第2話 1日目・北風龍女

「んほおおおおああああっ! ここどこおお!?」

 絵の具をぬったように青い空に、桜の花びらが舞います。町を歩く人がときどき見上げるそんな春模様の下を、北風龍女は一心不乱に走っていました。

「すみません! 東横浜小学校ってどっちですか!」

 迷子でした。北風は超がつくほどの方向オンチです。しかも転校初日なので、これは迷わないはずがありません。何度か学校には行ったことがあるのですが、一人で行くのは初めてのなので、もう一時間以上迷っていました。

 北風はどんどんあせります。一年生からずっと無遅刻無欠席です。六年生になってそれをとぎれさせるわけにはいきません。

「すみません! 東横浜小学校ってどっちですか!」

 もうなりふりかまっていられないので、町を歩く人に片っぱしから道をたずねていきます。

 大人と変わらない背たけで、ランドセルを背負って走る北風に、多くの人は驚きながらも親切に教えてくれます。

「ありがとうございます! 実はわたし、今日転校してきて──」

 そのたびにていねいにお礼を言うので、学校の近くに着くころには遅刻ギリギリでした。

 そんな時です、北風はランドセルを背負った男の子を見つけました。

 丸坊主で、顔や頭の色んなところに傷あとがある男の子は、細い目をスマホに向けています。ちょっと怖い感じのする男の子ですが、同じ学校の子だと思って北風はかけよります。

「すみませええええええええん!!」

 さけぶ声に驚いたのか、男の子が顔を上げました。そして「北風龍女!」となぜか北風の名前を言いました。

(あれ、どっかで会ったかな?)

 そう思って、右左を見ずに交差点を通り抜けようとして。

「んほおおおおああああっ!!??」

「はねられたっ!?」

 交差点で車にはね飛ばされました。

 小学生の交通事故のうち、三人に一人は登下校中にはねられたりひかれたりしています。スクールゾーンでは車は気をつけて運転していますが、それでも北風のように遅刻しそうになって飛び出せば事故は防げません。

「ヤベえよヤベえよ……どうするよ……無免許運転で飲酒運転とか死刑になっちゃうよ……」「と、とにかくはねた子助けようぜ。」

 重低音の響く車から、顔に刺青のある若い男の人が二人出てきます。剣の刺青のある男の人が頭を抱えている横で、炎の刺青のある男の人は車の下をのぞき込みました。

「『活法躰術 車廻し』──はっ! あ、あの、大丈夫ですよ?」

「なにっ!?」「うわああピンピンしてるっ!?」

 そんな刺青の二人に、北風は車の後ろから話しかけました。

 はねられなかったのでしょうか? いいえ、違います。スリッピング・アウェーと受け身という技術です。

 スリッピング・アウェーはボクシングに代表される、受け身は柔道に代表される、どちらも格闘技の技術です。

 北風は自分がはねられる瞬間、とっさに上に飛びつつ体を横にして、体操選手のように空中で回転しました。そして車のバンパー、ボンネット、フロントガラスをすべるように転がり、車が通りすぎたところで体勢を変えて、ランドセルをクッションにして受け身を取ったのでした。

「え、あの、大丈夫か!? え、はねたよな今!?」「どうなってんだよ……」

「あ、あの、ぜんぜん平気なんで! すみません、その、わたし、飛び出しちゃって、ごめんなさい!」

「そ、それはどうも……」「あれ? 俺らが悪いんだよな?」

「あの、わたし、遅刻しそうなんですみません! 失礼します!」

「え、病院は!」「あと警察も!」

「大丈夫ですピンピンしてますから!」

「おいおいマジかよ……」「どうする……?」「どうするったってこれ……俺、飲酒運転やめるわ……」「俺も免許とろう……とりあえず代車サービス頼もうぜ……」

 いくら一見ケガが無くても病院に行くべきですし、警察も呼ぶべきです。

 北風は幼少期から特殊な暗殺拳の訓練を受けているため平気でしたが、一般の方は絶対にマネしてはいけません。

「あの、すみません、東横浜小学校の人ですか?」

 ポカンとしている男の人たちを放っておいて、北風はさっきのランドセルの男の子に話しかけます。もう遅刻ギリギリです。交通事故よりも皆勤賞の方が北風には大事です。こういうことがあるので、皆勤賞を失くそうという話が大人の間で出たりします。

「……ああ。すぐそこだ。」

「あ! 本当だ! ありがとうございます! わたし、転校生の北風龍子って言います! キタカゼは北風で、タツコは龍の子って書いて、あ! 6年1組です。」

「……鉄本星龍、同じクラスだ……遅刻するぞ。」

「あ! いけない! ありがとうございます!」

(良かった〜、遅刻しないで。登校中にクラスメイトにも会えたし、今日は良い日だなあ!)

 北風はまた走ります。その姿は車にはねられる前と全く変わりありません。

「あんな化け物を、ヤならければならないのか……」

 鉄本がつぶやいた言葉は、北風には聞こえませんでした。

「ハッハッハ、いやぁ遅刻するんじゃないかって心配してたんだよ。迷っちゃったかい?」

「うぇへへへ、はい。でも町の人やクラスメイトに案内してもらえました。」

「クラスメイト? もしかして、元々知り合いでもいたかな?」

「いいえ、鉄本くんって男の子が。」

「鉄本、鉄本星龍か。なるほど……?」

(お父さんより大っきい人だなぁ。)

 転校生は、始業式で紹介されます。他の子たちは自分たちの教室に行きますが、北風は職員室で担任の陰山先生とあらかじめの打ち合わせをしていました。

 陰山先生は北風でも見上げるほどに大きな男の人でした。二メートルはありそうな体はガッチリとしていて、つい武闘家として強そうだと思ってしまいます。

 基本的に北風は、男の人を『強そう』か『強そうじゃない』かで判断します。でもそれだと女の子らしくないと思うので、転校したのをきっかけに変えようと思いました。

(男の人なんだから、かっこいいかで判断しないとだめだよね。東京だから児童文庫に出てくるみたいなかっこいい男の子もいるかな。)

 北風が転校してきたのは、東京ではなく、横浜です。「同じだろ」と関東に住んでいない人なら思うかもしれませんが、それを横浜市民に言うとバチクソにキレられます。

 そうして先生と話していると、北風は視線を感じました。刺すようなするどさがする気がしてふり向くと、少し職員室の扉が開いています。

(殺気。)

 そしてそこから、北風をにらむ目がのぞいていました。

(まただ。横浜に来てからときどき感じてるけど、わたしなんか変なことしちゃったかなぁ……)

「うん? どうしたかい?」

「あ! いえ、なんでもないです。」

「そうか、おっとそろそろか。じゃあ着いてきて。体育館まで迷子にならないように案内しよう。」

「あ、あはは……」

 冗談で言ったのだと思いますが、本当に迷いそうだったので北風はあいまいに笑います。その間もずっと殺気を放つ視線を北風は感じていました。

「わたし、転校生の北風龍子って言います! キタカゼは北風で、タツコは龍の子って書いて、あ! 瀬戸内から転校してきましたっ。」

「デケェ。」「でも猫背だ。160はあるんじゃないか。」「瀬戸内って何県だよ。」「またキャラ濃いのが来たな。」

(さすがだなぁ。クラスメイトが二十人ぐらいいる。やっぱり都会はちがうなぁ。)

「それで僕が今日から一年間君たちの担任をすることになった陰山です。先生としては一年生ですが、よろしくお願いします。」

「で、こっちの方がデケェ!」「プロレスラーだ、プロレスラーがいるぞ!」「なんで先生がこんなムキムキなんだよ!」「絶対体育の先生だ!」

「そうだ、体育の先生だ。」

「ほらやっぱり!」

「学生時代はレスリングのオリンピック候補生だったぞ。」

「そしてサラッとじまんを入れてきた!」「なんだこの先生!?」

「あの、席についていいですか?」

「お、いいぞ。あそこの、鉄本の隣の空いてる席だな。」

 すっかり北風よりも先生の方に注目が行ってガヤガヤとする教室に、ちょっとさびしい思いをしながら席につきます。

(児童文庫とかだと、転校生って窓ぎわの一番後ろの席に座るんだけど、ふつうの席だなぁ。)

 学期の初めに転校してきたのでふつうに名前順です。

 意外と教室のまんなからへんでおどろきつつ、となりの鉄本にあいさつすると、彼が返事をするよりも先に逆側のとなりの席の女の子が「北風さん鉄本と知り合いなの?」と話しかけてきました。

「あ、はい。学校に来るときに迷子になってたら、案内してくれたんです。」

「ふぅん、でも気をつけたほうがいいよ、そいつ、ヤクザの息子だから。」

「ヤ、ヤクザ?」

「そ。そいつの──」

「席替えだあああああ!!!」

「「「「「YEAHAAAAA!!!」」」」」

「うぇ!?」

「ああ……気にしないで、うちのクラスの男子バカばっかだから。」

 いつのまにか陰山先生は男の子たちと席替えで盛り上がっていました。あっという間にうちとけてあっという間に席替えの準備が始まっています。

 北風はもっと話を聞きたかったのですが、「またあとでね」と言われてしまったので、とりあえず席替えに集中します。

(せっかく仲良くなれそうだったのになぁ。鉄本くんもとなりだったし。でもヤクザの息子って本当かなぁ? お父さんのことは話さないようにしないと。)

 そして席替えを終えて。

「あ! 鉄本くん。」

「……また、隣か。」

 北風は驚きました。窓際の席になって、鉄本は左右は逆になったけどまたとなりの席です。ふと見ると、陰山先生がウインクしてきました。

(もしかして、先生が──殺気。)

 その時です、北風はまた殺気を感じました。今度はだれからのものかはっきりわかります。前の席の小さな女の子から、背中越しでもわかるぐらいのすさまじい殺気を感じます。

 くるり、と女の子が振り向いて北風ははっとしました。目の前の女の子は芸能人のようにかわいかったのです。そして、そんな女の子の目にはかわいさからは考えつかないぐらいに殺気がこもっていました。

「北風龍子、ね。ふぅん、ちょっと放課後付き合ってね。」

「え、ええ?」

「ようしお前らドッチボール行くぞ!!!」

「「「「「YEAHAAAAA!!!」」」」」

 女の子はそれだけ言うとくるりと前を向きます。思わず鉄本の方を見ると、彼は女の子をするどい目でにらんでいました。その様子と、みんながドッチボールに行く流れになったので、聞きたいことも聞けず、気がつけば放課後になっていました。

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