鉄風雷火!
@woshimoto_misui
第1話 1日目・鉄本星龍
舞い散る桜の花びらが、風にあおられてビニール袋やタバコの吸い殻といっしょに、アパートのところどころハゲた外壁にぶつかる。
その音が、横で眠る妹の咳き込む音にかき消される頃に、鉄本星龍は目を覚ました。
布団を蹴るように起き上がると、近くのカラーボックスの上に置かれた吸引器を手に取り、妹に吸わせる。落ち着いたのを見ると、早足でキッチンに行きコップに水を注ぎ、早足で戻った。
「飲めるか?」
体を起こし、小さく二、三度首を縦に振る妹の口に、鉄本は慎重にコップを近づけた。ゆっくりと傾けると、水が糸のように細く口へと落ちていく。しばらくそうすると、妹が口を閉じて首を横に振った。
「何か食べるか?」「暑かったり寒かったりしないか?」「まだ眠ったほうが良くないか?」
「スマホ見せて。」
小さく、声のような音が妹の口から出た。
「わかった。ほとけさまに借りてくる。」
立ち上がると、早足で玄関から出て、隣の部屋へと行く。インターホンを鳴らしながら「おはようございます、鉄本です」と言うと、すぐにドアが開いた。上半身から膝まで刺青のあるふんどしの中年男が、スマホを手渡しながら言った。
「おはようさん、学校に行く前に話がある。」
「学校は。」
「今日始業式だろ。義妹さんは看ておくから行ってこい。」
無表情な鉄本の顔が、かすかに眉間にシワが寄った。無言で見つめ合う。ドアの隙間から聞こえる、パソコンの音声だけがその空間の音だった。「ほら」と押し付けられるようにスマホを手渡され、ドアが閉められる。鉄本はゆっくりと部屋へと戻った。
「借りてきたぞ。何が見たい?」
「フクロウのやつ。」
妹の口元に耳を近づけ、そのままスマホを操作する。動画サイトのアプリをタップする。ロゴが表示され、視聴履歴が表示された。スワイプする。ニワトリやペンギンの動画を飛ばしていた指が、病気の解説動画のサムネイルが表示された途端に止まった。
「これだな。」
素早く指を伸ばして、鉄本は動画を再生させる。それと妹が口を開いたのは同時だった。
「一人にして。」
「わかった」という一言が出るまでに数十秒かかった。
◆
ほとけさまの背中に彫られた薬師如来を見ながら、鉄本はカップ麺をすすっていた。薄黄色に黄ばんではいるが、それでも極彩色で描かれた仏がTシャツの下へと隠れていく。そして着替えたほとけさまはちゃぶ台を挟んで鉄本の前に座ると、食べ終わるのを待って口を開けた。
「星龍、児童養護施設に入らねえか。」
二人の間に無言の時間が流れた。十秒過ぎ、三十秒過ぎ、一分過ぎた頃に、ほとけさまはまた話す。
「これは兄貴とも話してたことだが、お前さんたち二人だけで何日暮らしてる。」
「……一週間ぐらい……」
「十日だ。あの兄貴が子供を十日もほっぽっとくなんて尋常じゃあねえ。今回は長くなるってんで面倒見てたが、これ以上は待てねえ。」
「連絡はしてます。」
「ああ、知ってる。お前に貸してるスマホで俺もしてるしな。でだ、まだメドが立たねえ。」
ほとけさまは言葉を区切ると。ちゃぶ台の上に置かれた加熱式タバコに手を伸ばしかけ、やめる。二度三度と無精髭の生えた口をモゴモゴとさせると、大きな咳ばらいをして言った。
「義妹さんのことも考えろ。自宅療養でどうこうできるレベルじゃない。この前は救急車がたまたま早く来ただけだ。今度同じことがあったらどうなるかは、お前さんが一番わかってんだろ?」
「……父さん、今、入院代を工面してるんで……」
「それができてねえから十日も家に帰んねえんだっ。」
ほとけさまはまた言葉を区切ると。大きくため息をついた。
「子供にこんなことは言いたくねえが、貧乏ってのはそれだけ不幸を近づけるんだ。だったら貧乏人らしくやるしかねえだろう。今は設備の良い施設だってある。このパンフレットの所なんてな、こどもホスピスがあるんだ。義妹さんの最期の時間──」
「そこに行けば助かるんですか。」
ほとけさまはまた言葉を区切った。鉄本の、大きくはないがハッキリとした声を最後に、しばらく部屋に沈黙が訪れた。
「そういうとこ、兄貴ソックリだな。」
やがて、ほとけさまは顔を上に向けたまま話し始めた。
「無理だ。助からない。義妹さんの後遺症は肺の移植しなきゃ治らねえ。だがお前さんも兄貴も血がつながってねえから、どっかのかわいそうな子供の死体から適合する肺を持ってくるっきゃない。それだけでも奇跡みたいな話だが、同じように移植を待ってる奴はゴマンといる。義妹さんの分の肺の都合がつく頃には……」
「それじゃダメなんです。父さんがなんとかしてくれるって約束したんです。」
「だが今回ばかりは……いくら伝説の任侠でも、臓器移植は力業じゃどうにもなんねぇのよ。」
「それでも……奇跡を起こしてくれるのを待つしかないんです。」
また部屋の中に沈黙が訪れた。鉄本は窓辺で加熱式タバコをふかすほとけさまの背中を見ていた。黒いTシャツのバックプリントの白い髑髏と、その下のバツ印の二本の白い骨。海賊旗のような髑髏と骨だ。
「児童臓物。」
十分ほど経った頃、ほとけさまは窓の外を見ながら言った。
「任侠たって、いや任侠だからこそ、カタギ以上に売買ルートっていうヤツの重要性は高い。拳銃を売り買いしてる任侠だからって薬物も取り扱ってるわけじゃないし、逆もまた然りだ。ようは、商店街みたいなもんだ。八百屋は野菜しか売らねえし、魚屋は魚しか売らねえ。」
鉄本は無言だった。しかし、体をわずかに前に傾けていた。
「特に、臓器売買は専門性が高いんだ。ナマモノだからな、医者がいないと手を出せない。」
ほとけさまはスマホを取り出すと。鉄本に背中を向けたまま後ろに放り投げた。ダイビングキャッチする鉄本の指が画面に触れる。明るくなったそこに映っていたのは、広告のような画像だった。
『令和のY150』
『小学生限定 高額報酬』
『小学生だからできるお仕事です! 誘拐された小学生の保護にご協力してくれた方に150万円差し上げます!』
『保護対象:北風龍女(東横浜小学校6年1組)』
『注意! 以下の場合は報奨金を受け取れません。1、手足を除いた場所への暴力。2、凶器の使用。3、登下校の時間外の保護。4、スクールゾーン外の保護。5、事前の連絡の無い保護。』
「ウチの半々グレ共が見つけた都市伝説のサイトだ。まさか実在したとは思わなかったが、この内容、明らかにマトモじゃない。子供を保護するのにまるで暴力を使うことが前提の書き方だ。十中八九、人身売買・臓器売買だろうよ。」
「臓器売買……臓器、移植……」
「ああ。児童の臓物を狙うコイツらなら、義妹さんに合う肺を見つけたり、『持ってこれる』かもしれない……この意味がわかるな?」
ほとけさまは首を後ろに傾け、鉄本へと視線を向けた。
「俺は全部終わったら自首する。俺がやったことだ。お前は義妹さんから絶対に離れるな。」
「ほとけさま……」
「その呼び方は、過ぎたもんだわ……まあ、自首するまでに兄貴にほとけさまにされちまうかもな……」
「父さんは……殺しだけはやりません。」
鉄本はしばらく下を向いた。今度は五分、十分たち、一言発した。
「だから……オレがヤります。」
◆
鉄本は、その厳つい三白眼を見開き、ランドセルを背負って自宅を出た。何度も手を強く握り、緩め、繰り返す。桜吹雪には目もくれず、自分の足下だけ顔を向けて通学路を歩く。周りを下級生が追い抜いていく。三十分ほどかけて校門に着いた頃には、誰も登校している生徒はいなかった。
少し離れると、無言でスマホを取り出す。「北風龍女」と、つぶやいたところで。
「すみませええええええええん!!」
「……アイツは。」
顔を上げた。顔の色が変わった。「北風龍女!」
画面に映る少女と同じ顔が鉄本へと駆け寄ってきて。
「んほおおおおああああっ!!??」
「はねられたっ!?」
交差点で車にはね飛ばされた。
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