第1話 転生した冒険者

「見てあなた、ルーキスが目を開けたわ」


 転生した元ベテラン冒険者だった老人は、そんな声を聞いていたが、その視界は水の中にいるようにボヤけて見えていた。

 意識もハッキリとはしていない。

 酒をたらふく飲んだ後のようにぐるぐると回転している。

 

(ルーキス。それが、今世の私の名前か? よく見えない。あなたが私を産んでくれた母なのか? すまない、礼を言いたいが。今はまだまともに声すら出ないらしい)


 生まれ変わった彼、ルーキスは感謝を伝えたくて声を出そうとするが、その口から出たのは甲高い泣き声だけだった。


 その声を聞いて、覗き込んできた母らしきボヤけた輪郭と、どうやら父らしいボヤけた輪郭が、ベビーベッドに寝かせられているルーキスの目にボンヤリと映る。


「まだ眠いんだろ。寝かせといてやろう」


「そうね。ごめんなさいねルーキス。私達の可愛い子。良い夢を見てね」


 そう言って、ルーキスを産んだ若い女性は子守唄を歌い始めた。

 母は我が子の額を撫で、ルーキスの腹をポン、ポンと撫でて寝かしつける。


 転生した影響なのか、ルーキスのこの日のように意識は浮いたり沈んだりして、ずっと酒に酔っているようだった。


 そんなルーキスの意識がハッキリとし、完全に自我を取り戻したのは、ルーキスが産まれて三回目の誕生日を迎えた頃だった。


 それでも発声するには喉か、舌が未発達なのか、どうにもハッキリと喋る事が出来ず母を呼ぼうにも父を呼ぼうにも、何かを伝えようとするにも上手くいかなかった。


 両親からすればよく喋る愛らしい息子。くらいの認識だったのだろう。

 舌足らずな言葉で声を発するたびに、ルーキスの両親は彼を甘やかした。


(っく。不便な物だな言葉が伝わらないと言うのは。棚の書籍を見るあたり、言語は転生前と同じようだ、両親の言葉もハッキリ分かる。神話にあった異世界転生をしたわけではないようだな)


 この意識がハッキリしてからの数年が、ルーキスにとっては幸せでありながらも不幸だった。

 ヨタヨタと歩いていると直ぐに両親のどちらかに抱き上げられ、スリスリと頬擦りされたかと思えば行きたくもないソファの上に座らされたりもした。


(うーむ。我が両親には困った物だ、これでは何も出来やしない。見たところ貧困に喘ぐような貧しい家庭では無いみたいだなあ。ソファもあるし服も上等。本棚の本も綺麗なもんだ)


 一般的な家庭よりやや生活水準が高いらしいルーキスの両親は最愛の我が子に色んな事を話して聞かせた。

 ルーキスにとっては重要な情報源。

 彼は、両親が話している間、身じろぎもせずにその話を聞いていた。


 そんな話の中にルーキスの良く知っている単語が父の口から出てきた時があった。

 その単語というのはルーキスが生前、体がまともに動かなくなるまで勤めていた職業。冒険者という言葉だった。


 こんな冒険者がいたらしい。

 こういう事をした冒険者がいるらしい。

 強大な魔物達を倒した冒険者の話して。

 前人未踏の大地を開拓した冒険者の逸話。

 誰も攻略した事がないダンジョンを踏破した冒険者の伝説。


 さまざまな冒険者達が登場するおとぎ話。

 父からすれば、子供をあやすために読み聞かせていた絵本を読み飽きた故の、史実を元に語った物語でしか無かったが、ルーキスにとってはその父の語る冒険者の話が唯一の楽しみだった。


(あいも変わらず魔物達は蔓延り、日夜冒険者は仕事に励んでるわけか。良いな、またいつか冒険者として旅をしたり仕事をしてみたいものだ)


 父の話を聞きながら、ルーキスは少し微笑みを浮かべた。

 そのルーキスの微笑みを、父は自分の話で笑ってくれたと思い、嬉しくなってルーキスの頭をガシガシと撫でくりまわした。

 

 そうやって撫でられている最中。

 ルーキスは生前の家族の事を思い出していた。

 妻は自分より遥か昔に他界しているから仕方ないとは言え、死んで直ぐ転生したなら、もしかしたら息子や孫達とは再会できるかも知れないと思ったのだ。


 だがしかし、そんな彼の期待は六歳を迎えたその年に泡沫のように消えてしまう。


 ある日、家にあった歴史書を読んでいた時の事、生前まだ元気だった頃に参加した戦争の事を示す記述を見つけのだ。


 その記述を見つけた際、ルーキスは小躍りしそうなくらいには喜んだ。

 予想通り、今いるこの場所、この国、この世界は元いた世界と同じ世界で、同じ国だと、この国の名を教えてくれた父の言葉から確信出来たのだ。


 しかし、ルーキスの「成長した家族と再会出来るかも」という期待は本を読み進めていった先で瓦解する事になる。


 その参加した例の戦争が終戦したのが今より約二百三十年ほど過去の事だという記述を、ルーキスは見つけてしまったのだ。


「に、二百三十年も前⁉︎」


 その記述を見つけたルーキスは思わず叫んでしまった。

 

「珍しいなルーキス、お前が大声なんて。何か面白い逸話でも見つけたかい?」


「あ、ああいや。そういうわけでは、無いです」


 二百と余年、どう考えても自分の息子や孫など生きてはいない現実にルーキスは肩を落として落ち込んだ。

 ややもすれば、子孫には会えるかも知れないが、そもそも転生して年齢うんぬん以前に顔も声もすっかり変わってしまっている。


(会えたとして、信じてもらえるわけもなかったな)


 本を棚に片付け、ルーキスは母が時折使う全身鏡の前に立ち、今の自分の姿を見て頭を掻いた。


 母と同じで吸い込まれそうなほどの黒い髪、父と同じアメジストのような紫色の瞳、整った顔は美人の母に似て、着る物を誤れば女の子にすら見えかねない。


 そんな姿で家族と再会したとして、いったい誰が信じてくれるというのか。


(まあ、どっちみちだったわけだ)


 自分が生きた時代より遥か未来に生まれ変わったと知ったルーキスは、その日からしばらく、ボケーッと家の窓から見える海を眺めて過ごす事が多くなった。


 なんの事は無い。

 これからこの未来の世界で、どうやって生きていこうか、何をして生きていこうかと考えていたのだ。

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