04-10



 車を降りると、蛙の大合唱が迎えてくれた。

 大迫力のサラウンド、自分の声さえかき消されそうな程の声量なのに、不思議と煩いとは感じなかった。



 夜の帳はとうに落ちて、深々と眠る草木を月明かりが柔らかく照らしている。

 殺されかねないとすら思った気温は幾分か下がって、なんとか外での活動を許すほどにまでになったが、湿度は相変わらず高く、じっとりと身体が汗ばんでいく感覚を覚えた。

 

 ここは、アサギふれあい広場入口のすぐ隣の東側駐車場。時刻は22時40分。約束の集合時間の5分前だ。


 自転車で来ることも考えたが、深夜の遠出であることと、夜通しの張り込みの可能性を視野に入れて、車中泊が可能なようになけなしのガソリンを消費して車を出してきた。


 しかしその選択は正解で、というのも、ここに来るまでの道のりは荒れに荒れ、とても自転車では来れそうになかったからだ。それこそ迂回を重ねて、集合時間を守ることは絶望的であっただろう。


 助手席側に回り込んで、ドアを開ける。

 シートの上に置いてあったハンディカムと予備のバッテリー、充電ケーブルをカーキ色のナップザックに放り込み、ガチャガチャと音が鳴るのを厭わずに背負うと、グローブボックスから懐中電灯を取り出して車を後にした。


 車を停めた位置は駐車場の中でも最も入口に近い距離なので、最短距離で真っ直ぐ歩けば一分もかからない。が、永らく来客のなかった駐車場は踏み固める人がいなかったために、腰の高さまでに丈を伸ばした雑草にまみれていて、それらを避けながら歩くのはなかなかに骨だった。


 微かに息を切らしながらようやく公園の入口についたとき、ちょうど約束の時刻になったようで、ヒカリからのコールで携帯端末が鳴いた。


「応答を許可」


「あ、もしもし、サトル? 着いた?」


「あぁ、ちょうどな」


「さすが! 遅刻しなかったんですね! ハンディカムはちゃんと持ってきましたか?」


「あぁ、ネコタニか。ちゃんと持ってきているよ。……しかし、なんというか……こっちの公園は、もはや公園と言って良いか怪しいほど自然に溢れているぞ」


 入口の正面に立ち、右手に持った懐中電灯で前方を照らしながら、携帯端末のカメラを向けた。


 入口から真っ直ぐ西に向かって、幅4mはあろうかと思しき遊歩道が伸びていて、その両隣には見渡す限りの草原が広がっている。

 ……遊歩道とは言ってはみたが、先の駐車場同様に地面から雑草が顔を出しては思い思いに背を伸ばしていて、アスファルトだったと思われる濃い黒色の物体が草の隙間から運良く見えたから遊歩道であると推測できたにすぎなかった。


 目の前の草から視線を上に滑らすと、遊歩道が暫く先、数百メートル程先まで続いているのが幽かに見える。薄暗い月明かりの中でそれが見えたのは、遊歩道に沿って真っ直ぐ前方を見据た遥か先に、橙色に輝く屋外灯が小さく見え、その真下あたりで草の道が途切れていたからだ。

 草の道が途切れているあたりから奥に向かって、小上がりのような膝丈ぐらいの段差がある。また、拡散した屋外灯の橙色の光によって、その段差の両端に雑木林が広がっているのが、ぼんやりと見えた。

 ……あそこが慰霊碑前の石畳のエリアなのだろう。

 入口からまっすぐ慰霊碑に向かって道が伸びる様は、さながら神社の参道を思わせた。


 なぜ人の来ることが見込めないこの公園で未だに屋外灯が生きて残っているのか不思議ではあったが、月明かりと手元の懐中電灯を除けば全く光源の望めない現状においては、その存在がありがたく感じたので深くは考えないことにした。

 

「……幽霊よりもよっぽど熊に遭遇しないかの方が心配でならないんだが……」


「うわぁ……これは……。電脳空間と物理空間の乖離が進んでいるとよく聞いてはいましたが、これほどまでとは……。人が居なくなるとこうも変わってしまうのですね」


 ネコタニは文字通り目を丸くしている。

 自身の目の前に広がる光景と、携帯端末の画面越しに見た物理空間上の光景との間の差が想像よりも大きかったようだ。

 そして、キョロキョロと一瞬周りを見渡したあと少しだけふらふらと歩いたかと思ったら、ある位置でその歩みを止め、カメラで撮る仕草を見せた。


 どうやら、物理空間上で俺が映しているのと同じ画角から、電脳空間上の光景を見せようとしてくれているようだ。

 ヒカリもその意図に気付いたのか、携帯端末上の画面が数秒揺れ、ネコタニの顔を一瞬映したあとで画面が切り替わった。ネコタニのもとに歩いたあと内カメラから外カメラに切り替えたのだと思われる。


 携帯端末に移された光景は……同じ場所か疑ってしまうほど美しく整備された公園だった。

 遊歩道にはただの一本も雑草は見えず、ひび割れひとつない綺麗に均されたアスファルトが真っ直ぐと伸びている。その左側には、黒色道に沿うように十数メートルに一本ずつ眩い白色を放つ屋外灯が設置されていて、深夜の郊外の公園とは思えない明るさであった。遊歩道の両脇の芝生は整然と刈り揃えられていて、人の手によって甲斐甲斐しく管理されていることが見て取れる。


 遊歩道の遥か先には、物理空間と同様に橙色の屋外灯が一本と、小上がりのような段差が見えた。両隣に雑木林が生い茂っている点も、物理空間と同じ。唯一異なる点は段差から先にも橙色の屋外灯が何本か設置してあることくらいだ。

 

 画面上から見える範囲では――今述べた屋外灯の有無であるとか整備の程度の差はあるが――道路の位置等といった公園の造りそのものは物理空間と電脳空間とで大きな差がないことが見て取れた。ボックスに物理空間をコピーしたときのまま、大規模な工事などは行われていないようだ。


「そっちはすげーキレイに整備されてるな……。繁華街とまではいかないけど普通に明るいじゃないか」


「そうだね、女の子二人で深夜に歩くの心配だったけど……これだけ明るければあんまり怖くないかな」


「それは何よりだ。……悪いがちょっと先に行っててくれるか? 雑草をかき分けながら進まなきゃならないから、時間がかかりそうだ」


「幽霊が出る公園で女子2人に先に行かせるなんて! ……冗談ですよ。ゆっくりでいいので怪我しないように気をつけて来てください。まずは慰霊碑の前の石畳の前で待ち合わせしましょうか」


「そうだね。サトル、一旦通話切ろうか? 転んだりしたときに両手が空いていたほうがいいよね?」


 ありがたい提案だった。

 もちろん通話を繋げたままでも心理的な心強さの観点でありがたかっただろうと思うが、この足元の見えない道を前にした気分としては、両手を空けて自身の安全に100%の意識を集中することができる状況の方が好ましかった。


「……お気遣いありがとう。じゃあありがたくお言葉に甘えさせてもらおうかな。石畳の前についたらコールするよ」


「はーい! じゃあ、気をつけて。何かあったらすぐ電話してね」


「いいですか、怪我はだめですよ。あとカメラも壊さないように。ではまた」


 ――プツッ。プーップーップーッ。

 携帯端末の画面が消え、続けて鳴るビジートーンが通話の切れたことを知らせている。


 さて、一回車に戻って傘かなにか持ってくるか。

 転ぶといけないから、杖代わりにでも。


 通話アプリを終了させると、いよいよ自分の周りで発する音は無くなって、意識の外にあった蛙の合唱が戻ってきた。



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