03-12
ピロン!
耳元で電子音が鳴った。目を開けると見慣れた天井。自分の家だ。どうやらベッドの上で寝てしまっていたらしい。
とすると、いま見ていたのは……夢……? それにしては妙にリアルだったな……。
つい今の今まで見ていた光景を頭の中で反芻しながら、首を右に傾けると、音の発信源である携帯端末を見つけた。右手で取りその画面を見ると、ヒカリからメッセージの通知画面が移っていた。
電話できるかな?
……なんだ? いつもこちらの都合お構いなしでかけてくるくせに。
普段であれば反射的に発信するが、いつもとは様子の異なる珍しいメッセージを目にして、何かあったのかと勘ぐってしまい、発信ボタンに伸びた親指は寸でのところで止まった。
水を飲んでからにしよう。
覚悟……というには大げさだが、発信する前に少し間を取りたくなった。
冷蔵庫に向かおうとベットから起き上がると、足元でどさりと何かが落ちる音がした。
本だった。ワカクサの図書館で借りた本。
そういえばさっきまで読んでたな。読んでいて……寝る前に何をどうしたか記憶がない。……ふむ、つまり読みながら寝落ちしたということだ。
ノアの方舟構想とその展望。
借りた本のタイトルだ。
サイカワの彼女が唯一気にかけた童謡の作者たるゴメンマチ ノブコの著書である。
タイトルだけを見たときは一体何のことを書いているのか想像がつかなかったが、中身を読んだ後から見れば実にわかりやすいタイトルだと思った。ド直球だ。
つまり、現在の「ボックス」へとつながったであろうと推測される、人類の逃避行の基本構想について述べられている。
地球環境の悪化を――人類が自分自身で招いた種ではあるのだが――古代神話における大洪水になぞらえ、種の存続のために方舟に乗り込んでやり過ごす、という構想。
方舟を何によって実現するかは、宇宙への移住など、種々の案を挙げてそのメリット・デメリット、実現可能性などが論じられているが、やはりその役目は電脳空間が担うことが最も妥当だと結論付けられていた。
この著書の中では「電脳空間への移住は、本著書以外でほとんど論じられておらず、初めてその可能性を示した」と書かれている。その真意は不明だが、もしこれが本当だとすれば、この本が「電脳空間への移住」というアイデアを世に知らしめた最初の媒体であって、ゴメンマチ ノブコはその第一人者であるということを意味する。
ただ、これはあくまで推測の域を出ない。というのは――記載されている発行日と実際の発売日が同じ日付であったと仮定すると――この本が世に出たのは「ボックス」のリリースよりも後の2123年の8月2日であるからだ。「ボックス」のリリースは2123年の8月1日なので、一日だけ遅い。
自身の著書の箔をつけるために、話を盛ったのだろうか? ……そんなことしたらものすごく炎上しそうであることは、それこそ火を見るより明らかだと思うけど……。
……というか、世にリリースされた日の違いなんかは大したことではないか。あくまでリリース日はリリース日。水面下で「電脳空間への移住」を真剣に考えていたのがゴメンマチ ノブコだけであったかどうかはリリース日だけではわからない。その時期のその界隈の論文とか特許なんかを漁ってみないと何とも言えないか。
もしくは、ゴメンマチ ノブコが持っていた「電脳空間への移住」というアイデアを業務提携などの格好でノアボックスと共有していて、水面下で一緒に「ボックス」を開発していたのかもしれない。だとすれば、実際のアプリケーションのリリース日と、アイデアの発案者の著書の発売日の調整が上手くいってないように見えるのが少しお粗末だけど。
あと気になるのは……ゴメンマチ ノブコは、あくまで方舟に乗ってやりすごすと表現していたという点か。
つまり、ある程度地球環境が改善したら、物理空間に戻ってくることを前提としている。人の意思・記憶だけを電脳空間に移住させ、肉体は冷凍保存する、という構想が述べられていた。
一方で、現在の電脳空間「ボックス」への道のりは片道切符。一度行けば戻ってくることはできない。肉体は徐々に機械に置き換わりながら意思・記憶が電脳化されていき、最終的に空っぽになった肉体は捨てられる。電脳空間に一度移住してしまえば二度と物理空間には戻れない。
この運用形態の差は何によるものだろう。
まぁ、普通に考えれば技術的な実現の難しさとか、費用対効果といった大人の事情が色々混じった結果なのだろうと思うが、この相違点について考えるときは必ずあの童謡の歌詞が頭に思い浮かぶ。
あわれなおにのゆくすえは。
――
いみきらわれたあるおには
きんぎんざいほうごちそうそろえ
つくったこうえんまねきいれ
むらびとそこにとじこめる
――
ゴメンマチ ノブコが行方不明になる前に発表した童謡の歌詞。
この童謡が発表されたのは先の著書「ノアの方舟構想とその展望」が発行されたあと。電脳空間「ボックス」がリリースされてしばらく経ってからでもある。つまり、電脳空間「ボックス」がある程度運用され、肉体を捨てなければならないという運用形態が明るみになった後に発表されているということだ。そのころには確実にゴメンマチ ノブコも、自身が掲げた構想と「ボックス」の運用形態が異なることを認知しているだろう。
穿った見方が過ぎるのかもしれないけれど――この歌詞、「ボックス」の運用形態を揶揄しているとしか思えないんだよなぁ……。
そして、その童謡の次のフレーズは、先日直面したある光景と符合する……気がする。
――
いみきらわれたあるおには
からっぽなったむらにすむ
じゃまものいないそのとちで
ぜいのかぎりをつくすおに
――
住むものが居なくなった物理空間のシノノメに、いつの間にか建てられていたあの不気味な工場。
……あれが、おにのつくす、ぜいのかぎりなのだろうか。
冷蔵庫から出した水は起き抜けの身体には冷たすぎたのか、飲んだ直後、少しばかりの寒気が走った。
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