茶啜り
ぴとん
第1話 茶啜り
これは私の地元の、とある地方都市でのお話です。
『お侍さまに逆らうと、茶啜りに攫われるよ』
私はこの言葉を祖父から教えられました。
夜に口笛を吹くと蛇がでる、火遊びをするとオネショをする。そういった子どもの躾に使われる方便の類でしょう。
いまは跡形もないですが、私の地元はいわゆる城下町であったので、江戸の頃には町中をお侍さんが闊歩していたそうです。
町民の子供が、お侍さんに失礼な態度を取らないように躾として言い伝わっていたものが、私の代まで届いたのでしょうが、しかし現代ではもうお侍さんなんて職業は残っていませんから、いまや無意味な言い伝えです。
周りの友達に聞いても、祖父のこの教えを知っているひとは誰もいませんでした。引き継ぐ必要のない教えが途絶える、それは合理的なことですから、仕方がないでしょう。我が家が偶然残っていただけなのです。
さて、ところで気になる『茶啜り』とはなんなのでしょうか。
茶を啜る妖怪なんて、聞いたことありませんよね。ローカルな郷土妖怪でしょうか。
私は『茶啜り』について祖父に聞いてみたのですが、なんと祖父自身も名前以上のことは知らないようで、茶啜りは茶啜りだ、と繰り返すだけでした。
名前から連想するこの妖怪がしそうな悪行といえば、他人の家に忍び込んで茶を啜る、などでしょうか。まあこれは、ぬらりひょんと丸かぶりになってしまいますけど。
なにはともあれ、名前からはさほど害のない妖怪であることが予想されます。
しかし、言い伝え通りならこの妖怪は、人攫いをするはずです。茶を啜る妖怪がなぜひとを攫うのでしょうか。
この疑問は疑問のまま放置していたのですが、大学生になって最初の夏休み。飽きるほど長い余暇を与えられた私は、実家に帰省した際に、地元の図書館にて文献を漁ってみようと思い立ったのです。
きっかけは、この初夏に祖父が末期癌と診断されたことでした。件の教えは、ずいぶん前に祖父に聞いたものでした。家族から祖父が長くないと電話で聞き、祖父との思い出を思い返すなかで、茶啜りのことが記憶から掘り起こされました。
一度思い出したら、なんだか頭から離れませんでした。モヤモヤを晴らすため、時間もあることだし夏休みらしく自由研究に臨んでみることとしたのです。
「茶啜り…茶啜り…これにも載ってないか」
地元の図書館はガラガラで、私以外は数人の来館者しかいませんでした。クーラーが効いていて、夏には快適な空間だと思うのですが、どうも日本人の読書離れはかなり深刻なようです。
図書館には、地元の郷土本が所蔵されてるものです。棚には、地域の歴史を綴ったかなり厚い本が、年代ごとに何冊も並んでいます。
ひとまず昭和頃の地域の出来事をまとめた郷土本を一冊抜き取り、ペラペラとめくっていたのですが、私が調べたいのは「言い伝え」。時代を切り取った書物には、求める内容は見当たりませんでした。
その後、お侍さんがいた時代に絞って、何冊かの本を眺めてみるも、難しい古い言葉で書かれた文章に疲れ果てるだけで、茶啜りの文字はひとつも出てきませんでした。
成果の出ないまま、気づけばお昼を回っていました。一旦休憩です。アプローチを変えてみることを頭の片隅に検討しながら、私は図書館2階に設けられたイートインスペースへ向かい、コーヒーでひと息つくことにしました。自販機から出来立てのが出てくるタイプのコーヒーです。
太陽が高い位置にある午後2時、窓から外を眺めると、ジャージを着た中学生の集団が自転車を走らせていました。私にもあんな時期があったものです。
青春の汗を尻目に、ひとり苦い大人の味を楽しんでいると、急に声をかけられました。
振り向くと、そこにいたのは中学時代の先輩でした。女の人です。声や見た目ではしばらくわかりませんでしたが、曖昧な会話を続けている間に、私の中で人物照会が完了しました。
彼女はいつ帰省したの?などと定番の質問を投げかけてきて、その会話の流れで、私がいま調べ物をしていることを白状する羽目になりました。
「へぇー夏休みに勉強熱心だね、あれ?大学民俗学系の学部に進んだの?理系だったよね」
大学の課題などとは関係ないことを説明すると、余計に感心されました。趣味とまでもいかない、ただの思いつきの暇つぶしであるというのに。
そういうことなら、と彼女はスマホをスイスイと操作しはじめました。
ほどなくしてピロン、と私のスマホから通知音が鳴りました。先輩はなにやら住所を送ってきたようです。
「そこに住んでるおばあさんがね、ここらへんの昔話に詳しいから訪ねてみてよ。ん?いや親戚じゃないよ。小学校のころ新聞委員会で昔の言い伝えをまとめたことがあって、そのときお世話になったんだ。もう10年以上前か……元気にしてるかなぁおばあちゃん」
それなら、先輩も顔を見せにいきましょうよ、一緒にどうですか、と見知らぬおばあさんのお家へひとりで訪ねることになる展開を避けようとするも、断られました。
先輩はこの後、同じタイミングで帰省していた、高校時代の元カレと飲みにいくらしいです。聞かなければよかったです。
手ぶらでは悪いと思い、途中で羊羹を買ってから住所の場所へ向かいました。その頃にはもう15時半を回っていました。夏は日が長いので、アポ無しで他人の家を訪ねるのにこの時間はギリギリ失礼にあたらない……ということにさせていただきたいです。
住宅街の平屋一軒家には、壁につたがはっており、最近手入れができていないことが窺えました。緊張しながらチャイムを鳴らすと、のっそりと出てきたのは、70歳ほどのおばあちゃんでした。
初対面でのやり取りや事情説明は、煩わしいので、ここでは省略します。結果として私は家に招かれて、お茶を出されました。
おばあちゃんは、茶啜りのことを知っているとのことでした。昔は小学校教師をやっていたそうで、その手の話には明るい方だったのです。おばあちゃんは、口をモニョモニョ動かしながら、ゆっくりと語ってくれました。
「茶啜りねぇ…ふふふ、なんだか可愛らしい名前よね。人を攫うなんて言われてるけどもそんなに怖い妖怪なんかじゃないのよ」
「そうなんですか」
「このへん昔はお侍さんがたくさんいたでしょう。そのひとたちは礼儀正しいひとばかりでね、藩の教育が行き届いていたから、身分に乗じて横柄な態度を取るような方はいなかったそうよ」
「へぇ……」
「お侍さんたちは町民に優しく接してくれてね、たまにお侍さんの方から町民をお茶に誘ってくれたりもしたそうなの。でも庶民なんて上品なお茶の作法なんて身についてないでしょう?」
おばあちゃんは、お茶を手にもつと、音を立ててすすりました。
「お侍さんのお茶会に招待された町の人は、こんなふうにね、熱いお茶をすすったそうよ。お侍さんは礼儀正しくお茶を飲んでいるのに、自分たちは丁寧な飲み方を知らない。誘われたのは嬉しかったけど、恥ずかしさで顔を真っ赤にしたんだって」
「…………」
「そこから町民の間ではこんな軽口が流行ったのよ。お侍さんの機嫌を損ねたらお茶会に誘われちまうぞ……『お侍さんに逆らうと茶啜りに攫われるぞ』、ってね」
おばあちゃんは目を細めて笑いました。
実に興味深い話でした。お侍さんと町民の距離が近いからこそうまれた、軽口。それがこの言葉を生んだのです。
時代が経つにつれて言葉だけが残り、『茶啜り』なる妖怪が躾のなってない子供を攫ってしまうぞ、という脅しの教えかのように曲解されてしまったのが真相だったのです。
入院中の祖父はここ数日体調がよかったので、明日にでもこの話を教えてあげようと私は思いました。祖父はどんな反応をするのか楽しみです。
と、ほんわかした気持ちになったのも束の間。お茶を置いたおばあちゃんはこう続けました。
「ここまでが、小学校で子供に聞かせる話ね」
「え?」
先ほどとは打って変わって、おばあちゃんは暗い声色になりました。
「いま話したのは、私が若い頃に作られた新しい話しなの。オリジナルの話は怖すぎるからって私たちの世代の大人たちが封印して、あとからこんな作り話をつくってもし聞かれたらこれを教えるように、と地域のみんなで取り決めたの」
「……はい?」
おばあちゃんは、ポツリポツリと語り始めました。それは最初に話した茶啜りの由来とはまったく異なるものでした。
茶啜り。
元の名前を『血鑢(ちやすり)』。
昔この地域に、ひとりの身分の低い男がいました。彼の身分の低さは、その職業によるものです。
江戸時代にも、犯罪者への裁判はありました。判決により、死罪が言い渡された罪人は、町の外にある処刑場で首が切られ、死体はさらに遠い荒野に運ばれて、埋められました。
死体が運ばれる際には、持ち運びやすいよう切断されていました。死体処理は、首斬り人よりもさらに業の深い作業です。ゆえにこれを仕事とする者は差別されていました。
そんな職についていた男の、数少ない友人が、あるときとある罪で死罪を言い渡されました。
男は、友人の無実を強く訴えましたが、聞き入れてもらえず、友人は即日首を切られました。
友人の死体を切断しなければいけなくなった男は血の涙を流して、お侍さんへの恨み言を綴ったそうです。そして失意そのまま自ら川に身を投げて亡くなったのでした。
しかし、こんな悲劇にあった男への同情の声はあがりませんでした。なにせ彼は元から差別されていたものですから。
代わりに悲しまれたのは、罪人とされた男の友人のほうでした。
時間が経つと、こんな噂が流れたのです。友人は、お侍さんに無礼を働いた。そしてお侍さんの命令のままに、男は唯一の友人を攫ってバラバラにしたのだと。
『お侍さまに逆らうと、血鑢に攫われるよ』
心無い言葉が、町民の間に出回りました。
一部始終の真実を知る奉行所により、ことの成り行きはすべて記録されていたため、噂はすぐに収まったものの、言葉だけは残りました。負の言葉は強く残ります。由来を失っても、ひたすらに歴史に残り続けようと人の口を渡り歩きます。
おばあちゃんから話を聞いた帰り道、私は考えました。
茶啜りもとい血鑢は、妖怪としての姿形もありませんでした。しかし、呪いのように伝わり続けるソレは、もはや怪異の一種と化していると言っても差し支えないのではないかと。
気分の悪くなる真相を、祖父に伝えるか迷いながらも、ひとまず明日お見舞いに行くときには元気な顔を見せてあげようと心に決めるのでした。
果たして私は自分の代で、この呪いを断ち切ったのか。それは語らずにおきます。
茶啜り ぴとん @Piton-T
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