05-13



「…………は?」


 素っ頓狂な声が出た。

 小さく、息が漏れるように出た声。

 携帯端末のマイクがとらえたかも怪しいような声量だったが、しっかりと届いていたらしい。


「……そういう反応になるよね。家族以外には協力者くらいにしかまず言わないことだから。……すまない、黙っていて」


 黙っていた……いや、それ自体は別に気にすることではない。

 アオヤギ先生と我々――知人とか友人くらいの、家族ほどではない距離感の関係性において、その人の親がどんな家系の出かを気にするものではないし、態々言うものでもないからだ。


 とはいえ、まさか渦中の家系の末裔だとは思わなかった。

 ……道理で事細かに疑惑の背景を知っているわけだ。その点では腑に落ちる。



 だが一方で、この話の流れでそれを打ち明けたことに少し驚いている自分がいる。


 過去の時代から続く、オニヅカ家、ゴメンマチ家との間の確執。そのためにゴメンマチ家はオニヅカ家の動向を探り続けているという。

 親族、協力者を除いて自身の家系のことを話していないということは、その活動も秘密裏に続けられていたものだろう。

 そして、アオヤギ先生自身も諜報活動に参加していただろうと思われる。

 これだけの情報を持ちながら、自身は何もしていないというのはいくらなんでも無理筋だ。かつてノアボックスに務めていたのも、ゴメンマチ家の一員として諜報活動を目的にしていたと考えて間違いないだろう。

 


 そう考えると、尚の事、驚嘆の意を覚えるのだ。

 それを、なぜいま打ち明けるのだろう。

 オニヅカ ミレイの目の前で――と。


 疑惑の企業の経営に関与するでもなければ、事情すら知らないような一人の女性と言えばそうではあるが、監視対象としてきた家系の娘であることもまた事実だ。

 多少なりとも――これまでの歴史の授業もそうではあるが――警戒し、情報の開示を渋ったとしても不思議はない

 ちょっとした関係者だとか、いくらでも煙に巻

くことはできただろうに、なぜそうしなかったのか。


 ――そんな俺の猜疑心は、アオヤギ先生のお人好しな回答に軽く吹き飛ばされた。


「……実は、君達が来たとき、いや、ヒカリとミレイさんが電話をかけてきたときも、このことは言わないでおこうと決めていたんだ」


「……けど、話を聞いていて思ったんだ。教え子とその友達が、真剣にミソノさんを心配し、その背景にある大きな疑惑に立ち向かおうとしている。恐怖を押し殺しながらも知ろうとし、変えようとしている。……それに対して、隠しごとはしたくないと思った。たとえ敵対するノアボックスの社長令嬢であろうとも」


 ……アオヤギ先生。

 俺達のことを思い、支えようと迷いながらも打ち明けてくれたことは素直に嬉しい。

 少しだけ、目頭が熱くなった。

 一方で、お人好しが過ぎて、心配になってしまう気持ちも覚えた。



 まっすぐで誠実で、どこまでも優しいアオヤギ先生。その心は、目の前の悩める一人の娘――ミレイまでしっかりと届いた。


「……先生……ありがとうございます。私に、そこまで教えてくださって」


「秘密裏に諜報活動を継続することの難しさ、経験がありませんので想像しきれないですが、筆舌に尽くしがたいご苦労があったことでしょう。それを無に帰すかもしれない恐怖がありながらも、私に打ち明けてくれた。……感謝しかありません」


「――――必ず。必ず母を見つけ、そしてノアボックスを変えて見せます」


 ミレイは深々と頭を下げた。


 元の姿勢に戻ったミレイの目には、力が宿っているように見えた。

 乾いた笑いが出ていた口元はきゅっと閉まり、決意の言葉を力強く表現する。

 凛とした雰囲気には、いつもの氷のような冷ややかさの中に、幾分か熱が入っているように感じた。


 ……やはり、この人は強いな。

 恐らく人の上に立つものとして教育を受けてきた彼女は、心理的負荷のかかる局面に遭遇した機会が所謂一般人よりは多かったであろうから、そのストレス耐性が並大抵でないことに疑念はない。

 ……それにしたって、もはや超人的だとすら思うけどな。あれほど絶望した直後だと言うのに。

 

 それと相対するアオヤギ先生の目は優しさに満ちていた。


「……ありがとう」


 すべてを包み込むような柔らかな声に被せるように、電子音が鳴る。


 ピピピピピ!


 ミソノさんのパソコンにつないだ、一回り小さめのもう一台のパソコンからだった。

 どうやら、パスワードの解析が終わったらしい。


「……思ったよりも早く解析できたな。……ミレイさん、中を見ても?」


「はい。構いません」


 ミレイのかすれ気味の回答を聞いた後で、アオヤギ先生は小さい方のパソコンにカタカタと何かを打ち込んだ。

 そうすると、ミソノさんのパソコンの画面、パスワードを入力するセルに自動で文字が入って、OSのデスクトップ画面が映った。


 なんのファイルも置かれていない、さっぱりとしたデスクトップ画面が。


「……ミソノさんはデスクトップ画面にファイルを置かないタイプかな? ……いや、こういうケースに備えて情報を端末に保管していない可能性の方が高そうだけど……端末内のファイルの有無を調べるために検索を掛けても良いかな?」


「たしかに母は几帳面な方でしたが……。検索は構いません。せっかくアクセスしていただいたのに、何もファイルが見つからなければ、それこそ手詰まりですもの……」


 アオヤギ先生はまた、一回り小さい方のパソコンにカタカタと何か打ち込んだ。ミソノさんのパソコンにポップアップウィンドウが出る。何かを探していることを表現しているのか、緑色のバーが左から右に徐々に伸びていくのが見える。


 緑色のバーが最右端まで届いたとき、一つのtxtファイルが表示されていた。


「……見つかったのは、これだけだ。あとはOSを構成するプログラムだけだから、その中に何らかの機密情報を入れているとは思えない」


「……中を見てみましょう」


 アオヤギ先生は、ミソノさんのパソコンをミレイの方に向けなおす。

 ミレイはそれに軽く会釈をすると、右手でキーボードの手前側に埋め込まれているトラックパッドを操作し、人差し指でトントンと軽く二回タップした。


 すぐさまパソコンの画面にポップアップが出る。


 ファイル名はnotitle.txt。

 その中身は――――


 ――――――――

 警告: 深入不要。

 ――――――――


 いつかの日か俺のもとに届いたメッセージと同じ文章だった。


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