第34話 嫁を解雇される前に……

「一応訊いておきますけど、エオール様に一体何が?」

『次はミノス公爵あたりが危ないんじゃないかって、わたくし死に際に思ったの。あまり記憶がないから、あやふやなんだけど……』

「はあ?」


(何なんでしょうね。それ?)


 膨れ上がっていた私の緊張感は、瞬く間に鎮火されました。


「うーん。記憶があやふやな方の言葉を信じろと仰られても?」

『エオールが十四日も来ていないって、悩んでいたじゃないの?』

「悩んでいませんよ」


 困り果てた私は背後に助けを求めました。


「これ……本当のことなのでしょうか? ミネルヴァさん」


 ミネルヴァは「幽霊妻」という蔑称が気に入ったらしく、私の頭上で笑い転げていたのですが、私の問いかけに真顔を取り戻して、見解を喋り始めました。


『ああ、そうですね。セーラさんの話は具体性に欠けますし、死んだ直後って記憶が混濁する人多いので、妄想が暴走した可能性が高いと思います』

「……ですよね。怪しいというか。大体、そんなに危険なら一番にエオール様のところに行くべきじゃないですか?」

『勿論、行こうと思ったわよ! まず、王宮に行こうと思って、金ぴかの建物を目指して行ったのよ。でも、どういうわけか、わたくしはここにいたのよ』

「それって、もしかして……勘違いじゃ」


 王宮とミノス邸を間違えたのでしょうか?


『何にしても、セーラさん。幽体は王宮には入れませんよ』


 私の言葉を遮って、ミネルヴァがこほんと咳払いをしました。


『王宮って結界が張られまくっているので、幽体が入り込むのは不可能なんです。そんなことしたら、貴方が何者であっても、問答無用で消されてしまいますからね』

『何よそれ?』

『ミノス邸も強力な結界が張られているので。だから、セーラ様はこちらの「離れ」に流れ着いてしまったのですよ。私たちも、そうでしたから』

『そういうことだったの』


 ミネルヴァの指摘に、セーラは素直に相槌を打っています。


『困ったわね。わたくし、どうにかして、犯人のこと伝えたかったのに……』


 ――犯人。

 再び物騒な単語。

 出会ってすぐに、ここまでの謎と危険を振りまいていく人は、初めてでした。


「とにかく、セーラ様。事件を解決したいのなら、どうか余所で。私はこの離れで療養に励んでいるって設定で生きているのです。頼まれごとをしても何も出来ません」

『何、それ? 貴方、仮にも夫の危機なのよ? もう少し必死になるものじゃないの?』


(……夫の危機?)


 どうして、エオールのために最近まで捨て置かれていた私が動かなければならないのでしょう?

 

「夫……ね」


 冷めた目で呟くと、セーラが首を捻っていました。


『そんなに、ミノス公爵が嫌いなの?』

「いえ、そんな。大変お世話になっている方ですから、嫌うなんてとんでもない。だから、本当に危機だというのなら、頑張って言伝くらいしますけど。でも、セーラ様の話している内容は具体性に乏しくて」

『仕方ないでしょう。記憶があやふやなんだから』

「そうです。だから、そんな方の情報を鵜呑みには出来ないのです」


 レイラに言伝を頼むにしても、この内容では不審がられてしまうでしょう。

 大丈夫。

 使用人の噂によると、エオールは戦時中一等危ない最前線に赴いても、掠り傷一つ負わなかったそうです。

 きっと、彼なら自力でどうにかしてしまうでしょう。

 私なんかに心配される方が迷惑なはずです。


「エオール様なら平気ですよ。放っておいても事件を解決してくれますって。セーラ様の仇はきっと取ってくれますから、安心して下さい」

『薄情な人。まるで他人事じゃない?』

「ええ、薄情で結構です。ですから、そういう危険な話はもっと適任の方に……」


 ――と、何とか丁重にお引き取り頂こうとしていたところで、ミネルヴァが私の耳元で囁きました。


『待って下さい。ラトナさん』

「はい?」

『私、気づいてしまったんですが……。今エオール様に何かあったら、ラトナさんも無事では済まないかもしれません』

「なぜ?」

『確か、エオール様の父君は当主時代、大層厳しくて有名で、仕事が出来ない者を一斉即日解雇したことがあるとか……。嫁にだって、どういう扱いをするか分かりません』


 さああっと、血の気が引いていきました。


「解雇って? 生産性のなさで言ったら私が一番じゃないですか」


 ……解雇されてしまう。嫁を。

 そうでした。

 私は重要なことを失念していたのです。

 今のところ、私は書類上ではエオールの「妻」なのです。

 何を考えているのかさっぱり分からない、旦那様ですが、私が離れで療養することに関しては認めてくれています。

 当主の決めたことですから、いくら両親でも逆らうことは出来ず、私はエオールのおかげで、ここに置いてもらえているのです。

 彼の状況次第では、先代当主の父が返り咲きして、私は身ぐるみ剥されて、素っ裸で実家に強制送還されてしまう可能性もあるのです。

 冷酷さなら、エオールよりあの父君の方が遥かに上でしょう。


(……大変だわ)


 私の精神安定のためにも、エオールには、何としても生き延びて頂かなければなりません。

 怪しげな情報ではありますし、セーラの言葉に従って動くのは面白くありませんが、現に彼は十四日間、離れに来ていないのです。


(危険を訴える匿名の手紙でも、エオール様の別邸に置いてくれば良いんじゃないかしら?)


 どうせ私は暇なんだし、セーラの言い分が嘘でも本当でも、その程度なら協力できるかもしれません。


「……て」


 しかし、私はそこでまた痛ましい事実を思い出したのでした。


「エオール様の別邸って、何処にあるんだっけ?」


 結婚から半年。

 私はその場所すら知らなかったのでした。


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