第3話 旅立ち
「思いは、変わらないんだな」
成人の儀を終えて帰ったルーキスに、食卓を挟んで座っている父親が言って寂しそうに微笑んだ。
ルーキスは成人の儀を迎えたのち、冒険者になる為に町を出ることをあらかじめ両親に伝えていたのだ。
「ルーには私の後を継いで工房長に……いや、それは私の我儘だな。すまない、約束していたのにな」
「俺の方こそごめんな父さん。町一番の錬金術師の息子としては跡を継ぐべきなのかも知れない。でも、俺はどうしても世界を見てみたいんだ」
「そうだな。ルーはこんな狭い町で収まるような器じゃないもんな。はあ〜。しかし、ルーが討伐していたから抑えられていた魔物からの被害の対策を、自警団から持ちかけられて一緒に考える事になるかも知れないって考えると、いささか面倒だなあ」
父の言葉に、ルーキスは目を丸くして苦笑している父の顔を見た。
町を抜け出し、魔物を倒して鍛練していた事がバレているとはルーキスは思ってもいなかったのだ。
「バレてたんだ」
「お前が外に遊びに行くようになった頃から魔物達の目撃情報が随分と減っていたからな。最初は何か異常が起きているのかと調べに行ったんだが、その先で見つけたのはお前の魔力の僅かな残滓だけだった。それでもお前は毎日無傷で帰ってきていたからな、しばらく小石に擬態させたゴーレムで様子を見ていたんだ」
「結果的に問題なしって判断してくれたって事なのかな」
「そういう訳だ。そしてこうも思ったよ。我が子はいつか大きな事をなす為に生まれてきたのだと」
「それに関しては買い被りだよ。俺は別にそんな使命じみたもの、感じちゃいない」
食事を終え、苦いコーヒーを口に運びながらルーキスは父の言葉に苦笑するが、父は真剣な面持ちで我が子を見る。
「例えルーキスがそう考えていても、いつかは否応なく大なり小なり問題に巻き込まれる。力を持つ者はその問題に真摯に向き合う責任が生まれる。それが大人になるって事だよ」
父より長く生きた記憶がある筈のルーキスだったが、父の言葉に「そんな事、言われなくても分かっているよ」とは言わなかった。
大いなる力には、大いなる責任が伴うとはよく聞く言葉だが、それは世界の真理の一つでもある事を長く生きたルーキスは良く知っていたからだ。
「たまには帰ってくるんだぞ?」
「そうだね。次帰ってくる時は恋人でも連れて帰ってくるよ」
「はっはっは。それは楽しみだ」
前世で連れ添った妻よりも良い恋人など出来る気はしないけどなあ、とは言えるはずもなく。
ルーキスは両親と過ごす最後の団欒を楽しみ、この日は眠りについた。
そして迎えた翌日、旅立ちの朝。
ルーキスは生まれ育った故郷を見て回る為に日が上る前に家を出て、町の外縁をぐるっと見てまわっていた。
その際に、ルーキスは地面に魔法陣を刻み魔力を注いでいく。
(余計なお世話かも知れないけど、まあ置き土産って事で)
ルーキスが刻んだ魔法は、魔除けの魔法だった。
前世において学んだ魔法の一つで力の強い者が使えば、弱い魔物どころか病魔や邪気からもその場を守る防御魔法の基礎の基礎。
しかし、この時のルーキスはまだ自分が神から与えられた力という物を完全には理解しておらず、この魔法のおかげでこの町が永らく安全を保障される事になるとは思ってもいなかった。
(合計六ヶ所。これならしばらくは安全なはず、あとは父さんや町の人らに任せるかな)
疲れる様子もなく、ルーキスは魔法陣を町の外縁に刻み終わると、まだ眠っている町の様子を眺めながら自宅へ向かって歩いていった。
父や母と共に歩いた白い石畳の敷かれた町。
短かったような長かったような、そんな十六年。
その十六年を思い返しながら、ルーキスはそれでも寂しいよりは自分が生きた時代より二百年ほど時間が経っている世界のありように興味を惹かれていた。
二百年。
本来なら亜人種ではないただの人間では体感する事が出来ない歳月の経過。
それを体験、実感できるまたとない奇跡。
そんな奇跡を目の前に、冒険者として過去を生きたルーキスがじっとしていられるはずもない。
天寿をまっとうして死んだ老人はもういない。
ここにいるのは、外界に旅立とうと目を輝かせている一人の若者だ。
暗かった空に日が上り、太陽が空を青く、海を蒼く、町に並ぶ白壁の民家を眩く照らす。
旅立ちには最高の空模様だ。
空の彼方に雲は見えるが、ルーキスの頭上に雲一つない抜けるような青空が広がっている。
自宅に近づくにつれ、目を覚ました町から音が鳴り始めた。
扉の開く音や、皿や調理器具が擦れて奏でる朝の合奏だ。
そこにパンの焼ける香りなども加わると、いよいよルーキスは空腹感から腹を鳴らした。
(腹減ったなあ。そろそろ帰って、朝飯食べたらいよいよ出発だ。楽しみだな)
駆け出したくなる気持ちを抑え込み、ルーキスは自宅まで帰ると既に朝食の準備を終えて、両親が待っていた。
親子三人水入らず。
朝食を終えたルーキスは両親に改めてこれまで自分を育ててくれた礼を伝え、まとめていた荷物を背負うと自宅の玄関を開けた。
「荷物はそのバックパック一つだけで大丈夫なのか?」
「大丈夫だよ父さん。多分ね。まあまずは冒険者登録の為に近くの大きな街に行くだけだからさ」
「ちゃんとハンカチ持った? 護身用の剣は?」
「持ってるよ母さん。大丈夫」
「あえて言う事でもないかも知れんが、気を付けてな」
「ありがとう。行ってくるよ」
「ああ。でも行ける所までで良いぞ? 無理だけはダメだからな? まあ、思う存分世界を見て回ってくると良いさ」
ルーキスは、自分を産んで育ててくれた父母と交互に握手とハグを交わして開けた玄関のドアから外に出た。
両親も玄関から出て、旅立つ息子の背中を見守る。
その離れていく息子の背中に父は「土産は美味いもんにしてくれよ」と、声を上げ、ルーキスは振り返る事なく手だけ上げて応えると、町から街道に続く大通りへと向かって行ったのだった。
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