琥珀の獣

虫太

前編

 ほんま久しぶりやな。ほうやろ、ええ店やねん、ここ。こんな店地元にあんの、俺も去年帰ってきたとき初めて知ったんよ。お前もそんなに帰ってへんねやろ。この町も変わったよなあ。昔やったらこのへん田んぼばっかやったやろ。山のほうは昔のまんまやけどな。田んぼほったらかしなぶん昔より野性味増したくらいや。

 中学校の近くなんか古民家カフェとかできてるんやで。古民家て。なあ?褒めてんのか知らんけど。もっと古い家まだ住んどるっちゅうねん。そんカフェが、昔あのへんの祭りする人らあが寄り合いで使う会所やったとこや。知ってる?あ、行ったことあるんや。お前の彼女って他県の子やろ。よう知っとたな、ほんな店。雑誌?すごいな、載るんや、こんな田舎の店。まあ、改装して店やっとるんは都会のもんやろけどな。

 何頼むん?いきなりウィスキー?はあ、ようそんな強いのいくなあ。俺か?これはジントニック。

 ジントニックてよ、松脂まつやにの匂いせん?飲むときいっつも思い出すんよ。松脂まつやにって、知ってる?松とか杉のきいから出てる、ネバネバしたやつ。親戚んねえ行ったとき、居間の柱んとこ触ったら手について、ずっとあの匂いしてた。どんなって、こんなやん。ジントニックみたいな匂い。ジンみたいな匂いか。

 子どもん頃楠山で遊んでたとき、よう連れと蟻捕って松脂にくっつけてたわ。山におるでっかい蟻。琥珀こはく作れるんちゃうか、言うてよお。虫入ってるの、あるやん。映画で、あれからちい取って恐竜創るやつ。ほんなんほんまにできたら売れんちゃうか、言うて。あれ宝石みたいなもんやろ、琥珀って。

 山の蟻てほんまでかいねん。ほれを杉の木の皮の間に垂れてる、透明の茶色い松脂に押し込むんよ。ほんでほれとって石に載せて見んねん。手え臭なるけどな、蟻もヤニまみれになってもがいて、おもろいねん。琥珀はできひんかったけど。あの蟻、ヤニん中でもがいとると刺生えてくんねん。いや、もともと生えてたんかな。でも子どもんときは生えてきたんやと思てたわ。松脂の匂いと粘りのせいで蟻がどうかなったんやと思ってた。琥珀パワーやな。あ、店員来たわ。ウィスキーひとつお願いします。何にする、て。ロックか。いくなあ。


 …ほう言や、テッタくんっておったやん。一っこ上の先輩の。よう山で遊んでたんよ。松脂の匂いで思い出すわ。

 そう、その狗山いぬやま徹太てつた。めちゃくちゃヤバい人。翔太とか健人とか連れてK中で番張ってた人。狗山番長よ。番長て…、笑てまうけど、今日び言わんで。てかあん頃でも言わんかったわ。でも、あの人はほやったわ。ほんまに番長やった。

 俺、テッタくんとおんなじあざやったんよ。お前んとこ西小やで知らん思うけど、ほんまに、ほんんまに、荒かったんよ、あの人。小学生のときから。中学でも喧嘩ばっかしてはったけど、近所でもめちゃくちゃやったんよ。俺らようテッタくんと遊んでて、いや遊んでたって言うかいじめられてたって言うんかな。ほんま地獄やったわ。まあ子どもんときは、酷いことしてても、何でも遊びやから。

 テッタくんの伝説てほんま、なんぼでもあんで。自分の手の骨見えるまで殴るっていう、喧嘩関係もそうやし、それ以外でも。

 みんなで山行って川で遊んでたときな、雨降ってきて増水したからみんな上がってたんよ。もうどう泳いでも押し流されるっていう勢いになってきたから。ほんときも、テッタくん一人で泳ぎ続けて数百メートル溺れながら流されて、戻ってきてまた岩から濁流ん中飛び込んどった。

 泥水ひっかけた車2つ隣の町まで走って追いかけたりな。俺らゲームとかおもちゃとか買ってもらっても絶対隠して遊んでたもん。バレたら全部テッタくんに取られるから。

 あと、野良猫捕まえてきて全部の肢先に釘打ちつけたり。猫、可哀想に、どう立っても痛いからバタバタ変な動きで跳んだり転がったりするんよ。干上がりかけてる蚯蚓みたいにのた打ち回んの。ほれ見てテッタくん、ほんまに心から楽しそうに笑うねん。

 そのくせめちゃくちゃ女にモテてたな。やっぱ顔がええからかなあ。同年代でテッタくんに惚れてない女おらんかったんちゃうか。ほんまに手当たり次第や。「彼氏いるんです」言われても「かまへん。ええほん、ええほん」て。なんにもええことないねん。そのせいであとで大喧嘩するんやから。ほれでも「ええほん、ええほん」や。気にせえへん。

 お前が好きやった香純もやで。嘘つけや。ええやんけ、もう。ええって。テッタくんも死んだんやし。

 俺がようクラスで口喧嘩してた桐子も何か言うたらすぐ「テッタが怖いんよねー」「テッタ怖いくせに」て言うてきよった。アホかっちゅうねん。オオカミ怖ない人間がおるか?お前は女やから殴られへんねん。

 楠山の野神杉登んのもテッタくんが一番やったわ。天辺てっぺん近くの枝が細いとこまで梯子はしごでも登るみたいに登ってくねん。「めっちゃ眺めええぞ、なんでお前ら登らんねん」言うて。俺らは木登り得意なやつでも山見渡せるとこまでは登れへん。次の枝に手え届かんことはないけど、そこまで上がったらもう足ガッタガタ震えて動けんなるんや。

 あの人は、可哀想とか、怖いとか、ほういうこと感じる神経がブチ切れてたんちゃうかな。鎌倉時代とか、下剋上の戦国時代とか、なんかそういう時代の人なんよ。それかもう、恐竜時代や。

 ほらもちろん他にも怖い人はおったで。バレー部顧問の島田もしょっちゅうシバいてきよったし、他の不良もおったし。でもテッタくんは別格やったな。島田なんかテキトーに機嫌取ってたらええだけのアホやったし、中学にいた他の不良やったら最悪お互い怪我して終いやもん。テッタくんみたい人間の理屈が通じんような怖さはなかったわ。

 ああ、来たで、ウイスキー。何食おか。チキン南蛮?あーほなそれとー…、タコワサと、この和風サラダお願いします。

 …テッタくん、あれで優しいとこあったんかなあ。いや、優しい言わんか、ほんなんは。あの人の気まぐれで可愛がられたり虐待されたりするんやもんな。あ、気まぐれっていうんは、野良犬世話してたんよ、あの人。下校途中におった仔犬。白黒で、耳たれてて、目が片方だけ緑色のやつ。キンタって名前つけて。テッタくん、家もって帰っても飼えへんからこっそり給食のコッペパンとかやってて、そいつも懐いとってん。テッタくんの顔見たら尻尾ふってまっすぐ寄ってきとった。

 ほれ見て大人やら女子やらが、優しいとこあるんやなあ、言いよんのよ。俺らからしたら、ほんなもん釘打たれてパチンコの盤面みたいにされた猫に言うてみいって話やん。

 その犬、俺らが小6んとき途中でおらんなってん。テッタくん珍しい落ち込んで、ようため息つくようになったんよ。ちょっとの間やけどな。大正橋の横の川縁かわべり座ってなんにもせんと夜までぼーっとしとったり、明らかに元気なかったてん。「キンタ、元気にしとるんかなあ」言うて。中学上がってしばらくしたらまた元気、というか凶暴んなって上級生と喧嘩ばっかしてはったけどな。

 で、あとから知ったんよ。キンタおらんなったんな、あれ、祐也がやりよってん。祐也って、おったやん、小6んとき埼玉から引っ越してきた。3年とき6組や。俺家近所やったんよ。今もこっち残って町会議員の秘書かなんかやっとる。

 あいつ昔はもっとしらこい感じで、白うて、チビで太ってたやろ。そいつが言いよんねん、俺ら中学上がって、掃除当番でな、図書室の裏で掃き掃除をサボってたときや。祐也は真面目にやっとったけどな。しらこかったから。

「僕が保健所に報告を入れたんだよ。」

 て、あの顔で言いよんのよ。ゴミをちりとりに集めながら。

「あほやろ、お前。テッタくんにバレたらブッ殺されんぞ。」

 ほう俺が言うたら、あいつ、あの赤ちゃんみたいなほっぺたの間で唇ヒヨコみたいにとんがらせて、

「公衆衛生だよ」言いよんねん。「正規の飼い主もいないし、予防接種もしていない犬を野放しにしておけないよ」やて。

「アホやなあ、お前。何がコーシューエーセーじゃ。」

 あの頃は、田舎やったら野良犬なんかそこら辺にいっぱいおったんよ。最近はほんま見んなったよなあ。でも、昔はようおってん。キンタだけやない。別にいちいち全部捕まえなあかんことなかってん。祐也もあんなこと言うとったけどな、たぶん腹いせやで。あいつも俺らといっしょにちょいちょい殴られとったから。

「ほんで保健所連れてかれたら、犬、どうなんの?」

 俺怖いもの見たさで聞いたんや。ほしたら祐也はなんかめえギラつかせて、

「仔犬なら動物愛護センターで引き取り手を待つんだ。柵の中で来園者と触れ合って、気に入られたらその人に飼われることになる。」

「ほな、キンタは?」

 もうキンタ、仔犬ちゃうかってん。こんくらいなってて。

「貰い手なんかない。檻に容れられて順番を待って、殺処分される。ガス室だよ、ガス室。」

 祐也、気色悪いわ、ヒッヒッヒッて痙攣するみたいにわろとった。

「キンタ、ガス室〜?ハッハッ、キンタガス室かあ。」

 俺もわろた。

「しょうがないんだよ。それが保健所の仕事だからね。フフッ。」

 おんなじ班の掃除に来てた奴ら「何がおもろいねん、こいつら」て顔で引いとったわ。当たり前やな。でもおもろかってん。

 ほんでほんなこと喋ってたあと掃除時間終わって教室戻るとき、俺見てもてん。図書室から出る渡り廊下を校舎のほう歩いてく後ろ姿。ほうよ、テッタくんや。あの人が図書館行くことなんかふつうないけど、変な強運もってるというか、トラブルとかおもろい場面は絶対居合わせる人やったから。俺らが喋ってた壁一枚向こうにおったんかもしれん。

 でも、今となったらどっちでもええねん。たぶん聞いとったんやろう。あれ以降の虐めがほんま壮絶やったから。

 テッタくん中二になったらもう学校では喧嘩しとらんかったよ。相手おらんなったから。キンタ関係なく、どのみち俺らに矛先向いてたんかもしれん。俺らの代くらいから中学もそんな荒れてなかったしな。学校ではイジメはなかったんちゃうかな。いや知らんけど。あったんかも。あった?そうか、やっぱあったんやな。そういやイジメって言葉自体あの頃初めて出てきたよな。それまでは校内暴力って言うてたもん。

「遊ぼうや。」

 ほう言われて、俺と祐也とあと他に近所の連れ2人、山に呼ばれてん。俺はもうずっと嫌な予感しかしてなかったんやけど、祐也は呑気にかあに刺されたこと気にしとる。あいつアホで何も知らんかったから、山に半袖半ズボンで来よったんよ。山の中って、杉の木が高あてひい届かんしな、今に比べたらあの時代なんかとくにほうや、今くらいの季節でもまだ昼の早いうちからヒグラシ鳴いとるくらい涼しかったんよ。

 蚊だけやなくて、草に負けたんか笹で切ったんか知らんけどすね真っ赤にして「かゆい。かゆい」言うとんねん。うっといなあ思いながら石段座ってたら、テッタくん来て、「おう」て。俺ら4人の顔ひとりひとり見たあと、俺と、祐也を順番に指差して、

「お前と、お前。喧嘩せえ。」

 言うんよ。

「え?」て俺聞き返したんや。それでもテッタくん、

「喧嘩や、喧嘩」て、それしか言わん。

 いや、いきなり喧嘩言うても、そんなん、できひんやん。俺は祐也の顔見て、祐也もなんかビビった感じで俺の顔色うかがってて、お互いどうしてええかわからんまま突っ立てた。

 ほしたらまた、「ほら、やれや。殴り合え」て急かすから、まあちょっと押し合ったりするわけよ。それ以上キレられても嫌やし。そしたら、「ちゃんとやれやああ。お前らああ。キンタマついてんのかああ」ていきなり叫びだすんよ。こめかみに漫画みたいに血管浮いてて声もほとんど裏返ってて、あの人だけもうまともなテンションちゃうんよ。やから俺ら、強めに殴ったり蹴ったりもしたわけ。祐也もすでに半泣きになりながら叩いてきよって、ほれにイラついてこっちもまた殴って祐也は尻もちついて…。ほんでもまだ「早う喧嘩せえやああ」言うてんねん。どうしようもない。どうしたかてあの人が考える「ちゃんとした喧嘩」は俺らにはできひんねん。テッタくん飛び跳ねて金切り声上げて悔しがって、「ええわ」言うて帰ってもた。

「殴られなかった。」

 落ち葉の上に座り込んだままの祐也がほう言うたんや。俺も「ほんまや」て。

 祐也の言う通りや。殴られへんかった。そんなことあの日が初めてやった。

 それが一日目や。

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