05-03
「久しぶりだね、サトル。元気だったかな?」
「えぇ、健康優良児そのものです」
携帯端末に映る初老の男性。
アオヤギ ノブヒロ。
ここ、クチナシ第一高校で物理の科目を受け持つ教師だ。
ショートの髪型はサイドが刈り上げられていて、さっぱりとした印象を受ける。白髪が混じって、全体的にグレーがかったように見える髪色は、顔に刻まれた皺とあいまって、この人物の人生が決して平坦なものではなかったことを物語っている。
折り目の入ったグレーのスラックスに、白いワイシャツ。
袖は腕まくりされていて、露出した前腕は思いの外細く見えた。
――最後にあったときから、少し痩せた?
思い出の中で出会う姿から幾分か変わった様は、少しだけ寂しかった。
「先生、ちょっと痩せた?」
ヒカリがアオヤギ先生に話しかける。
――結構聞きづらいことぶっこんでくなぁ。
「本当かい? 最近ジョギングを始めたから、それが功を奏しているのかな。だとしたら嬉しいな」
アオヤギ先生はニッコリと笑って答えた。
嘘をついているようにも見えない。
どうやら、病気とか好ましくない状況によって痩せてしまったわけではないようだ。
ジョギングまでするほど元気ならと、妙な安心感を覚えた。
6畳程度の狭い部屋。
細長い直方体の形状をしたその部屋は、短辺の一辺に入口があり、その向かいの短辺に窓が設けてある。
窓は南に向いており、初夏の眩しい日差しがよく入る。
景色もそこそこによく、目の前の校庭が見渡せる。
窓の手前には、使い込まれたデスクとチェアが置いてあり、アオヤギ先生はそこにいつも座して、窓の外を眺めているイメージが強い。
今日、俺達――ヒカリ、ミレイと俺――は、このアオヤギ先生に会いにここへ来た。
彼の担当教科の物理を教えてもらいに来たわけではない。
彼の、隠されたスキルとやらに一抹の可能性をかけてやってきたのだ。
「アオヤギ……先生と呼ばせてください。初めまして。ミレイと申します。急な相談にも関わらず、本日はお時間をいただいて誠にありがとうございます」
ミレイが深々と頭を下げて、お礼を述べた。
「そんなそんな。お礼を言われるようなことをするわけではないよ」
アオヤギ先生は優しい声音で応える。
「それに、教え子とその友達に頼ってもらえたのは結構嬉しかったから。だから頭を上げて」
続くアオヤギ先生の言葉を聞いて、ミレイはおずおずと頭を上げる。
「……ありがとうございます」
「改めて、初めまして、ミレイさん。アオヤギ ノブヒロと申します。ここで物理を教えています。サトルとヒカリがここの生徒だったときは一緒に部活をやっていたりもしました。よろしくお願いします。……その手に持っているのが、例のパソコンかい?」
アオヤギ先生は簡単な自己紹介をして、ミレイが左手に持つノートパソコンを指さした。
メタリックシルバーの筐体。
その名の通りノートのように畳まれた姿は分厚目のプレートのようだ。
実際に手に持つことができていないので、正確な大きさはわからないが、ミレイの手の大きさと比較してみると、14インチくらいに見える。
「はい。これが母のパソコンです。行方不明になる前日までこれを使って何かを調べていたようなので、母の行方を探すヒントがこの中にないかと考えています」
ミレイは簡単にそのパソコンの背景情報を説明しながら、両手でそれをアオヤギ先生に差し出した。
アオヤギ先生はそれを受け取ると、ひと通り外観を眺めたあとで、裏面の型番を注視しながら呟くように聞いた。
「これは……少し前の、たしか昨年のハイエンドクラスのモデルだ。お母さんは結構パソコンに詳しいのかい?」
ノートパソコンのノートの部分というのか、開く部分に指をかけて開けるような仕草をしながらミレイに目配せをした。
ミレイは首肯しながら、応えた。
それを見たアオヤギ先生はノートパソコンを開く。
「はい。結構パソコンの性能にはこだわりがあるようです。昔、私共の会社のセキュリティ部門で勤めておりましたので、その経験によるのかもしれません」
ミレイの言葉を聞いて、アオヤギ先生の動きが止まった。
「……ミレイさん。差し支えなければ、お母さんのお名前を伺っても良いかい?」
仰々しく勿体ぶった聞き方だった。
少しだけ訝しみながらもミレイは答える。
「構いませんよ。――ミソノ。母の名はオニヅカ ミソノです」
いつも優しげなアオヤギ先生の細い目が、少しだけ大きく開いたように見えた。
「ミソノさんか。……もしかして、旧姓はサイカワかな?」
「えっ……。え、えぇ、母の旧姓はサイカワです」
……サイカワ? あの気障な色男と同じ苗字?
というか、なんで先生はミレイのお母さんの旧姓を知っているんだ?
「……先生。なんでミレイちゃんのお母さんの旧姓を知っているの?」
ヒカリも、驚きの表情を隠せていない。
……ミレイのお母さんについては、俺も詳しい情報を――今にして思えば、基本中の基本の情報である名前すら――聞いていなかった。
ましてや旧姓なんて知る由もない。
それはヒカリも同じのようで、今回のこの件を依頼された我々すら知らない情報を、アオヤギ先生が知るわけがない。
だからこそ、いまのこの状況が信じられなかった。
「……ははは。こんなこともあるんだね。…………そうか、結婚して、こんな立派なお嬢さんまで……私も歳を取ったものだ。お父さん似なのかな? 全く気付かなかったよ」
アオヤギ先生は少し遠い目をしながら、パソコンをデスクにおいて窓の外を眺めた。
「先生?」
「あ、あぁ。ごめんごめん。ちょっと驚いちゃって。……私が教師になる前、前職で部下だったんだよ。サイカワ ミソノさんは」
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