03-13



「あ、もしもし? 電話ありがとう。忙しかったらごめんね」


 電話口で聞こえた声は思っていたより元気だった。

 珍しく事前に電話できるかと尋ねてきたから、何か良くないことでも起きたかと心配していた分、何だか拍子抜けしてしまった。


「あぁ、全然大丈夫。寝落ちしていたくらいには時間に余裕がある、と言ってももう10時半か。……珍しいじゃないか。電話していいか尋ねてくるなんて」


 話しながら時計を見て、予想以上に遅い時間になっていることに気付いた。起きてから結構長い時間考え込んでしまっていたらしい。


「もしかして起こしちゃった? ごめんね。……ふと、ミレイちゃんはあの後何かわかったかなぁとか色々考えてたら……なんだか声、聞きたくなって」


 少しずつ尻すぼみしていく声。

 通話に出た直後の元気な声はから元気だったのかもしれない。


 ミレイのことは確かに気になっている。

 シノノメに出かけた日以降、ミレイからの連絡はなく、ミレイが彼女の家族とシノノメに関して何かしらの会話ができたかどうかもわかっていない。


「俺の方にも連絡は来ていない。……メッセージか電話で少し様子でも聞いてみるか?」


「……そうだね。明日、電話してみよう。今日はもう遅いから」


「……あぁ」


「…………」


「…………」


 話すことなんていくつもあるはずなのに。

何を話すべきかわからない。

 妙な沈黙が続く。


 口火を切ったのはヒカリだった。


「サイカワ君の探してた歌の歌詞、私も見せてもらったけど、なんか変だったよね」


 さすが幼馴染み。考えることは一緒か。

 ……シノノメの光景を見た後、あの歌詞を見れば誰だって同じような勘ぐりをしてしまうかもしれないけど。


「あぁ、俺もちょうど同じことを考えていた。あの歌の作者たるゴメンマチノブコは本も出しててな、それを借りて読んでたんだが……ゴメンマチノブコは電脳空間『ボックス』に深い関わりを持ってたんじゃないかって推測してるんだ」


「へぇ、そうなんだ。どんなことが書いてあったの?」


 俺は掻い摘んであの本に書いてあったことを話した。

 ノアの方舟になぞらえたアイデアであること。どうやらゴメンマチノブコがこのアイデアの第一人者であること。そのアイデアと実際に実現された「ボックス」の運用形態に差異があること。


 ヒカリはうんうんと相槌を打ちながら聞いていた。

 一文字に結んだその口を開いたのは、俺がひとしきり話し切った後だった。

 


「……それを聞くとサトルの言う通り、ゴメンマチさんは『ボックス』に深く関わっていそうな印象を受けるね。……あの歌の歌詞の捉え方も……なんだか違った側面がありそう」


 ヒカリは敢えて濁した言い方をしているように感じた。

 だが、きっとわかっているだろう。声のトーンに暗さを帯びている。


「……そう、だな。シノノメの物理空間と電脳空間との間の差のことも、あの歌詞と妙に符合するような感じがして……」


 応えながら、あの歌詞が頭に浮かぶ。


 いみきらわれたあるおには

 きんぎんざいほうごちそうそろえ

 つくったこうえんまねきいれ

 むらびとそこにとじこめる


 いみきらわれたあるおには

 からっぽなったむらにすむ

 じゃまものいないそのとちで

 ぜいのかぎりをつくすおに



 あくまで推測にすぎない。なんの確証もない。

 妄想である可能性の方が高いくらい、証拠は足りていない。

 しかしながら、シノノメを見た時に感じたものと同様の気味悪さをあの歌詞から感じているのも事実だった。

 それをどう表現して良いかわからず、端末の画面から目を逸らした。


 そのときだった。

 ヒカリは、どこまでもまっすぐだ。そして、強かった。


「……たとえ、閉じ込められているんだとしても、サトルはこの世界ごと、私のこと守ってくれるんだもんね!」


 底抜けに明るい声だった。

 


 それは10年前の約束。

 肉親を亡くし、唯一の幼馴染と住む世界が変わってしまって泣きじゃくる女の子に、当事10歳の少年が言った強がり。

 自分自身も泣きたい気持ちを押し殺すように、鼓舞するように発した宣誓。



 ――俺も親父とおんなじ、そっちの世界を守る仕事に就くよ! そしてそっちの世界ごと、ヒカリのことを守るから! そうすればずっと一緒だ! 住む世界が違っても、ずっと一緒だよ――



「……ちょっと恥ずかしいからやめてくれません? …………いや、気持ちに変わりはないんだけどさ」


 顔が熱くなるのを感じる。

 いや、ほら、まだあのとき若かったし? いや、今も若いだろと言われればそうなんですけどね。だから、ほら、その……ね。


「えへへ。……もう一回くらい聞いてみたかったりもするんだけどなぁ〜」


 ヒカリはにやにやといたずらな笑みを浮かべている。

 ……それだけは勘弁してほしい。


「ほっ、ほら! もう結構遅い時間だぞ、明日も講義あるだろう。そろそろ寝ようぜ」


 自分でも誤魔化しかたにセンスがないと感じたが、なりふり構っていられなかった。

 ヒカリはぷっくりと頬を膨らまし、不満気だ。

 けどすぐにその表情は緩み、見慣れた、いつもの朗らかな笑顔に戻った。

 この電話の始めに感じた声の暗さはもう感じない。

 それに安堵感を覚えた。


「えー! ……けどまぁ、しょうがないか。誤魔化されてあげよう、明日もそこそこに朝早いのは事実だし。じゃあ、寝るよ! 電話ありがとう。おやすみ、サトル」


「あぁ、おやすみ」



 電話の切れた部屋。

 窓越しに聞こえる蛙の合唱は、少し寂しさを覚える音量だった。

 

 ……歯磨いて寝るか。

 長電話で少しばかり熱を持った携帯端末をベッドサイドに置いて、立ち上がった。



 ピロン!


 

 新規メッセージの通知音。


 ヒカリか? 

 何か言い忘れたことでもあったのだろうか。

 そう思って携帯端末の画面に目を落としたが、見えた通知はその予想を裏切るものだった。



 発信者は見知らぬ番号。

 題名のないそのメッセージは、ただの1行。


 ――――――――

 警告: 深入不要。

 ――――――――


 ただの迷惑メッセージ。普通に考えればそうとしか思えないはずなのに、なぜだか妙な危機感と焦燥感を覚え、その場でしばらく立ち尽くした。

 


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