05-06
「『虫』とは、先程述べたとおり、この電脳空間に害をなす因子を監視・排除するシステムだ。常に電脳空間『ボックス』の処理を見張っている」
「各サーバに、そのサーバ内での処理を監視するプログラムが実装してあるんだ。その監視プログラムの集合体が『虫』」
「各サーバ内の監視プログラムは、もし害をなす因子を発見したら即座にそれを取り除いて、一定の期間隔離の後、削除する」
「監視を実行するにあたって、『虫』は『ボックス』を構築するネットワークと平行して走る別系統のネットワークで結ばれている」
「害をなす因子を発見した場合に、高速に情報を展開、共有し、処置を実行するために『ボックス』をなすネットワークとは切り離されているというわけだ」
「さながら、『ボックス』のネットワークを人体における血管だとするならば、『虫』はリンパ管だと言えばイメージしやすいかもしれない」
なるほど、血管に対するリンパ管、というのはたしかにはイメージしやすい。「虫」の役割もまさしく免疫系にイメージが近いしな。
……ならばなぜ「虫」という名前なんだ?
「『虫』は人間の脳のように中央処理的な機能を持ったユニットを持たない。各サーバ内に置かれた監視プログラムが独立して動き、各サーバの処理を常に監視している」
「それを虫の神経節になぞらえて、『虫』というシステム名称がつけられているというわけ。……厳密には虫にも脳はあるんだけどね……とりあえず概要はこんなところだけど、どうだろう、ヒカリ? ここまでのところは?」
ヒカリは目をパチクリさせながらアオヤギ先生を見つめている。
おっと……この反応はもしや……。
「な、なんとなくわかったよ! ありがとう、先生! ミレイちゃんのお母さんはそんなすごいシステムの何を改修したの?」
……うまく誤魔化したな?
アオヤギ先生にはバレてそうだけど……。
ほら、少しクスクスと笑ってる。
けど、優しさかな? あえてツッコミはせず、質問に答えてくれるようだ。
「ふふ、ミレイさんのお母さん、ミソノさんが実行した大改修というのはね、その"神経節"の間の通信プロトコルが当時の規格標準から外れた旧方式だったから、それを刷新することだったのさ」
「基本的に独立して動いてはいるが、不穏な因子を発見した場合はその情報を展開して共有することで、サーバによってセキュリティレベルに差が生じないようにしているからね。通信にも脆弱性があってはならないんだ」
「システムの大元の部分にも食い込んでいるから、その改修は結構手間だったけど……本当によくやってくれたと思う。毎日朝から夜遅くまで、ミソノさんに頼り切りだった」
「……ただ『虫』の監視対象の拡大という上からの要求はどうにも出来なかったな。予算と納期の都合で。要求の内容がそもそも無茶だったけど。そのシステム改修の時に一緒にできればと考えていたけれど、結局、より妥当な企画案を練り直して後で再提案することにした。……それが通る前に私は退職してしまったんだけどね」
「監視対象の拡大?」
思わず質問してしまった。
今の話だけ聞くと、監視対象に不足があるようには思えなかったから。
「うん。『虫』は、いわばこの電脳空間にとっての異物を検知し排除するシステムだ。だから、コンピュータウイルスやバグのような、偶発的に発生、または意図的に設計された害のあるプログラムを発見することはできるが、それら以外は見つけられない」
「それら以外に市民に害を与える存在、つまり、悪意のある人間を見つけることはできないんだ。魔が差して人が罪を犯してしまう時、その人の脳内には偶発的なバグが生じている、なんて説を唱える学者すらいるが……その"バグ"も含めて、人の行動までは監視できない」
あ、そういう、ね。
いや、さすがにそれはどうしようもなくないか?
ネットワークのセキュリティの域を超えているというか……もはやそれってモロに検閲になってしまうし……。
――というか、ノアボックスの上層部は検閲まがいのことを要求していたのか?
「上からの要求はそれすらも対象にできるように、監視範囲を拡大することだった。……けど、それができるなら、全ての人間の頭の中が検閲できることになってしまうから、人権を考えれば、できない方が設計思想として正しいと思う。私もミソノさんもそれは頑として拒否した」
「ただ、その背景にあるのは、善良な市民が悪意ある人間によって損害を被るのは好ましくないという考えで、その考え自体に異論はなかった。手段の問題さ」
「なので、『虫』の代わりに市民をそういった損害から守るためのシステム構想を練ったんだ。……たしか10年くらい前に開発が始まったってニュースリリースで発表されてなかったかな?」
ミレイは静かに首肯する。
その傍ら、ヒカリは首を傾げながら尋ねた。
「警察じゃだめなの? つまり、『虫』は犯罪者の対処ができないってことでしょ? けどそれは警察の領分じゃないの?」
「ご尤も。かねてより、犯罪者に対処してきたのは警察組織だ。……だが彼らだって人間だ。凶悪犯罪によって命が危険に晒されることを、職業柄仕方のないこととはいえ、歓迎はしていない」
「だから、人間の警察の代わりに、犯罪者の監視・拘束に対応するための監視AIを『ボックス』に投入するという構想が開発されているんだ。人間と同じ姿で、『ボックス』内をパトロールする監視AI、『目』をね」
ここまで黙って聞いていたミレイが、久々に口を開いたかと思えば、アオヤギ先生の説明を静かに補足した。
「今、『目』は実証試験の段階です。そのうち世間にお目見えできると思います」
「……今はすでに実証試験まで進んでいるんだね。しかし、それをここで話してしまって良かったのかい? ニュースリリースでは開発中としか述べてなかったと思うけど……機密コード05に該当する内容では?」
「構いませんわ。そのうちすぐに公表されるものですし、貴方がたは信頼のおける方々ですもの。…………それに、そんな会社のルール、もはや守る価値があるのかわからなくなってきましたから」
ミレイは寂しそうに呟いた。
先日、サイカワの失言をきっかけにミレイに突きつけられたノアボックスの疑惑。それにより、ミレイはノアボックスに対して――先祖代々、経営してきた世界に名だたる大企業だと言うのに――信頼感を失ってしまっているようだ。
そのやるせなさが、今の言葉に現れている。
自身の母が輝かしい功績を残しているからこそ、それと相対して横たわる大きな疑惑がより暗く見えてしまうのだろう。
……アサギふれあい広場で見つけた説明板の件は、まだミレイに話せていない。
あれを話したら、いよいよもって、ミレイは何も信じられなくなってしまうのではなかろうか。
彼女に対して、発見した事実を隠すつもりはない。隠したって仕方がない。だが、そのタイミングは悩ましい。
アオヤギ先生は訝しげに、ミレイを見つめる。
「……一体、どういうことだい?」
ミレイはひとつ深呼吸をして、ヒカリと――画面越しに――俺に目配せをしたあとで、意を決したように、呟いた。
「…………先生は、ゴメンマチ ノブコという人物と、ノアボックスとの関係性をご存知ですか?」
数秒の間。唐突に緊迫の色を帯びたその時間。
思わず生唾を飲み込む。
アオヤギ先生の声は、静かで、重かった。
「…………そうか。そこまでたどり着いたんだね」
夜の帳はいま下りた。
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