05-07


 

 これもまた、予想だにしないセリフだった。


 これまでの種々の依頼の中で、断片的に明らかになったノアボックスに対する不審点の数々。

 それは、まさに偶然見つけられた、という表現が正しいもので、「手助けクラブ」の活動が無ければいつまでも知り得ることはなかっただろう。


 ミレイも、ノアボックスの後継者候補であるとはいえ、今回得た疑惑の数々は、寝耳に水以外の何物でもなかったはずだ。

 母の失踪という悲劇の最中、それをきっかけに自身、ひいては家族の――もっと言ってしまえば彼女らの会社の顧客、つまりこの世界全ての――今後を揺るがしかねない情報を知ることになってしまったのが不憫でならない。



 そのやるせない気持ちから出た小さな一言。



 きっと、解決策など求めていなかっただろう。

 ただ聞いて欲しかったのだろう。


 家族もその疑惑に関与している可能性が高いミレイは、自身の気持ちを吐露できるような大人が周囲にいない。

 不安な気持ちを受け止めてくれる大人がいないのだ。


 そのような状況下で、唯一、希望の光として母の行方を探すために協力してくれた大人。

 その出会いは偶然かもしれないが、甘える相手に必然性などあろうものか。

 中毒性があると誰かが表現するような優しさに、甘えてしまって何が悪いと言うのだろう。



 しかし、その小さな一言に対する、アオヤギ先生の返答は――。



 "知らない"という回答を予想していた。しかし、違った。


 もし、ただ歴史的な著名人という観点からのみゴメンマチ ノブコのことを知っていたのだとしても、その返答はきっと「あわれなおにのゆくすえ」の作者の? とか、何々で有名な? とかその人物に紐付く作品、著書、代名詞などの確認に留まるはずだ。

 

 アオヤギ先生の返答は――。

 

 そう、答えがすぐそこにあるのだ。

 心を押し潰さんとした疑惑。真実であると断定しきれなかったこそ辛かった。それを晴らす答えが、すぐそこに。


 パンドラの箱かもしれない。

 知ってしまう方が辛いかもしれない。


 思わず口をつむぐ、ミレイ。

 いや、ミレイだけではない。

 ヒカリも、俺も、言葉が出ない。


 沈黙を破ったのは、アオヤギ先生だった。


「ひとつ、聞いても良いかな」


 簡単な問い。

 ミレイは簡潔に答える。


「はい、先生」


「どうやって、それまでたどり着いたのかな?」


 優しい声音。だが、得も知れぬ圧を覚えた。


 ミレイは、ちらとこちらを見る。

 それは、俺が答えよう。


「先生、ゴメンマチ ノブコにたどり着いたのは偶然です」


「ある童謡の楽譜を探してくれと頼まれたんです。全くの別件で。それで、ワカクサの図書館に行って探しました」


「そこで童謡『あわれなおにのゆくすえ』の歌詞と、ゴメンマチ ノブコの著書『ノアの方舟構想とその展望』を見つけました」


「『ボックス』に造詣の深そうなゴメンマチ ノブコが作ったあの童謡――『ボックス』を揶揄しているような歌詞に引っかかりを覚えたんです」


 ここまで話したところで、ミレイが補足を入れる。


「私もサトルくん達に、母のことで依頼をしていました」


「母が行方不明になる前に発した言葉――シノノメに何かあると推測して、物理空間のシノノメを見に行くというものです」


「結果、母に関連しそうな情報はシノノメにはありませんでした。その代わり、そこにあったのは、ノアボックスのロゴを掲げた大規模な工場」


「私は物理空間側のシノノメに工場を作るなどという事業に聞き覚えがありませんでした。父にも聞いてみましたが、はぐらかされてしまったのです」


「……私は、怖いのです。『あわれなおにのゆくすえ』の歌詞と今の状況が妙に符合することが。父が何かを隠して、とても恐ろしいことをしようとしているのではないかと」


「……なるほど」


 アオヤギ先生は静かに答える。

 否定も肯定もしない相槌。

 優しさ故の曖昧さか、秘匿のための厳しさか、判断がつかない。

 ミレイは続ける。


「……私は、変えたいのです。先程は投げやりな言葉が出てしまいましたが……心の底では変えたいという気持ちがあるのです。恐れている自分と、このノアボックスの状況を変えたい」


「いずれ私はノアボックスを継ぐでしょう。けれど、今のノアボックスは継ぎたくない。ユーザに、いや、今や世界に対して責任を持つ立場にならせてもらっておきながら、都合の悪いことを隠すような企業は継ぎたくないのです」


「かといって、見捨てたくもない。見捨てるということは、会社のみならず世界すら見捨てるということ。それはあまりに無責任です」


「だからまずは知りたいのです。何が起こっているのか。何が隠されているのか。そのうえで正しく恐れ、正しく是正したいのです」


 ミレイは小さく、淡々と話す。

 だがその目は力強かった。


「……だから先生。もし、これまで私共がお話した情報に関して、何かご存知であれば、教えていただけないでしょうか?」



 暫しの沈黙。

 アオヤギ先生はミレイを見つめている。

 優しげな雰囲気は身を潜め、その視線は幾分か厳しく見えた。

 普段とは異なるアオヤギ先生の様子に戸惑いを覚えながらも、じっと彼の言葉を待つ。


 彼の返事もまた、厳しかった。


「……覚悟はあるかい? 知ってしまうことについて。この電脳空間の暗い成り立ちに触れることになるんだ」


 アオヤギ先生は、ミレイとヒカリ、そして端末のカメラ越しに俺を見た。

 じっとりと答えを待つ、重い圧。


 ヒカリとミレイを見る。

 目があった。そして頷く。


 一度は迷ってしまった。

 だが、ここで戻ってどうなるんだ。

 ここまで知ってしまったんだ。

 ならいっそ。


 俺達の答えは決まった。


「はい。覚悟の上です。教えてください、先生」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る