04-11



「はぁ、やっと着いた」


 ため息も出る。

 実に酷い道だった。

 

 車のトランクルームから傘を取り出し、公園入口に戻った後は、その傘で足元を探りながら地道に遊歩道を進んだ。

 雑草が生えているだけだろうという当初の推測は甘く、入り口から三歩程度中に進んだところでその歩もうとしている道の現実を突きつけられた。


 最後に人がこの公園に足を踏み入れてから相当の時間が経っていたようで、その経年劣化の度合いは凄まじいものがあったのだ。

 アスファルトが雑草に持ち上げられて凸凹とめくれあがっているのは可愛い方で、ところどころ落とし穴のように大穴が口を開けている個所さえあった。

 ゴミやがらくたの類も至る所に散乱し、うっかり踏み抜けば足の甲まで貫通してしまいそうな古釘やガラスの破片もちらほらと顔を覗かせていたのだ。

 

 あまりの酷い有様にその先に進むことを諦めかけたのだが、ふと横を見たときに、ちょうど人ひとりが通れるくらいの獣道があることに気付けたのは非常に大きかった。

 どのような獣が通ったかは皆目見当もつかなかったが、少なくともその獣は普段から足を踏みしめながらその道を進んでいるのだろうと思われるから、落とし穴もなければ足を切りつけるような鋭利な遺物もないだろうと推測できたからだ。

 雑草が生い茂り、月明かりと手元の懐中電灯以外の光源が無い中、自分で足元の安全を確かめながら闇雲に進むのはあまりに無謀に思え、また非常に神経を使う行為であったから、少しでも安心できる材料があるルートは、たとえそれが得体のしれない生き物の通った道であったとしてもありがたかった。


 ……と言いつつ、肉食の畜生が出ないことを全力でお祈りして、びくびくしながら通ったけど。

 

 幸い、自身に危険を及ぼしかねない生き物には出会わず、足元にも何一つ怪我すること無く、無事に石畳の前、入り口から小さく見えた橙色の屋外灯の真下までやってこれた。

 たかだか数百メートルの勾配のない道なのに、30分以上かかってしまったが。

 ヒカリもネコタニもとうに着いて待っているだろうな。


 

 少し息を整えて…………ふぅ。

 

 よし、ヒカリにコールするか。


 ズボンのポケットに入れていた携帯端末を取り出し、発信先がヒカリであることを確認して発信ボタンを押した。

 呼出音が携帯端末から響くなか、呼出中の文字を表示し続ける画面をぼーっと見ていたが、なかなか出てくれない。

 

 ……なにかあったのか?


 ふと不安な気持ちがもたげたところで、呼出音とは別の音が石畳の向こう、慰霊碑の方から響いた。

 

 ……ザッ……ザッ……ザッ…………


 聞き間違えようのない音。

 それは電子的な呼び出し音とは全く毛色の異なる音だった。

 


 ――何の音だ。

  

 誰かがその足を進める音としか思えなかった。

 理性では理解していたが、本能ではそう思いたくなかった。

 だからこそ、出た言葉でもあった。


 こんなところに、いま、この時間に、俺以外の人間が居るとは思えない。他に考えられうるのは動物の類だが、聞こえてくる足音の調子は人間のそれとしか思えなかった。

 とすれば、この足音を鳴らす存在は……それこそ幽霊しか在りえない。……そんな馬鹿な。


 

 思考が止まる。それにつられて身体も動きを止める。

 携帯端末の呼出画面を見つめたまま、動けない。

 相変わらず通話は始まらない。


 無機質になり続ける呼出音は、この世界に自分一人しかいないような錯覚を覚えさせた。

 現状の物理空間上の人々の暮らしを見れば半ばそれは正しいのだが、その錯覚は今この瞬間の自分にとっては非常に残酷な宣告のように思えた。呼出音のループを繰り返す毎に、それは重苦しく心を押し潰さんとのしかかってくる。


 

 

 ……ザッ……ザッ……



 また、その音がした。

 携帯端末はまだ呼出中という文字を表示しているだけだ。


 いよいよ耐えきれなかった。

 このままじっとしていればやり過ごせるかもしれない。

 だが、その音の正体を掴めないままじっとしているのもまた耐え難い恐怖で、反射的に音の鳴る方向に顔を向けた。


 現在地から十メートル程度奥、石畳の上、目的地たる慰霊碑の目の前にそれは居た。



 女だった。


 ぼうっと淡く、青白く光る白いワンピース。

 射干玉の黒髪ですら周囲の暗闇から際立って見える。

 

 それは慰霊碑の前を右手から左手に向かって、一歩一歩、ゆっくりと歩いていた。

 

 正体を確かめるために見たはずなのに、目に入った光景は却って混乱を招いていた。

 文字通り、言葉を失った。喉からはヒューヒューという呼吸音だけが鳴っている。



 ……ザッ……ザッ……



 その女は、一歩、また一歩とその足を進めている。

 俯きがちに小さな一歩を繰り返している。



 淡々と進むその歩みから目を離せないでいた。


 どこまで行くのかとふと疑問が湧いたとき、それは起こった。


 女が歩みを止めたのだ。

 そして、ゆっくりとこちらに振り向こうとしている。


 一瞬で背筋に冷たいものが走る。

 とたんに心臓が鼓動を速める。

 

 気付かれた? なぜ?

 逃げた方がいいか?

 だめだ、目が離せない。

 足が石のようだ。動かせない。



 女の顔がこちらを向いた。

 


 「…………ミ……レイ?」


 その顔は、かつての依頼者によく似ていた。


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