06-06
「ここが、件の『部屋』か。なかなかキレイなところじゃないか」
くすんだ色調のジャケットを羽織った色男は、年につり合わぬ色香を漂わせながら、じろじろと部屋の中を見渡している。
――なぜ、いま、このタイミングで?
疑問符ばかりが頭に浮かぶ。
サイカワには、この部屋のことを話した記憶がない。
どこからか嗅ぎつけてきたのだろうか。
……いや、ここを知った方法は気になるが、訪ねてくること自体に抵抗感は覚えない。別に部屋のことを隠しているわけではないからだ。
ただ、なぜ今、なんだ。
内通者はサイカワ、と聞いた直後。なぜこうも図ったように同じ苗字の男が現れるのだろう。
――――監視、されているのか?
「……サイカワ。せっかく訪ねてもらったところ悪いんだが、いまちょっと取込み中でな。またの機会にしてくれないか」
動揺を悟られないように、努めて淡々と言葉を紡ぐ。
画面に映る男が、得体のしれない怪物のように見えて仕方がない。
しかしその恐怖のような心境を気取られるのはなぜだかよくない気がした。
「ヒカリくんが気になるかい?」
「……あぁ。お前の相手をしている暇はない」
「連れないね。けど、心配する必要はないさ。彼女が保護に向かっている」
……彼女? 保護? どういうことだ?
例の、童謡をプレゼントした彼女のことか?
その彼女が……ヒカリを保護?
「お前……一体……」
「君の敵ではないよ」
女殺しの甘いマスクに浮かぶ不敵な笑み。
――この男、一体、何者だ?
「すぐに信じろと言っても難しいだろうね。ネコタニ君の情報が裏目に出ているかな?」
ネコタニの情報。
――内通者はサイカワ。
裏目に出ている?
――ということはつまり、内通者というのは――?
いや、まて。
なぜ、その情報まで手に入れているんだ?
あれはネコタニが彼女の知り合いの情報通から得た情報のはず。
「アオヤギのこと、どうして今のような状況になったか知りたくないかな?」
アオヤギ先生に起こったことを知っている…?
こいつは記憶が消されていないのか?
「教えてあげるよ」
「君は僕たちの計画の重要なファクターだからね。君が協力してくれないと困る。それくらいのサービスはするさ。当然――」
「今死なれるのも困る」
――なに? 死ぬ? 俺が?
情報の嵐の中、唐突に向けられた言葉の刃。
最高級の切れ味で喉元に突きつけられたそれは、死というたった一文字の言葉であるのに、その意味を理解することが難しかった。
まごまごと返す言葉を探していたその時、これまでに聞いたことのないほど大きく低い音が、家ごと揺らす衝撃と共に襲ってきた。
「な、なんだ!?」
天井から塵がパラパラと落ちる。
耳に残響が木霊する。
ガレージのシャッターの脇、人の出入りに設けられた小さなドアから外に出る。
思わず目を疑った。
大型のトラックが自宅に突っ込んでいる。
玄関先から自分の部屋にかけて頭を突っ込み、もくもくと黒い煙を立てている。
少し焦げ臭さを感じた刹那、ボウッと、赤い炎が顔を出した。
「な、なんで……トラックなんか」
絞り出すように喉から言葉を出しながら、ふと、つい最近見た夢を思い出した。
ワカクサに行った日、ゴメンマチ ノブコの著書を読んだ夕方。妙に生々しく感じた夢。
――あれは夢ではない――あれは記憶の断片――。
10年前の、あの日の記憶。
大型のトラックに、幼馴染の家庭は壊された。
いま目の前にある光景と同じように。
トラックの前方を覆う炎が大きくなっている。
そこから上がる煙も黒を強め、生き物のようにゆらゆらと拡散しながら天に昇っていく。
鼻につく臭い、滲みる目。
五感で感じる、平和の崩壊。
こんなにもあっけなく、秩序は崩壊する。
もう、もとには戻れない。
「まったく。10年前から手口が変わらないじゃあないか。ロゴが無いだけ隠そうという意思はあるのかな」
……10年前? 手口?
「……いいかい、サトルくん。君はいま命の危機に直面している」
「いま目の前にあるトラックだけで終わると思うな。この強硬手段――奴らは切ると決めたに違いない。間違いなく次が来る」
「急いでそこから避難するんだ」
頭が働かない。
動かなきゃと理解はしている。
だが、身体がついてこない。
「……しっかりしないか、ノナカ サトル! キミが生き延びないと、ヒカリくんの未来もないぞ」
――ヒカリの未来も?
「どういうことだ?」
告げられた幼馴染の暗い未来。
……それは看過できない。
固まっていた身体を無理矢理動かして、だらりと垂れ下がっていた右手をあげて、携帯端末の画面の中の男に問いかけた。
「後で話すよ。とにかく今はすぐそこから避難するべきだ。キミの家の裏手、林を抜けたところに墓地があるだろう。まずはそこに行こう。人が通れる程度の細道しかないから、車は入って来られない」
……なぜそんなことまで知っている?
電脳空間の住人で、物理空間を見ることができる人間は限られているはずなのに。
そして我が家の裏手の墓地なんて、それこそ訪れる人間なんて皆無であるはず。
――――ああ、くそ、全く何がどうなっているんだ。
けどとにかく、死ぬのはごめんだ。――ヒカリのためにも。
予想外の情報の数々にしびれる頭、オイルを失った歯車のように固渋する身体を無理やり動かして、転びそうになりながら走り出す。
直後、背後に感じた大きな爆発音。
襲ってくる熱波、振り向く余裕などない。
立ち止まることを許さない。許されない。
進むしかないと、以前覚悟したはずの気持ち。
それがいかに矮小で軽いものであったか。
背中を押す熱い風で実感した。
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