03-07



 入り口の扉を潜ってまず感じたのは埃っぽさだった。次点で黴臭さ。むっとした空気感に思わず押し戻されそうになった。初めて感じる陰鬱とした圧に尻込みしつつも、負け時と足を進めた。

 入り口のある一階はエントランスといくつかの会議室がある空間のようで、本が置かれているのは二階のようだ。前方の吹き抜けのようになった天井の真下、自身が動けることをすっかり忘れてしまったであろうエスカレータを上っていく。高い位置にある窓からは少しばかりの熱を持った光が差し、飄々と漂う埃を映し出していた。


 二階に上がると遥か過去には自動で開いたであろう扉が目の前に現れた。全面ガラス張りで、その向こうには受付と思しきカウンターが見える。人の気配は全くない。

 両開きの扉の隙間に指を押し入れて、人ひとりが通れるだけのスペースをそっと開けた。中に入ってすぐ目の前に現れたカウンターを横にかわし、その奥に進むと数えきれない本棚が出迎えてくれた。

 どこを見渡しても本、本、本。

 初めて見る物量に圧倒され、そしてこの中で探し物をしなければいけないということを思い出し、絶望感が滲み出してくる。


 本当に今日中に見つけられるのか……?

 検索システムは……うわ、やっぱり死んでるよ。もう詰んでるんじゃないの? 

 図書館なんて来たことないから検索システムが生きてないならどうやって目的の本を探せばよいかわからないぞ……ぱっと見た感じ、単純に作者名とか、タイトル名の五十音で並んでいるわけではないようだ。

 もうどこを探せば見つかるか見当もつかない。

 あてずっぽうに行ってもきっと見つかる可能性は低いだろうなぁ……あぁ、もうあれしかない。あれだけはしたくなかったけどしょうがない。

 

 本棚一段ずつ地道に見ていくしかない。――――よっしゃ行くぞ!


 自らを奮い立たせ、一番手前にあった本棚の前に身体を滑り込ます。

 本棚の高さはそれほど高くなく、一番高い位置に並んでいる本でも自分の目線の高さ。助かる。これが手の届かない一にまで陳列されていたらと思うと頭が痛い。いや、いまも頭の痛い状況なんだけど。

 ……はぁ、頑張ってみていこう。



――――――



 本棚を一つずつ見ていくことに決めてかれこれ一時間。

 未だに目的の情報は見つかっていない。

 ゴメンマチゴメンマチゴメンマチ……

 オニオニオニオニ…………

 これらの単語をぶつぶつ唱えながらカニ歩きで本棚を見続けている。傍から見たら相当おかしい人間だろう。けどこれしか方法を知らないのだから仕方ない。なりふり構っていられない。こんな姿を見られる可能性はまずゼロだから、自身がどう見られるかなんて気にする必要が無いけれど。


 牛歩のごとくカニ歩きを進めていると携帯端末が鳴った。

 自身の足音しか響いていなかった空間に突然響いた電子音。あまりの驚きに図書館の中にいることも忘れて思わず出てしまった。


「応答を許可」


「あ、突然済まない。僕だよ。サイカワだ」


 携帯端末から聞こえてきた声はサイカワのものだった。サイカワに自分の番号を教えた覚えはない。おそらくヒカリが教えたのだろう。

 電話に出たところで自分が図書館の中にいることを思い出したが、他に人もいないので、少し罪悪感も覚えつつも小声で会話を続行することにした。


「あぁ、サイカワか。どうした? 楽譜見つかったのか?」


「残念ながらまだ見つかってない。一時間ばかり探したところで、思いのほか疲れたのでヒカリくんと相談して、少し休憩することにしたのさ」


「なるほど、たしかに俺も気が滅入りそうになっているところだった。俺も休憩にするか。ヒカリは?」


「ヒカリくんは自販機コーナーで休んでいるよ。……ぼくは喫煙所に来たのさ」


「なるほど。というかお前、煙草吸うんだな」


「身体に悪いし、文字通り煙たがられているのはわかっているが、なかなか美味いものなのさ。」


「そんなもんなのか。……個人の嗜好だし、俺がとやかく言うことじゃないが、吸いすぎには気をつけろよ、将来の健康に響くぞ」


「忠告ありがとう。それも理解していて、気を付けているつもりなんだけど……コード書いたりしているときは特に美味しく感じてね、つい進んでしまうんだ」


「……どんなコードを書いているんだ? プログラミングサークルと聞いて、どんなものを作っているのか気になっていたんだが」


 純粋な興味で聞いた。だがサイカワはこれまでの流暢な口調から急に押し黙ってしまった。

 あれ? 俺なんかまずいこと聞いた?


「……ウイルスさ。コンピュータウイルス。誰にも言わないでくれよ」


 予想の斜め上を行く回答だった。思わず閉口しかけるが、なんとか会話を繋ぐ。


「……なんでそんなもの作ってるんだよ」


「……純粋に好きなんだよ。結構工夫が要るものなんだ。いかに気付かれずに侵入し、その目的を達成させるかって考えるのが楽しくて好きなんだ。おっと、勘違いしないでくれ、作って自分のパソコンに自分で感染させてその挙動を楽しむだけで、他人に危害を加えたことは一度もないんだ」


 当たり前だそんなの。

 最初はこいつの彼女を――失礼ながら――変わった人間だと思ったが、存外こいつの方が変わった人間かもしれない。むしろ危ない域まで達しているとすら思う。

 ……頼むから俺の仕事に影響を及ぼすような流出は起こさないでほしい。


「そうか。他人に危害を加えていないなら、誰もお前を咎められないし俺も何も言うつもりはないけれど……扱いには十分に気をつけろよ。……あ、だからか、お前しかサークルにメンバーが居なかったのは」


「あぁ、もちろんそれは最大限気を付けているよ。ネットワークから切り離したPCでしかこの趣味はやってないからね。サークルメンバーについてはご明察のとおりさ。僕の趣味を聞くと皆逃げて行ってしまってね」


 そういってサイカワは少しだけ寂しそうな顔を覗かせた。


「……でも、彼女はサークルに入ってくれたんだろう。大事にしろよ」


「……あぁ、ありがとう」


 サイカワはふっと白い煙を吐いて礼を述べた。

 その後、一拍おいて、何かを思い出したかのように話しだした。

 

「……そう、思い出した。もしかしたら、きみ、図書館の本の並び方を知らずにがむしゃらに探していたりしないよなと思って……まさかと思いつつ気になって電話したんだよ」


「……この本の並びにルールがあるのか?」


「きみ、この一時間何をどうやって探していたんだい?」


「本棚ひとつひとつ順番に虱潰しにだな……というか、そういうの知っていたなら早く教えてくれよ……」


「まさか知らないとは思わなかったんだよ……けど、きみ、案外根性あるんだね、嫌いじゃないよそういうところ」


「……うるせぇよ。さっさと教えろ。」


 画面越しにその煙は届くはずはないのに、なんだか目に染みて涙が出てきた。

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