05-05


 窓の外の日は赤味を最大限に強めたあと、徐々に照度を失っていった。

 本日の光源としての役務は、そろそろおしまいのようだ。

 あれほどまでに明るかった部屋は深い影に飲まれかけている。

 

 携帯端末から一旦離れ、部屋の照明のスイッチに向かう。

 立ち上がった瞬間に感じた怠さが、徹夜のダメージを物語る。

 

 パチ。

 音と同時に天井のライトが灯る。

 幾分か控えめな明るさだった。



「えぇ、『虫』については父から伺っております。この世界における最も重要なインフラ基盤のひとつだと」


 ミレイは凛とした目線をアオヤギ先生に向けている。


「ノアボックスのセキュリティ部門の所掌にも、その『虫』は含まれている。彼女――ミソノさんはね、その『虫』の大改修を実行した人物なんだ。私と一緒に……と言っても私は管理職だったから、彼女が働きやすいようにサポートしかしてないけれど」


 ミレイは文字通り目を丸くして驚いている。


「まさか……それほどまでに重要なインフラの改修を担当したのが私の母だったなんて……」


「信じられないかい? ミソノさんは、多くを語らない人だからね。けど事実だよ。本当に優秀な方だったんだ。私なんかとても敵わないくらいにね」


 アオヤギ先生は目を細め、昔を懐かしむように天を仰ぎながら答えた。

 一方でミレイは、信じられないと言わんばかりに、口元をおさえてじっと下方に目線を落としている。



 対照的な二人の目線の右側に、ソワソワした様子のヒカリが見えた。何か聞きたそうに、アオヤギ先生とミレイを交互に見つめている。

 ミレイがそれに気付いたようで、優しく声をかけた。

 


「……? ヒカリちゃん、どうかしたの?」


「あの……話の腰を折っちゃって申し訳ないんだけど、『虫』っていうのがなんだか分からなくて……聞いてもいいかな?」



 もっともな質問だった。

 「ボックス」の運用に深く関わっている人間でもなければ、知っているはずがあるまい。


 俺はその存在を知っている。名前を聞いたことがある。

 だが、どういうものか、詳細は知らない。「ボックス」のサーバの保守を請け負っている会社の息子なのに。親父からも教えてもらっていない。

 ……ソフト面は定型のアップデート処理だけで、不具合の生じたデバイスの修理等、ハード面での処置がメインの業務だから、それより先は機密の関係で親父すら知らないかもしれない。


「……そうよね。一般ユーザにはその呼び名は馴染みがないわよね。システムの詳細も」


 ミレイは幽かに微笑みながらヒカリを見つめて、優しい声音で答えた。


「『ボックス』に移住する際にユーザと弊社の間で締結する契約書には当該監視システムについて一応概略は書いてはあるけれど、実際にそこまで細かく読み込んだうえでサインするユーザは稀ね」


「ヒカリちゃんは移住したときまだ幼かったでしょうし、それに不慮の事故だったから詳しく知らなくても仕方がないわ。……当時から機密コードは定義されていましたか、先生?」


 アオヤギ先生に向き直りながらミレイは問いかける。


「もちろんあったよ。当時から定義は変わってないかな? 一応これまでの話も、ヒカリに合わせて一般ユーザ向けのコード02で話しているつもりだけど」


「はい、定義を変えた報告は無かったはずです。コード02……いえ、彼女らは私を助けてくれる協力者です。コード04でも構いません」

 

 先にアオヤギ先生が説明していたとおり、「ボックス」はネットワークのセキュリティが非常に重要なサービスだ。そのため、情報資産に対する管理が厳格で、ノアボックスとの関係性の深さに応じて、開示しても良い情報のレベルを定めている。それが機密コードだ。

 機密コードは01〜06まで定義されている。

 機密コード04は、下請けなどパートナーシップを結んでいる関係会社のうち、ソフト面での開発業務の委託関係にあるなど、より関係性の深い会社が該当するコードだ。うちの会社は――サーバの保守を請け負っているとは言え――ハード面での業務が主なので機密コード03。

 ちなみに機密コード02は一般ユーザ、つまり顧客や、マスコミを含むパートナーシップのない他社が該当する。



「……よし。ヒカリ? 久々にちょっとした講義だ。物理じゃないけど。私は光栄な気持ちだけど、心境のほどは?」


「う、嬉しみ?」


 ヒカリは右上に目線を移しながら答えた。

 語尾が疑問形のように上がっているのが、真の答えを如実に表している。

 アオヤギ先生は少し吹き出しながら続けた。


「ふふふ、なるほど、わかった。よし、なるべく簡潔になるよう努めよう」


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