05-02



 ピリリリリリリ!

 

 ベッドサイドに置いてある携帯端末が電子音を響かせた。


「応答を許可」


 欠伸を噛み殺しながら応えると、聞き馴染みのある声が聞こえてきた。


「あ、おはよう……いや、おそよう? サトル。良く眠れた?」


「おそよう、ヒカリ。ああ、泥のように。中途覚醒もなくこの時間までぐっすりだ」


「それは何より。あと1時間くらいしたら、クチナシ駅でミレイちゃんと合流してアオヤギ先生のところに向かうからね」


 そう、今日は土曜日。

 ミレイのお母さんのパソコンの件でアオヤギ先生を訪問する日だ。


 アオヤギ先生との約束は17時。

 アオヤギ先生の勤める――我々の母校でもある――クチナシ第一高等学校は、クチナシ駅から歩いて15分程度の場所にある。


 時計を見れば15時半を回ったところだった。

 なるほど、16時半にクチナシ駅で集合して、17時前には高校に着いておく算段のようだ。


「そうか、もうそんな時間か。……起こしてくれてありがとう。この電話が無ければ、寝坊するところだった」


 起こしてくれた礼を述べた。

 素直に出た言葉だった。


 自身の寝坊助具合など重々承知していながら、アラームをかけることをすっかり忘れていた。

 夕方から予定があるにも関わらず、だ。

 そんな落ち度を、さも当然のようにフォローしてくれている幼馴染には頭が上がらない。


 ヒカリはクスクスと笑っている。

 え? なに? なんか変なことしました私?

 

「ふふふ、そのすごい寝癖のまんま、アオヤギ先生に会うところだったね」


「え、そんなにひどい寝癖ついてる? だとしたらまずい。身嗜みにはうるさいからな、あの先生」


「ふふ、そうだね。……一旦電話切ろうか。ゆっくり準備してね」


「ああ、そうさせてもらおう。ありがとう、またな」


「またね、サトル」


 プツっという音に続けて、ツーツーとビジートーンが2回鳴り、通話アプリは自動で終了した。



 昨晩――というかもう今朝か。

 アサギふれあい広場での張込みは、結局、空が明るくなってきた朝4時頃にお開きとした。

 

 慰霊碑の隣の説明板の不審な点を、ヒカリとネコタニに共有した時点で午前1時頃だったので、それから約3時間程度は張り込んでいたことになる。


 俺が幽霊を見かけたときの位置、石畳の前の橙色の屋外灯のあたりから、慰霊碑に向かってハンディカムを向けて撮影を続けた。


 遅い時間だったので、ヒカリとネコタニには先に帰るように促したが、ネコタニは頑としてそれを拒否した。

 また撮りそこねたらどうするんですかって言われてしまうと、何も言い返せなかった。

 ヒカリだけでも先に、と一瞬思ったが、ヒカリが帰ってしまえばネコタニが一人になってしまい、なおのこと危ない気がした。それはヒカリも同じ考えだったようで、ヒカリも帰るつもりはなかった。


 仕方がないので、女二人でいるよりはと、ある男に連絡をして来てもらった。


 サイカワだ。


 配慮も礼儀もなってない、深夜1時のメッセージ。

 それでも彼は、すぐさま飛んできてくれた。柑橘系のような爽やかな雰囲気を纏わせて。


 送ったメッセージでも粗方説明はしていたが、来てくれたお礼を伝える際に改めて状況を話した。

 すると彼はほんの少し口角を上げて、

 ――そうか、やはり君は認められたか――

 と小さく呟いた。

 

 何か、幽霊に関して特別な事情を知っているようだったが、何を知っているかまでは教えてくれなかった。

 気にはなったが、せっかく来てくれたのに詰問のようなことをしても申し訳がないので、後で聞けば良いと思い、張込みに戻った。



 幽霊は、現れなかった。



――――――



 熱を帯びたフライパンに卵を落とす。

 自身の立ち位置を確認するように少し揺らめいた卵は、直ぐに固まって徐々に色を変えていった。


 ヒカリとの電話を終えたあと、洗面所に向かい、顔を洗った。


 灼熱の空気、温い水。

 ただそこにいるだけでじっとりと汗ばむ空間は、自分の家の中だと言うのに非常に不快だった。

 肝心の寝癖も、禄に鏡も見ずに水で濡らした手で頭をさっと撫でるくらいで直した気になって、そこを逃げ出した。

 


 久々の再開だからこそ身嗜みをしっかりと整えるべき、とも思ったが、あの灼熱のサウナのような空間に戻る気にはなれなかった。

 多少の寝癖くらいは大目に見てくれるだろう、という甘えがあることは自分で認識している。


 アオヤギ先生はかなりのお人好しだ。

 

 優しく、思慮深く、生徒の悩みに親身に寄り添う姿は誰から見ても良い教師像そのもので、まさしく誰からも好かれている先生だった。

 特別、誰かを贔屓するような人ではなかったが、身寄りのないヒカリと電脳空間に身体のない俺、クラスでも浮きがちな俺達のことは、特に気にかけてくれていたように思う。

 お陰でそこそこに充実した高校生活を送ることができたわけだが、未だにその優しさに甘えてしまっているのだから、あの優しさにはきっと中毒性がある。

 そんな下らないことを考えて、自身のふしだらさを合理化しながらひと息ついた瞬間、腹の虫が鳴った。


 アサギから帰ってきて、ぷっつりと切れそうな意識をかろうじて保ってシャワーを浴びて、その後倒れるように寝たので、日付が変わってから何も口にしていないことを思い出した。

 大して身支度に時間をかけなかったために、ヒカリとミレイが合流するであろう時間までかなりの余裕がある。


 簡単に何か作って食べよう。

 10分くらいでできそうなやつ。


 そう思って冷蔵庫を覗くと、卵が目に入った。

 飼っていた鶏からいつ回収したものだか覚えていない。


 これ、大丈夫かなぁ……腐ってないよな……?


 しかし、他にサッと調理して食べられそうなものもない。

 ベーコンは切らしている。ここ最近、手助けクラブの依頼が多くて、買いに行く暇がなかったからだ。


 ――まぁ、火を通せば大丈夫だろう。


 腹の虫がいよいよ待てないと急かしてきていたので、楽観的な考えのもと、いつのものかわからないその卵を取り出して、フライパンに中身を落としたのだった。



 黄身の色はおかしくはない。

 だからきっと腐ってはいないと思う。

 だが、色味だけで判断できるほど料理に詳しくはないので、いつもより多めの水をフライパンに入れて、良く蒸らすことにした。


 

 数分待ってフライパンの蓋を開けたら、想像していたよりも大量の蒸気が溢れ出た。

 真っ白い蒸気に遮られて肝心の目玉焼きが良く見えない。


 

 アオヤギ先生はあのパソコンをどうにか出来るだろうか。

 ミレイのお母さんの行方に関して、情報を秘めているかもしれないあのパソコンを。


 もし、出来なかったら――。

 いよいよもって、ミレイのお母さんを追うことは難しくなってしまうだろう。


 ――――これまでに得た、ノアボックスに対する疑惑だって整理できていない。



 何もかもが見えていない。


 暗中摸索。五里霧中。


 真っ白な蒸気は、今後の俺達の行く末までも隠し覆っているようで、少し食欲が落ちついた気がした。


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