魔王編⑤

「あ、ああっ、キンタマが、キンタマが入れ替わる!ああっ、あっ、うわあぁぁ!!……なんだ、夢か」


目覚めると、そこは朝日差し込むいつもと変わらない俺の部屋。

まったく、酷い悪夢を見たもんだ。


寝ぼけ頭を抱えながらベッドから抜け出し、今日も今日とて学校だと制服に着替えリビングに向かうと、いつも通り、テーブルの上には朝食が用意されていた。


「おはよう。早く食べちゃいなさい」


「うい」


キッチンで洗い物をする彼女は、初登場である母親の冬子だ。

同人誌界隈ではヒロインより人気が出そうな見た目をしている。

ほんと、毎日美味しい食事を作ってくれて、感謝がスプラッシュマウンテン。


「なにボーっとしてんの。あの娘、外で待ってるわよ」


「あっ!そいつはいっけねぇや!」


そういえば、今日から彼女と一緒に登校するよう決めていたんだった。

俺は急ぎ席につき、白米と味噌汁をかきこみ、おかずのTボーンステーキを骨まで喰らい、すぐさま玄関へ向かう。


「お弁当忘れてるわよ!」


「おっと、これまたいっけねぇや!母ちゃん、いつもサンキューな!じゃ、いってきます!」


「はい、いってらっしゃ〜い!……もう、いつまで経ってもわんぱくなんだから」


ドアを開け家の外に飛び出すと、我が家前には我が校の制服に身を包んだマリアンヌが立っていた。


「おはよ。もう、遅いんだから」


「ごめんごめん、これからのことを想うと楽しみで眠れなくてさ」


「別に、今までと変わらないでしょ」


そう微笑みながら歩き出すマリアンヌの隣、肩が触れ合いそうな距離で俺も歩みを進める。

まるで、ここが世界の中心と言わんばかりに眩しい朝陽に照らされる彼女の姿は、それでも霞むこともなく鮮明に映り、ただそれだけで俺の胸は一杯になる。


「ニヤニヤして、変なの」


「いや、嬉しくて、つい。ところでさぁ、お前―――」


「マリアン。そう呼んでちょうだい」


その言葉に、たどたどしく照れながら応える。


「あ、ああ。マリアン」


「よろしい。で、どうしたの?」


「その、これからのことを話そうと思ってさ。せっかくここに来たんだから、色々とやりたいこともあるだろうし」


「今は、こうしているだけで十分かな。争いのない世界で、ただ、貴方と歩いている。それだけで、胸がいっぱいだもの」


彼女も同じ想いだったのか。

しかし、それだけで満足だなんて、彼女が元居た世界はそれほど過酷だったのだろう。

ああ、これから、マリアンの世界を彩れるよう、俺も今を精一杯生きようじゃないか。


そうして俺たちは他愛もない話をしながら、一歩一歩を踏みしめ学校へと向かった。



「ようよう、ご両人、相変わらずアツアツだねぇ」


教室の席に着くや否や、悪友の岡椎名が話しかけてくる。


「茶化すなよ」


「いやいや、二人のキューピッドであるこの私を邪険にしないで欲しいなぁ」


「マリアンと俺はただの友達だ」


相変わらずお調子者な彼女の煽りに隣の席のマリアンも恥ずかしそうに俯いている。


そう、実は、ここはマリアンが持つ事象の改変の能力によって歴史を書き換えられた世界なのだ。

あちらでは正義の化身の勇者により彼女の優しい虚構が何度も打ち壊されたようだが、こちらではその心配もなく、俺とマリアンの二人で理想を創り上げたのだ。

ただ、平和で暖かな世界を。


「まっ、おじゃま虫は退散するとしますかね、ズコズコ」


あっさり退散していく椎名。

ここでは彼女もただのモブキャラだ。


「……やっぱり、もっと都合の良いようにした方がいいんじゃないか?」


「これでいいの。貴方が生きてきた世界がどんな場所なのか知りたいから」


「そうか。まぁ、割となんでもありな場所だから、退屈はしないで済むかもな」


愛おしそうに目の前の光景を眺めるマリアン。

その横顔は美しく、青少年の胸を高鳴らせるには十分だった。



昼休み、屋上。

青い空はどこまでも果てしなく、心地よい風が生徒らの喧騒を運んでくる。

そんな、リアルから切り離された広い世界の小さいベンチに二人ぼっち、これが二人だけの世界。


別次元からやってきた生き物と、妄想に頭を侵された生き物が作ったものだ。

現実味がなく、どこかフワフワした感覚は否めない。


「さて、飯でも食うか」


「そうね」


どこか上の空のマリアン。

確かに全く別の異次元から来た彼女がこの世界に馴染むのは時間がかかるだろう。

いや、それだけでなく、その表情には別の想いも含まれているようだ。


「やっぱり、すぐには慣れないか」


「……まぁ、そうね」


「じゃあ、とりあえず楽しくなるようなことでも考えるか。マリアンが、この世界でやってみたいこととかさ」


努めて明るく、あえて核心には触れずに彼女と接する。


「それなら、放課後になったら遊びに行きたいな。目的もなく、この町の色んな所を巡るの」



待ちに待った放課後。

俺たちは商店街に訪れていた。


マリアンは人々が行き交う様子を愛おしそうに眺めている。

彼女は、本当に、慈愛に満ちているのだろう。


「皆、生きている。もちろん、悲しみを抱えている人もいるけど、争いや侵略に怯えることなく、生きている」


「そうだな。偽の平和でも、真の戦争よりもいいのかもしれない」


「ええ。願わくば、それが永遠に続くことを望むわ」


彼女の発言で一々、俺がどれだけ恵まれた環境に生きていたのかを痛感する。

あやふやになっていた生きているという事実が輪郭を伴い輝き始める。

マリアンの傍で、巡る時間を過ごす。

胸が一杯になった俺は、彼女の手を握る。


「それじゃあ、まずはカフェに行こうか」


「ええ。案内、よろしくね」


この世界のことを知って欲しい。

彼女の数千年の過去を凝縮しても敵わない歓びを共に感じたい。


そうして俺たちは、若者に人気のオープンテラスカフェに辿り着く。

テラス席に座り店員からメニューを受け取ると、それをマリアンに開いて渡す。


「気になったものがあったら、好きなだけ頼んでくれ」


「ああ、でも、うっかりしていたわ。私、この世界のお金を持っていないの」


「気にしないでいい。俺が奢るからさ」


特に使う機会もなく貯め込んだお小遣い、今使わないでいつ使うのか。


「でも」


「それでマリアンが喜んでくれるなら、それ以上のことはない」


「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」


観念した彼女は滞りなく注文を済ませ、一時して。


「お待たせしました」


運ばれてきたのは、分厚く柔らかそうなパンケーキ。

生クリームや果物が添えられ、豪勢な見た目だ。

それを目の前にしたマリアンは、顔が緩まないように力を入れているようだ。


「それじゃあ、いただきます」


「ああ」


俺はコーヒーを啜りながら、マリアンの様子を見守る。


彼女はキラキラした瞳で、一口大に切り取ったパンケーキにたっぷりの生クリームをつけ、口に含んだ。


「おいしい」


「よかった」


異世界の流行の食事が彼女の口に合うのかという一抹の不安は、その微笑みにかき消された。


「ユウ、あなたも食べる?」


「じゃ、お言葉に甘えて」


あなたにもこの美味しさを知って欲しいと言わんばかり。

そのため、用意された予備のフォークを手に取ろうとするも、彼女に遮られる。

なんのつもりだと彼女の様子を伺うと。


「はい、あ〜ん」


「どこでそんな技を覚えたんだ」


「少しだけ、この世界のことを予習したの。仲が良い間柄なら、こうするんでしょ?ほら、早く食べて」


幼い少女のようにはしゃぐ魔王。

その姿に俺は照れ臭さではなく愛おしさを覚え、彼女の好意を素直に受け入れる。


甘い。


こうして俺たちは、シロップよりも甘い時間を過ごした。



スイーツを食べ終えた俺たちは、その後、ぶらぶらとウインドウショッピングを楽しんだ。

変わり映えのしない景色だというのに、目の前の全てが輝いていた。


そして、あっという間に楽しい時間は終わりを迎える。

商店街を抜け、

帰路を進む途中。

俺は立ち止まる。


「どうしたの?」


続いて、俺より数歩先に進んだマリアンもこちらに気づき、振り向き立ち止まる。

心配そうにこちらを見る彼女へ、俺は勇気を出して口を開く。


「今週末、春祭りがあるんだ。いろいろな花を愛でながら楽しむ祭りが」


「それは、素敵ね」


「……一緒に行かないか。その、二人だけで」


初めて、女性をデートに誘う。

ああ、心臓が早鐘を打っている。


「もちろん。私を、何処へでも連れて行って」


再び、彼女の顔に笑顔が咲く。

ああ、この感情の揺らぎ。

俺は、あの時からマリアンに惚れていたのだ───。



そうして、俺たちは数日の時を過ごした。

ふわふわとした夢のような時間を噛み締めながらも、どこかしっくりこない世界。

マリアンも同じ気持ちだろうか、時には上の空だったり曇り顔だったりを覗かせていた。

やはり、元の世界のことが気にかかるのだろう。

それでも、俺たちは春祭りへ向けて、精一杯笑顔を作って過ごした。


そして、その時はやってくる。


某公園。

そこには所狭しと屋台が並んでおり無数の人間が蠢いている。


「こんなに、人が集まるなんて思ってなかったわ」


「もしかして、人混みは苦手だったか?」


「ううん。お祭り騒ぎは好きよ」


今、俺の隣には白のブラウスに淡いピンク色のロングスカートを履いたマリアンがいる。

今まで惨めだった人生も、その事実だけで報われたような気分になる。


「それじゃあ行こうか」


「ええ。でも、その前に」


そう言うと彼女は唐突に俺の右手を握った。


「え、あ、ええと、これは」


「これだけの人混み、はぐれてもおかしくないもの。でも、こうすれば安心でしょ?」


ああ、なんということだ。

俺が彼女を楽しませるつもりが、これではその余裕もなくなりそうだ。


「それじゃあ、行きましょ」


「ああ」


―――それから、俺たちは何者にも侵されない時間を過ごした。

屋台に並ぶ食べ物や玩具などに目を輝かせるマリアンにその都度説明をし、一際彼女の目を引いた綿菓子を買い、花を愛でながら歩く。

いつまでもどこまでも、この時間が続くように願うも。


死を告げる死神のように、人混みの中からこちらへ、異国、いや、異世界の服に身を包んだ、この世界に似つかわしくない生き物が現れる。


「魔王様、お迎えに上がりました」


様々な種族の生き物が五人ほど。

その中心には銀髪ロングヘアでマントを巻いた男がいる。

彼らを前にしたマリアンの手に力が入る。


「あなたたちは本当に、どこまで私の人生を邪魔すれば気が済むのかしら」


俺の右手が解放され、マリアンは俺を庇うように前に出る。


「休暇は十分とれたでしょう。向こうでは、あなたが不在と知った勇者たちが我らを滅ぼす好機だと勢いづいています。時は一刻を争う事態です」


「知ったことではないわ。魔族も人間も、我が提案した和平条約を受け入れなかった。そんなに争いが好きなら、殺し合って野垂れ死ねばいい」


喧噪の中で、マリアンの静かな怒りが響く。

俺も何か助け舟を出したいのだが、どうすればいいのか分からない。


「異種族間での平和など、いつまで夢を見れば気が済むのですか」


「気に食わないのなら、他の物を魔王に挿げ替えればいいだけの話。それこそ、野心を抱えたものなどいくらでもいるでしょう」


「魔王の血筋が途絶える。それがどれほどの大事かわからないのですか!」


「さぁ」


このままでは埒が明かないようだ。

首を突っ込むべきではなくとも、俺は一歩前に踏み出す。


「お前らのやってることは、あまりにも自分勝手で都合が良いと思わないか。マリアンが、どれほど苦しんでいると思っている」


「あなたは……。いえ、それは十分、承知しておりますとも。しかし、魔王様の存在が如何に大きいものだったのか、恥ずかしながら失って初めて気付いたのです。既に魔王軍の領土の三割は奪われ、多くの命を失った。私たちは、魔王様の能力のおかげで、今まで均衡を保てていたのです」


マリアンの顔が歪む。

優しい彼女のことだ、いくら捨て去った世界だといえ、そこで失われる命に心を痛めているのだろう。


そうだ。

彼女がこちらに来てから時折見せた浮かない顔も、それが原因だろう。

果たして、そのような状況で、お互いが理想とする普通の世界で生きていけるのだろうか。


「我は、何を言われても―――」


「条件がある。マリアンがそっちへ戻ったら、彼女の願いを無下にしないでくれ」


「ユウ!何を言っているのだ!」


今までに耳にしたことのない大声を出すマリアンも気にせず話を進める。


「マリアンの想いを推し量り、彼女の言うことをよく聞いてくれ。人間に侵略されようと、対話を忘れないでくれ」


「ユウ、我を、私を、見捨てるのか」


「違うよ」


今にも泣きだしそうなマリアンを真っ直ぐ見つめ、俺は言葉を紡ぐ。


「マリアンヌは多くの命を救う力を持っている。そして、それを今必要とされているなら、そうするべきだ。」


「……ユウ、お前は、私を、慰めてくれたじゃないか」


「それでも、マリアンの曇り顔を拭うことはできなかった。ずっと、気にしていたんだろう?責任を感じて―――」


「平和な世界に生まれたお前に何がわかる!」


マリアンの叫びが俺の声をかき消す。


「数千年もの間、私の願いは何一つ叶わなかった!裏切られ、打ち滅ぼされ、それでも立ち上がり、平和を叫んだ!それでも、何一つ報われなかった……」


ああ、俺は、彼女の苦悩を何一つ理解していなかった。

それなら、俺も覚悟を決めなければ。


「俺が、お前の味方になる」


俺は、マリアンを強く抱きしめる。


「ユ、ユウ……?」


「お前がいるべき世界の全てが敵なら、俺はお前の傍で、この命が尽きる限り力になる」


意を決して、彼女に伝える。


「俺も、そっちに連れて行ってくれ。ただの人間だ、役に立たないかもしれないが、それでも、マリアンを支え続ける」


「ユウ……」


沈黙の後、震え始めた彼女をより一層強く抱きしめる。

これでいい。


そして、落ち着いたのかマリアンは俺を引き離す。


「どこまでも、一緒に行こう」


「……そう、そうね。どこまでも。なんて、言えないわよ」


「マリアン?」


いつの間にか、彼女の顔から迷いが消えていた。


「我は異世界から来たグンネヒルド・ブリュンスタッド・リ・マリアンヌである!世界の平和を願い、何度倒れても立ち上がり、そして―――」


一瞬言葉に詰まり顔を下げた彼女は再び、俺を見つめる。


「そして、たった一人の愛する者との思い出を胸に戦う、魔王である!」


誰よりも優しい彼女は、皆のために、俺のために再び立ち向かうことを決心したのだ。


「ユウ、この世界は、お前に返す。そして、全てが片付いたら、必ず、お前に会いに行く。だから、待っていてくれ」


「……ああ、わかった」


そして、俺たちは、約束と口づけを交わす。


―――さらば、初恋の人。



翌朝。

今日も今日とて、何一つ変わらない日常が始まる。

一つだけ違うのは、胸に空いた喪失感。


登校の準備を済ませ家を出た後、憎たらしいほど雲一つない青空を見上げ呆然と佇む。


そんなことをしても、気分は少しも晴れはしない。

だが、精一杯生きなければ、再びマリアンにあった時に顔向けができない。


俺は重い足を引きずりながら歩き出す。


途中。


「おはよ、ダーリン」


そこに現れたのは、何一つ変わらない椎名だった。


「色々と、大変だったみたいね」


どういうことだろうか。

マリアンと暮らした偽物の世界は椎名の記憶に残っていないはず。

それなのに、こいつは。


「今日もまた、ハチャメチャラブコメディが待っているんだから、そんな辛気臭い顔しないで笑顔笑顔!」


俺の背中をポンと叩く彼女。

それだけで少し軽くなる心。


「それもそうだな」


俺は精一杯の歪んだ笑顔を浮かべながら、いつもの日常へ向けて歩き出した。

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