捧げる
僕たちの関係性は大きく変わらないまま六月になった。
梨夏ちゃんは僕のアドバイス通り週に一度サークルに顔を出して、時々何人かで飲みに行った。新入生歓迎合宿で伊豆に行って、また梨夏ちゃんが『ルカルカ★ナイトフィーバー』を踊るのを見ていた。彼女のダンスがサークルのみんなに見られたのは少し残念だった。
僕はそこそこ真面目に授業を受けながら、週の半分くらいを風間さんの家で過ごした。
風間さんがいない日も誰かはいるので退屈しなかった。
梨夏ちゃんとは時々メッセージのやり取りをしていたけれど、新歓期間を過ぎると、学科も違う彼女に送るメッセージもほとんどなくなっていた。
時々『ルカルカ★ナイトフィーバー』を聞いては脳裏に彼女の姿を思い浮かべる。ボーカロイドも結構いいな、と思いながら似たような楽曲をいくつか漁った。
仲良くしていた同じ学科の友だちにはいつの間にか彼女ができていて、「博斗も好きな女がいるならガンガン誘ったほうがいいぞ~」というアドバイスを貰った。
少しだけ苛ついたけれど、確かにその通りだなと思い、次彼女にあったらご飯に誘ってみようと思った。確かオムライスが好きだと言っていたはずだ。
学校の食堂で、一人で早めの昼食をとりながらそんなことを考えていると、タイミングよく彼女からメッセージが届いた。
【梨夏】「ごはん」
「……は?」
唐突なメッセージにまた心臓が鳴った。久しぶりの感覚だった。
ごはん?
何が言いたいんだろう。もしかして、ご飯に誘っているんだろうか。期待しすぎか? いや。
【ひろと】「ごはん? 行く?笑」
【梨夏】「もうたべた?」
僕はすぐに残っていたおかずを食べきって食堂を出る。
【ひろと】「まだ!」
【ひろと】「もし梨夏ちゃんもまだだったら一緒に食べない?」
僕のなけなしの勇気は梨夏ちゃんに届いたようで、二十分後、僕は再び食堂の入り口をくぐった。
列に二人で並びながら、授業がどうとかサークルがどうとかの話をする。
ずっと心臓が鳴っていた。今日はどうして誘ってくれたの? 僕のことをどう思ってるの? そういう疑問を必死に飲み込んで、好きの気持ちが溢れないように蓋をする。
ご飯を食べて、雑談をする。僕はこのあと授業がない日だったので、あわよくば何か遊びに誘いたかった。カラオケとか。そう思ってタイミングを見計らっていると「今日はごめんね」と言われた。僕が全然、と返そうとしたとき。
梨夏ちゃんが泣き出した。
「え」どうして? 僕がなにかしたか?
「ごめん、ごめん」と何度も謝られる。全く状況を飲み込めないまま僕は大丈夫? どうしたの? と聞き続けることしかできない。
彼女の涙は次第に増えていって、食堂にいた人たちがちらちらとこちらを見ているのが分かった。
「梨夏ちゃん、どうしたの。僕がなんかした?」
彼女は首を横に振るばかりだった。
なんにせよ、このまま食堂に居続けるわけにはいかない。じゃあどこに行く?
その時、僕はこれはチャンスだと思った。泣いていることは悲しむべきことだけれど、ここで彼女の心を救うことができれば、彼女の理解者になれれば、僕のことを好きになってくれるかもしれない。
僕の家は大学のすぐそばにある。ここから五分とかからず行ける。彼女を落ち着かせるために、周りの目線から守るために、安全な場所に避難させないといけない。
僕の家なら当然周りの目はないし、ゆっくりできる。
そのまま僕が信頼を得られれば、そのあとの展開があるかもしれない。
僕の家に行こう。そう言う。言う。言え。言え!
「――――とりあえず食堂でよっか」
結局僕たちは食堂の裏側にある小さなベンチに座った。
三十分くらい、無言で二人で座り続けた。
次第に彼女は落ち着いてきて、僕が「どうしたの?」と聞くと「ちょっと人間関係でいろいろあって。でも話を聞いてくれてありがとう。落ち着いた」と返ってきた。
僕はそっかと笑って、「落ち着いたならどこか行かない? カラオケとか」
「ううん、このあと授業だから」
「……そっか」
「でもありがと。自分の気持ちに整理がついた」
「僕は何もしてないよ」
本当に何もしていなかった。
僕は複雑な気持ちのまま彼女と別れて、風間さんの家に向かった。何か馬鹿な話がしたい気持ちだった。
「おーす」
「宮田さんだけっすか」
「うん。でも三限目が終わったら風間も帰ってくると思う」
宮田さんはニンテンドーWii Uでスプラトゥーンをしていて、こちらを見ないまま答えた。僕はソファに座って読みかけのソードアートオンラインを取り出す。
一時間ほど経って、唐突に宮田さんが口を開いた。
「博斗ぉ」
「なんすかー?」
「センズリこくっていうじゃん」
「本当になんですか!?」
「あれってさ、千回擦るからセンズリっていうんだと思うんだけど、果たして本当に千回も擦ると思う?」
「ぜってぇ千回も擦らない!」
僕はゲラゲラ笑いながら突っ込んだ後、急に我に返った。「あれ? でも実際何回擦る?」
「そうなんよ。ヒャクズリだとたぶん少なくてさ。長めの動画を使うときは確かに千回くらい余裕で擦ってる気もしてきて」
「うーむ」
少しだけ間をおいて、僕たちは顔を見合わせて叫んだ。
『じゃあマンズリって!』
「ただいまー、何の話してんねん」
ちょうどそのタイミングで家主の風間さんが帰ってきた。
「あ、おかえりなさい。いやさ、さっき宮田さんと――――」
風間さんの顔に、何枚も絆創膏が貼られていた。
「――――えっ、どうしたんですか、その顔」
「ああこれ? 鼻」
「人の顔に鼻があることに疑問を抱いたわけじゃないんです」
「絆創膏は昨日からよ」
「そうなんですね、で、どうしたんですか?」
風間さんは鞄を置いて椅子用のクッションを手に取る。
「いわゆる修羅場よ。昨日梨夏に浮気がバレてさ」
「……え?」
「いやまあ浮気っていうか他の女の子とご飯行っただけなんだけどさ。それでめちゃくちゃ暴れて顔中引っかかれた」
「…………は、はは。それは大変でしたね」
「ほんとよ」
僕は表情を作るので精いっぱいだった。
梨夏に浮気がバレた?
梨夏?
同姓同名?
僕の中で、出来事が一本の線で繋がった。
どうして梨夏ちゃんは今日僕とご飯に来た?
どうして泣き出した?
彼女はどうして風間さんの家に来た?
彼女はどうしてサークルに入った?
彼女は誰がきっかけで、サークルの新歓に来ていた?
彼女は最初から、風間さんが好きで、二人は付き合っていたんだ。
「だから昨日別れてきたんよね。まだ抱いてもなかったからちょっと残念」
「あ、ああ。へえ、まだ抱いてなかったんですね」
「さすがに田舎から出てきた一女をすぐ食うのはやばいて。それに梨夏よ? あんなん絶対アホほど重いから、ちょっと様子見てた」
「ああ、まあそれはそうかもですねえ」
僕は表情を作るので精いっぱいだった。
それからの記憶は、あんまりない。
気がついたら自宅のベッドで、翌日の一限目をサボっていた。
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