第33話 私、幽霊妻らしいです

 私と目が合った瞬間、優雅なカーテーシーをして見せた女性。

 艶々で光沢のある亜麻色の髪と、簡素とはいえ鬱陶しいくらい刺繍が盛りだくさんの高価なドレスは、名だたる貴族の御令嬢であることは間違いなさそうでした。

 ああ、足はないですけどね。


(モリンさんと同い年くらいかしら?)


 十代後半から、二十代前半。

 表情は子供っぽいですが、くびれた腰に豊満な胸。

 羨ましい身体つきは、大人そのものです。


(……それにしたって)


 次から次へと、この離れは幽霊ばかり、よく沸いてくるものですよね?


「その……貴方様は貴族のご令嬢のようですけど、一体、どなたなのでしょう?」

『わたくし、わたくしは……』

「…………」

『誰なのかしら?』

「誰……なんでしょうね?」


 威勢よく現れて早々、彼女は顎を擦って考え始めました。

 生前の記憶が余りない例はありますが、自分の名前を忘れたという幽霊は初めてです。

 死後間もない方なのでしょうか?

 いっそ、見なかったことにしようかと、本気で考えていたところで、ようやくその女性が声を張り上げました。


『ああ、そうよ! わ、わたくしは多分……セーラ』

「多分?」

『セーラと言ったら、セーラよ』

「はあ……。セーラ様」


 貴族の令嬢にしか見えなかったので、私はあえて「様」をつけました。

 気位の高い人は、自意識過剰で面倒な人が多いですからね。


『……で、貴方!』


 セーラと名乗った女性は、得意げに胸を反らして、私の顔に人差し指を向けました。

 早速、下僕のように呼びつけられてしまいましたね。

 人に向かって指差しするのは、失礼だって習わなかったのでしょうか?


「はい、私ですね」


 私は虚ろな目で、彼女に付き合っていました。


『今の話の内容から察するに、貴方はミノス公爵の幽霊妻……みたいね? ちゃんと生きていたなんて、驚いたわよ』

「え? 私をご存知なのですか? セーラ様」


 ……しかも、幽霊妻って?

 当然のことながら、初耳です。

 セーラという幽霊は、最近亡くなったばかりなのでしょうか?

 世間に明るい……というか、私の素性がバレバレじゃないですか。

 私はセーラなんていう名前の女性、知りもしないのに……。


『もちろんよ。貴方、社交界では有名人なんだから。幽霊妻って』

「いや、何か面白い呼び名ですけど、私はまだ死んでいませんし」

『ふん、ここまで痛い皮肉が通じないなんてね。ミノス公爵のご夫人って、結婚式も挙げず、ただの一度も社交の場に姿を見せたことがないから、実在していない人扱いで「幽霊妻」と呼ばれているのよ』


 おおっ。

 私はぽんと手を叩いて、頷きました。


「ああ、だから「幽霊」。そういう意味だったんですね! 貴族様は名付けの才能ありますね。凄いな」

『感心している場合? わたくしも貴方とここで会うまで、ミノス公爵があまりの縁談の多さに、架空の妻を用意したんじゃないかって、本気で思っていたんだけど……』

「当たらずとも遠からずという感じですが」


 観察力に優れているのですね。

 上流の方々は……。

 私なんて空気みたいなもので、社交界で噂に上がるほどの人間でもないのに。


(皆さん、よく見ていらっしゃる)


 ありがたいことに、エオールも一応、結婚したことは陛下に報告されていたみたいですし、この先、内々で殺されたとしても、身元不詳のまま遺棄される可能性は低いということですよね?


「幽霊妻。悪くないですね。ちょっと照れてしまいます。私、一応「妻」なんですね。実感なかったから、かなりびっくりです」

『あの……ね。蔑称をつけられているんだって、教えてあげているんだけど?』

「えっ、ああ、わざわざ教えて頂いてありがとうございます」

『なんか、調子狂うわ』


 唐突に現れて、突然そんなことを丁寧に教えてくれる貴族の幽霊少女。

 知らないことを教えてくれたのは素直に感謝していますが、怪しすぎますね。

 離れに来た新参者の幽霊は、気後れして、ほとんど私に近づいて来ないのに……。

 なぜ、この人、私に対してこんなに親しげなのでしょう?

 しかも、私の素性もよく知られているみたいですし……。

 自分が相手のことを一切知らないのに、相手が自分のことをよく知っているという薄気味悪さに拍車がかかっています。

 そして、こういう場合……。

 大体、厄介事が絡んでいるのでしょうから、知らぬが勝ちなのです。


「セーラ様。私とミネルヴァさんとの話を今まで聞いていたのなら、ご存知ですよね。私忙しいのです。天国に逝きたいということでしたら、エオール様の方が専門ですので、そちらの方に直接……」

『あっ……そうよ。そうだったわ! わたくし、そのミノス公爵のこともあって、ここに来たのよ!』

「はい?」

『わたくし……記憶があやふやなんだけど。毒を盛られて』

「記憶があやふやなのに、毒だと分かるのですか?」

『だって、この姿よ。わたくし死んだんでしょ』


 ……いよいよ、話がきな臭くなってきました。


(厄介事確定ですね?)

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