06-05
端末の画面に写る幼馴染も同じ推測をしているようだ。
こちらを――部屋の中のカメラの方に――目線を向けて、小さく呟く。
「……サトル。わたし、高校見に行ってくる」
その気持ちは理解する。
俺だってそっちの世界にいたのならそうしていただろう。
自分の目で確かめたい。自分の推測が間違っていてほしいと。
……だが、見に行って大丈夫だろうか。
その身に危険が及ぶ可能性はないだろうか。
恩師が消されるという一大事だ。
迂闊な行動は避けるべきだ。
そう思う違和感が一つある。
それは――アオヤギ先生が、関わりのある人々の記憶も含めてその存在を抹消されたとして、なぜ我々の記憶は操作されていないのだろう。
いや、俺についてはそれでおかしくない。物理空間で生身の身体で生きているのだから、記憶に対してノアボックスが何らかの工作をできるわけがない。
ここで疑問の対象となっているのはヒカリだ。
なぜ、ヒカリはアオヤギ先生のことを覚えているのだろう。
なぜ、他の人々と同様に記憶を抹消されなかったのだろう。
ノアボックスがアオヤギ先生を消したのであれば、彼がどんな活動をしていて、どのような人と関わって、どのような情報を共有したか、奴らは知っているはずだ。
それが奴らにとって都合が悪かったから、人々の記憶も含めてアオヤギ先生の存在を消したのだろう。
ならば、ヒカリの記憶からだってアオヤギ先生のことが消されてしまっていてもなんらおかしいことはない。
では、なぜ、そうなっていないのか。
――ヒカリがアオヤギ先生のことを覚えていても、奴らにとって都合が悪くないから?
そうだとしたら、記憶が消されていないこと自体はそれなりに納得しうる。けど、じゃあ、なぜ奴らにとってそれが都合の悪くないことなのか――?
――――いずれ、ヒカリも消すから?
嫌な推測ばかりが頭に浮かぶ。
「待て、ヒカリ。確かめたい気持ちはわかるが、今は慎重に行動すべきだ」
「でも」
「……ヒカリがいつアオヤギ先生のようになってもおかしくない。単独での行動は避けるべきだ」
「…………わかってる。……けど」
ヒカリはどうしても確かめたいようだ。
……そうだよな。両親を亡くしたあと、一番親身になってくれた大人はアオヤギ先生だもんな。
そんな恩師に悲劇が起きたのだとしたら、確かめずにはいられないだろう。
「……電話はいいかな?」
……電話。
発信元がヒカリであることが電話を受けた相手も、基地局からも感知できてしまうが……それは知られても良いか?
アオヤギ先生のことを嗅ぎ回っていることを曝け出すような格好になるが……でも、ヒカリがアオヤギ先生の記憶を失っていないことは奴らも知っているはずだから、知られたところで……というところか?
「……そう、だな。おそらく。……けどなるべく手短に、余計なことを言わないようにした方が良いかもしれん」
「わかった」
ゆっくりと首肯したヒカリは携帯端末を耳に当て電話をし始めた。
ピリリリリリ……ピリリリリリ…………。
電話の呼び出し音が鳴り続けている。
何回目の音かわからなくなった頃合いで、ヒカリは端末を耳から離した。
「アオヤギ先生の電話番号にかけてみたけど、繋がらないや。今度は高校にかけてみる」
ヒカリはそう小さく呟くと、また携帯端末を耳に当てた。
今度はすぐさま繋がった。
虫の音のような小さな音量で電話の向こうの女性の声が聞こえてくる。
「――はい、クチナシ第一高校……」
「お忙しいところすみません、そちらにアオヤギ ノブヒロ先生はいらっしゃいますか?」
「……すみません、もう一度よろしいですか? よく聞き取れませんでした」
「アオヤギ ノブヒロ先生です」
「…………大変恐れ入りますが、アオヤギという教員は当校にはおりません」
「…………そんな……」
言葉を失うヒカリ。
自分も同じだ。
最悪の推論を肯定された。
突きつけられた現実が、辛い。
「あの、もしもし?」
「……大変失礼しました。ありがとうございました」
「あっ、ちょっと――」
ヒカリは力なくお礼を述べて電話を切った。
電話の向こうの女性の瑞瑞しい声が対象的だった。
通話の終了した部屋を、のっぺりとした静寂が包む。重苦しく身体を包み込むようなそれは、呼吸すらも難しくさせているように感じた。
酸欠のような、頭に靄がかかったような感覚。
浅く繰り返される呼吸は、心理的に負った衝撃が決して生易しいものではないことを如実に表している。
「やっぱり、私、行ってくる」
「あ、おい! ちょっと待て!」
ヒカリは居ても立っても居られないようだった。
一言、ポツリと呟いて、こちらの制止などお構いなしに部屋の外に駆け出して行ってしまった。
十中八九、クチナシ第一高校に向かったのだろう。
その目で見るまで信じない――いや、信じたくない、ということだろう。
しかし、いま単身で出歩かれるのはまずい。
ヒカリの身にだっていつ何が起きたって不思議ではないのだ。
もし、万が一そうなってしまったら俺は――――。
あぁ、クソッ、すぐにでも連れ戻したい。
なんだってこんなに不自由なんだ。
生身の身体を持っているっていうのに。
自らの境遇に、現代の世の中一般の人よりも唯一多く持っているそれに対して行き場のないやるせなさを覚えたとき、「部屋」のチャイムが鳴った。
ピンポーン。
「ヒカリ!?」
思わず大きな声で呼びかける。
戻ってきてほしいという願望が込められたその声に、応えるように開いた扉。
しかし現れた人物は、期待を裏切る色男。
「――やぁ。お邪魔するよ」
「…………サイ……カワ…………!」
紫煙と柑橘の混じった香りは画面越しに届くはずなどないのに、気障な口調と相まって、鼻につくような印象を覚えた。
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