06-04



「……サイカワ?」


 聞きなじみのある苗字を耳にして、思わず聞き返してしまった。


「えぇ、サトル殿。たしかにサイカワ、と言っていました」


「……一番身近なサイカワはあのプログラミング部の部長ですが……まさか彼が何か知っているのでしょうか」


 内通者。

 何らかの組織に属していながら、別の――敵対関係に近い――組織と繋がりのある者。スパイ、という言葉でも表現されるか。

 その仕事は所属している組織の内部情報を外の別の組織に供給することだ。よって、ある程度その組織の中に入り込んでいなければ、スパイとしての仕事は成しえない。

 その情報通の言うサイカワは、どちらの組織にもともと所属していて、どちらの組織に潜入しているのだろうか。


 ――それはそれとして、あの一言多いどっかの部長がまさかスパイなんて……到底できるとは思えないな。


「……そんな、まさか。……そういえば、ミレイちゃんのお母さんの旧姓もサイカワだったよね」


「そうなんですか?」


「うん、昨日アオヤギ先生のところに行ったときに教えてもらったの。ミキちゃんが教えてくれたように、アオヤギ先生の前職はセキュリティ関連のお仕事だったよ! まさかのノアボックスに勤めてたんだって」


 ヒカリはお礼を言いながら、ネコタニの得ていた情報が正しいものだったと伝える。

 スクープを追う者として自分の手に入れた情報の裏が取れたらそれなりに嬉しいものだろうと推測し、彼女の大きなリアクションを期待した。


 しかし、俺達の予想は裏切られた。


「…………ごめんなさい、ヒカリさん。話が見えないです。まず、アオヤギ先生って誰ですか?」


「…………え?」


 何を言ってるんだコイツは。

 冗談にしてはタチが悪すぎる。

 ヒカリも困惑を隠せていない。


「ミキちゃん、冗談はよしてよ。アオヤギ先生だよ、私達の高校の。クチナシ第一高校の物理の先生だよ」


「……物理の先生はスワ先生でしたよね?」


「……スワ? そんな先生いたか?」


 スワという人物など会ったことも、その名を聞いたこともない。


 クチナシ第一高校の生徒数は他の高校に比べてそれほど多くもなかったから、教員数も特別多いわけでもなかった。よって、会話する機会は殆ど無いにしても、全ての先生の名前と顔くらいは覚えられた。

 それでも、スワという人物に覚えがない。


「え? スワ先生ですよ? 手助けクラブの顧問もしてくださっていたじゃないですか」


「……え? いやいや、うちの部活の顧問はアオヤギ先生だったって」


「だから、アオヤギ先生って誰なんですか。ウチの高校にそんな先生はいませんでしたよ」


 ……どういうことだ?


 いくら話しても噛み合わない。

 かと言ってネコタニが嘘をついているようにも見えない。


 いまこの電話におけるネコタニの言動が嘘でないなら…………いや、そんなバカな。

 つい数日前、ネコタニ自身からアオヤギ先生の過去の職歴に関するタレコミを貰ったんだぞ。

 なぜその彼女がいま、アオヤギ先生のことを、その存在すら知らないのだろう。


「…………ごめんね、ミキちゃん。ちょっと頭冷やしたいから、一旦電話、いいかな?」


「え? え、えぇ。わかりました、ヒカリさん。ではまた後ほど電話しますね。失礼します」


 プツッ、ツーッツーッツーッ……。


 白い部屋、寂しげな幼馴染が佇むなか、無機質なビジートーンはその通話が終わったことを知らせる。


 キンキンと鼓膜を刺すような声の響く会話から一転、不気味な静寂のみが純白の空間を包む。



 唐突すぎて。あまりに突飛で。

 目の前に突如現れた状況に困惑するばかりで、打つ手を見出だせない。


 ……いや、状況はわかっている。

 わかろうとしていないだけだ。わかりたくないと思っているだけだ。


 いくらでも予測できたはずだ。この状況を。

 我々がしようとしていたことを鑑みればいくらでも。


 理解したくないだけだ。

 理解してしまったら、確定してしまうような気がして。



 そうだ。


 きっとアオヤギ先生は、消されたんだ。

 奴らに。


 存在ごと。人々の記憶からも。


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