05-08


 すっかり日の落ちた土曜の校舎。

 活気にあふれた若い声など微塵もない。

 端末から聞こえてくるのはキーボードの打鍵音のみで、その世界には恩師と幼馴染、そして依頼人の三人しかいないのではないかという錯覚を覚えるほど静かだった。

 目の前の画面から目線を外し、窓の外に意識を向ければ、幽かに蛙の鳴き声が聞こえている。日中の厚さが幾分か和らいだのだろう。ここからは彼らの活動時間のようだ。



「パスワードをバイパスすることはできなかった。......さすがミソノさんだ。次は、解析ソフトによる総当たりを試すよ」

 

 アオヤギ先生はそう話すと、ミソノさんのパソコンよりも一回り小さなパソコンを持ってくると、それとミソノさんのパソコンをケーブルにより接続した。

 カタカタと、その一回り小さなパソコンの方に何かを入力したかと思えば、その小さなからは想像できないほど大きな駆動音がなった。空冷用のファンの音だ。見た目に対してマシンパワーば随分と大きいようだ。


「よし、後はもうこいつに任せて待つだけだ」


 アオヤギ先生は、パソコンに向けていた顔を上げた。

 それまで画面に照らされていた険しい顔からは、少しだけ眉間の皺は緩み、わずかにその口角は上がっている。

 しかし、朗らかとは言い難い。

 これから話す内容の暗さを前に、努めて気持ちを和らげているようにすら見えた。


 ヒカリとミレイもその雰囲気を汲み取ったようで、肩に力が入っているように見える。生唾を飲み込む音が聞こえてきそうだ。



「......さて、どこから話そうか」


 アオヤギ先生は静かに話しはじめた。


「…………まずは、ミレイさんの質問にちゃんと答えようか」


 思わず息を飲んだ。

 アオヤギ先生の言葉を待つ。


「まずゴメンマチ ノブコについて知っているか。……知っている。彼女の著書も、彼女の作った童謡も。そして、ゴメンマチ ノブコとノアボックスとの関係性について知っているか、だね。……これも知っている」


「ゴメンマチ ノブコは、ノアボックスと切っても切り離せない関係にあったんだ。敵対関係にあった、と言ってよいのか」


 アオヤギ先生の答えは、我々の推測を肯定するものだった。

 ――敵対関係。だとすれば、あの童謡に対して覚えた、ノアボックスを揶揄するような印象は、気の所為ではなかったということか。


「……いや、やはりもっと歴史的な背景も含めて話した方が適切だな。…………今度は少し、歴史の授業だ」



――――――



「人類が電脳空間への移住を本格的に検討しだしたのはいつだか、わかるかい?」


 椅子に深く腰掛けた初老の男性は、目の前の若人に問いかける。


「……21世紀の初頭、でしたっけ?」


 地球環境の悪化がより顕在化してきたのがその頃だったはず……いや、待て。本格的に検討、となるともっと後か?


「……惜しい、サトル。21世紀初頭は地球環境の悪化が顕在化した、という時代だ。まだ、人類はそれを食い止められる、元に戻せると思っていた。電脳空間への移住を本格的に考え出すのはもっと後なんだ。……絵空事としてそういう空想くらいはしていたかもしれないが、物理空間を捨てるという発想にまでには至っていない」


 やはり、か。

 とすると、人類が電脳空間への移住を自分たちの種の存続のための選択肢として本格的に議論しはじめたのは……。


「……世界大戦」


 少しかすれた、凛とした声が答えた。

 続いて、少し嗄れた低い声が続く。


「当たり、ミレイさん。人類が電脳空間への移住を本格的に検討しだしたのは先の世界大戦の頃だ」


「地球環境は21世紀の初頭から悪化を続け、最終的に世界大戦によって取り戻せないところまでトドメを刺された」


「武器生産のための資源の大量消費、そして場所を問わない無差別的な大規模破壊活動により悉く世界は焼き尽くされたんだ。だから、人類は移住先を探し始めた」


 初老の教師の説明に対して、氷の女王は低い温度で問う。


「……その歴史を聞くたびに、疑問を持っていたのですが、世界大戦の頃に検討を始めたのであれば、電脳空間『ボックス』のリリースにいたるまで半世紀ほども時間を要しているのはどうしてなのでしょう。設備容量や処理速度の程度に課題はあれど、技術的には第三次世界対戦の頃でも電脳空間を構築することは可能であったはずです」


「……そう、そこが重要な点だ。電脳空間への移住が本格的に始まるまで、なぜ半世紀もかかったのか。……結論から言うと、ある企業とゴメンマチ家との抗争が関係している」



 ミレイの顔が訝しげに歪むのが見えた。


「ある企業?」


 ――彼女にはさらに酷な話が続くのだろう。

 そう思い目をそらすと画面越しにヒカリと目が合った。同じことを思ったようだ。


 アオヤギ先生はある企業としか言っていない。

 けど俺達の頭には、アサギふれあい広場の慰霊碑のとなりで見た説明板に記載されていた、ある企業の名前が浮かんでいた。 

 そして、その直感が正しかったことはすぐわかった。


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