんけど前髪から落ちた汗が目に入ってなあ、何もかも全部、帰りたい理由しかなかったわ。

「よし、殴れ。」

 きっつう縛り終わったら、テッタくんそう言うんよ。殴れって言うても縛られて無抵抗の相手や。当然前より遠慮するわ。案の定祐也、へろへろのパンチを俺の胸に当てよった。

「蹴れ。」

 てテッタくん言うねん。ほしたらまた遠慮がちキックや。これは脛に当たってちょっと痛かった。しばらくほうやってキックやらパンチやらされたあとでテッタくん、うんうん頷いて、

「ズボン脱がせ。」

 言うねん。

「ごめん。こんなことしたくないんだけど。」

 て祐也は当然従って俺のズボン脱がすんよ。

 ほんでテッタくん、「パンツもや」。で、俺下半身裸にされて、ほのまんま2人どっか行ってもうたん。太もも蚊に刺されてるのに動けんから血吸われ放題で、痒いやら恥ずかしいやら腹立つやら、このまま2人帰って来んかったらどうしようって不安やら、腹立つやらで、2時間くらいそうしてたきいする。いや30分くらいやったんかなあ、しばらくして2人もんて来たんやけど、どこで見つけてきたんか祐也が手にでっかいカミキリムシ持っとんねん。

 カミキリムシって知ってるやろ。あの触覚がデカい、バキバキの長い甲虫。あいつの顎がヤバいねん。ちっちゃいクワガタみたいでギチギチって噛みよんの。

「ごめんね。ほんとうにごめん。」

 て祐也言いながらその虫俺の股間に当てよってん。あいつ、ほんま信じられん、ちょっとわろとった。

 俺屈辱と苦痛と怒りが頂点に達して、そこでわかってん。(ああ、テッタくん、考えたんや)て。そんなずる賢いとこあると思ってなかったから、ちょっと感心してしもたん覚えてるわ。ありがたいこってゃで、俺らのために。知恵絞って工夫してくれたんや。

 やからテッタくんが縄解いたとき、ズボン上げてから俺、あの人の期待通りに動いてたわ。生まれて初めて本気で人殴ってん。もちろん祐也を、や。百パー悪いんテッタくんやけどな。そっちに向かわんだけの理性というか、卑怯さは残っててたんやわ。

 祐也、吹っ飛んでひっくり返って、殺される思たんか、足バタバタさせて近づいた俺の腹蹴りよった。腹おさえておじぎの姿勢になってる俺の背中に祐也がげんこつ食らわせよった。こぶしの外側でこう、机ドンってやるみたいなやつや、たぶん。俺息できんなってしばらく祐也に殴られたあとまたやり返した。

 しばらくやり合って、お互いぐったりして喧嘩やめた。座り込んでハアハア言うてたら、テッタくんがパンって手叩いて、

「よし。交代。」

 俺、祐也のほう見て笑ったわ。


 あ、来たわ。チキン南蛮。ありがとうございます。けっこうでかいな。食お食お。

 あ?続き?いやー、もう恥ずかしいことまで喋りすぎたでなあ。俺あそこにまだ入れ墨みたいにカミキリムシの歯型ついてるもん。なんか黒い砂みたいなん入ってもたんやろな。こんな話聞きたいか?情けないだけやで。

 あれ以降はな、夏は月3、4回のペースで山行ってたんよ。あのあとの3回目のときは俺と祐也だけやのおて他の地元の連れも2人おった。ほの2人はまだ何が始まるんかわからんでそわそわしとったから、俺はちょっと他人事みたいに見てられた。他人事というか共犯者みたいにというか、祐也もいっしょやった。でも最後は祐也が一番ひどい目に遭ってん。これなー、正直この話、自分がひどい目に遭う話より言いづらいんやけど。

 最初はまあみんな平等や。前とおんなじこと始まって4人で交代して一通り殴り合いしてたんや。あの時間のことは今でもよう夢みたいに思い出すわ。クマゼミが鳴いとって、杉の間の高いとこからちょっとだけ日が差してて、温い空気にどっかで死んどる動物の腐臭と甘ったるいジャコウソウの芳香が混じってて、口の中は血の味がして、体のあちこちが痛うて。落ち葉の下這っとるムカデやら石ころやらを吟味して、今度こいつ縛ったら何したろか、沢降りてイモリ取ってこよか、あれは死ぬほど苦いから…、とか。そんなことばっか考えてた。悪夢の時間や。

 いやむしろあの時間だけが現実で、今当たり前に都会で会社に通って、善人でもないけどそこそこまともな人間に囲まれて、おんなじテレビ番組観てその話題で盛り上がって、ときどき文句言うほどでもない嫌がらせ受けてこっちもちょっとしたチャンス見つけてやり返して、そんなんしててもなんやかんやで私たちは共感し合える同じ人間です繋がり合ってますみたいな空気のほうこそ、(これ全部夢なんちゃうかな)て気分になるんや。あの山の殴り合い思い出すと。ちょっとしたときに夢から醒めそうな気分になる。あの山の時間に引き戻されそうな…。

 まあ、つながり合ってるなんちゅうのは嘘なんや。それはマジやで。祐也が口に虫入れられたり、鳩尾みぞおち殴られたりしとっても、けっきょく俺はなんにも痛ないからな。


 ほんで4人で殴り合い終わって、テッタくんが祐也指して「こいつ縛れ」言うて、まだやんのか思いながらほの通りにしたらテッタくん、

「ほな帰ろか。」

 言うねん。

「え?」

 て祐也口あんぐり開けて、「どういうこと?」て聞くけどテッタくんそのままスタスタ帰り始める。俺ら(どうすんのこれ)て感じで顔見合わせたけど、3人とも逆らって解くことはせんかった。

「おい、早よ来いやお前ら。」

 てテッタくんも怒りだしてるし、そろそろ山は暗なるし、元はと言えば祐也がキンタ死なせたんが悪いんやから、もうしゃあないわ、て思って俺も帰ってん。あとの2人も信じられんて顔しながら、やっぱり帰った。祐也はずっと「置いてかないでよ。助けて。ほどいてー」て、見えんなってもしばらく声だけしてた。


 祐也、山で飢え死にするかなと思ってたけど週明けたら学校来とった。祐也のおかんが祐也帰って来んから山探しに来たらしい。ほらまあ他に助けてくれる人もおらんしな。祐也んち、なんでこんな田舎越してこなあかんかったんかわからんけど、またどっか引っ越してあの村出てくことも、警察に通報することせんかったんや。

「なんでなん?」

 て、俺祐也に聞いたら、

「父さんが警察沙汰にしたらここにいづらくなるって止めるんだ。だからあてにならない」て、椅子に座って両こぶし握って首突き出して、前だけ見て、無表情で言うとった。「アホだよ、ほんとうに。アホや」て。

「お前のおとんよりお前のが根性あると思うで」て俺は慰めにもならんことを言うといた。

 あいつ、杉の木に縛られてたあの夜からちょっと雰囲気違ってたんや。おかしなってたんやと思う。俺もあの頃はあんまりまともやなかったんや。知ってる思うけど、変なとこでキレてクラスで喧嘩しだしたりしてたやろ。まだ調子が普通とちゃうかったんよ。周りの奴らは夏休み終わって学校始まんの嫌やあ言うとったけど、学校なんか天国やん。俺夏休み終わって山呼ばれる頻度減ってひたすら嬉しかったもん。


 寒うなっても相変わらず隔週くらいで続いてて、俺と祐也は皆勤賞、あとの2人は来たりんかったりやった。ほんで祐也は毎回山に置いてきぼり。毎回あいつのおかんが懐中電灯もって助けに行くねん。帰り道すれちがったこともあったわ。小柄で、地味やけど都会っぽい、まだ若いおかんや。みい守るみたいに肘こうやって手で抱えて、山向かって行くねん。俺らクスクス笑ってた。

 木に縛られたとき、祐也、テッタくん睨んで言いよんねん。

「お前らのせいでうちの母さん、父さんが首をくくるのかと思って泣きついて止めたてたんだぞ」て。

 テッタくんは睨み返すでもなくニコニコして聞いとった。

「お前のおとん首吊ろうとしたんか。」

 そう聞いたら、

「いや、納屋で電球替えてただけだったんだけど…」俺らは笑た。たぶん、笑うとこちゃうかったんやけど。テッタくんが吹き出したからつられたんや。

「母さんにはそう見えたんだ。それだけ追い詰められてるんだ。」

「ほうか、ほうか」テッタくんは満足そうに頷いて、祐也を上から下までじっくり眺めたあと腕組んで、「こいつに猫踊りさせたら、おもろいやろなあ…」て言うねん。

 「猫踊り」が何かはほんまのところは知らんけど、ええ予感はせんかった。テッタくんの思いつくことなんかたいていろくでもないけど、これはほんまにヤバそうな響きやった。

「ほれはさすがにまずいんとちゃう。」

 て、俺思い切って言うたんや。ほしたらテッタくん、

「なんで?」て聞き返してくんねん。「なんでや?」て。

 俺が反発したことに怒ってるとかやなくて、ほんまに素直に、なんでこんなおもろいことを止めるんかわからんくて聞いてるって調子やった。逆に俺のほうが残酷な提案してるみたいな気分になったくらいや。あかんわこの人、もうアカン、思た。俺は黙って引き下がって、祐也は失禁してた。

 祐也置いて帰る途中、会所前の籾摺機のとこでテッタくんパッと立ち止まって、

「お前ら、先帰っとけ。俺もうちょっと待っとくわ。」

 て言うて山のほう引き返していった。もう暗かった。殴り合って体中痛かったし。最中はあんまり感じひんねやけど、終わってひと息ついてからが痛いんや。俺その日腹蹴られて吐いてたしな。「戻って何するん?」て聞く元気もなかったし、考えるのも面倒くさい。「待っとく」言うてたけど待って来るもんって1人しかおらんけど。けっきょくあのあとのことは知らんねん。ろくなことにはならんかったということしかわからん。


 テッタくんと山行ったんはそれが最後やったわ。死んでもたからな。え?ちゃうで。ちゃうちゃう。木から落ちて死んだんやないって。そんなふうに伝わってるんか。あんなん転落死っていう死に方ちゃうわ。

 テッタくん、おらんなって近所のみんなで探してたとき、俺ら「山ちゃう…?」て、大人らあといっしょに山行ったんや。おったわ、テッタくん。

 葬式で担任やっとった柴原が言うとった。

「テッタのことはなあ、俺らこいつのことはあんまりわかったれへんかったからなあ。俺らみんなで死なせてしもたようなもんや。ほんまにそう思うわ」て。

 あいつ、状況知らされとったはずやろ。ようあんなこと言えるわ。わかったれへんかっただけで人間あんな死に方するかっちゅうねん。「みんな」なんていう抽象的なもんやなくて、ちゃんと顔と名前のある誰かが殺したんや。誰かは知らんけどな。恨みある人なんか山ほどおったし。

 たしかにしめ縄巻いた野神杉の近くで死んでたわ。でももうあの頃は木登りはしてなかったからな。杉の木の奥に小さい古井戸の名残があってな、今は浅いんやけど、水が溜まってるん。テッタくん体ロープで縛られて、井戸の石囲いから足こっち向けて出して頭水に突っ込んで死んどった。体中に切り傷があって、血がべっとりついた髪の毛が頭に張りついてカピカピになってた。大人らが肩と腰もって引っぱり揚げたら顔突っ込んでた水が凍ってて、その氷ごと氷漬けの顔が出てきた。冬眠前の亀も一匹氷に入って固まってて、耳がちょっと齧られてた。氷は血が混じって半透明の茶色で、その中にテッタくんの顔があった。

 あの顔見て初めて、テッタくんに惚れる女の気持ちがわかったわ。あんな綺麗な顔はドラマでも映画でも見たことない。表情も、むごい死に方したと思えんくらい澄ましてた。その飴色の氷の中で、なんかこう、これでええんですて言うてるみたいやった。あるべき形に落ち着いたっていう顔やった。俺がそう思ったんや。帰らはったんやって。

 死体見たその場の大人も、残念なんか安心したんかようわからんようなため息ついてた。「ああ、とうとう…」ていうため息や。

 警察の捜査はわりとすぐ済んで、犯人も見つからんままや。俺も別に今さら知りとないわ。「みんなで死なせてしもた」とか、しらこいこと言うて片付けたあなる気持ちもちょっとわかるわ。しょうがなかったんや、あれはもうあんでええんやって。恐ろしいことは忘れて生活に戻りましょう、て。ほれこそほんまに怖いことなんかもしれんが。

 …ん?何の音や。あ、外か。

 降ってきたな。

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琥珀の獣 虫太 @Ottimomisita

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