03-06



 じりじりと焦がれるような暑さが背中を襲う。

 フライパンの上で焼かれるベーコンもいつもこんな気分なのだろうか。だとしたら些か申し訳ない気がしなくもないが、食いたいのだから仕方がない。許してくれ。

 ……そんなくだらないことを考えないとやってられない状況に俺はいまいる。


 昼過ぎ、13時。

 一日の中で最も暑さが過酷になろうとする時間帯に、自転車を漕いでいるのだ。


 理由は隣町のワカクサに行くため。

 車で行くことも考えたが、この前シノノメに行くのに結構ガソリンを使ってしまったから、車でなければ行くことのできないところ以外は節約していきたいという思いが頭をよぎった。自転車で30分くらいだろう、それくらいであればわざわざ車を出すまでもない。そう思って倉庫の奥から、所謂ママチャリを引っ張り出した。


 だが、いざ漕ぎだして、自ら体験してみるとわかる。

 聞いて極楽見て地獄。

 ……いやこれは少し違うか? 百聞は一見に如かず? これも少し違うな。

 とにかく。いざやってみてわかった。いや、少し冷静に考えればわかることでもあった。

 この炎天下の中、30分も自転車を漕ぎ続けるのは体力的な負荷が高すぎる。

 家を出てから5分も経っていないのに、すでにシャツはびしょぬれ、息も上がってきてしまっている始末だ。

 道の舗装がまだきれいに保たれていて身体に伝わる振動が少ないこと、農道のように開けた土地に伸びる道路ゆえに、時々身体に吹き付ける風が穏やかで涼しいことが救いだ。

 アスファルトからの照り返しがつらくもあるのだけど。


 まっすぐ伸びる濃い灰色の一本筋のその向こう、灰と青の境界に蜃気楼を見ながらも、頭の中を流るるはある一つの童謡。



 いみきらわれたあるおには

 きんぎんざいほうごちそうそろえ

 むらびとまねいておもてなし

 なかなおりしてまつりごと



 ――あわれなおにのゆくすえ。

 依頼人サイカワの彼女が、服装にも食にも無頓着な彼女が唯一気に留めた童謡。


 なぜこれなんだろう。

 鬼が登場するからか? いやでも鬼が登場する童謡ならほかにもあるしな……ほら、鬼のパンツとか。童謡において、決して珍しい登場キャラ、というかテーマというわけではない。

 メロディーだって、音楽に詳しいわけではないけれど、他の童謡と比較して特別突飛なことをしているような曲調には感じない。

 つまり、このいたって普通の童謡になぜサイカワの彼女が気を取られたのか、その理由が見いだせないのだ。


 ……けど、好きだから、が理由だとすればもうそれ以上はないか。

 好きに理由なんかいらない。好きという気持ちに後から理由をつけることはできるかもしれないけれど、その理由を掘り下げたその先は、結局気に入ったか気に入らないか、生理的な欲求の部分が大きい気がする。何事も。

 だとしたら、本人のその好きの気持ちに、本人がその理由を語りたがらないのに、他所から無理やり理由を見出すのは何か違う気がする。やめておこう。


 そんなことをぼーっとする頭で考えながら自転車を漕いでいたら、ワカクサの街並みが見えてきた。暑さを忘れるには良い考え事だったな。もう3分も漕げば図書館に着くだろう。古ぼけた茶色の外見がすでに見えている。

 

 ワカクサはかつて、俺が住む町クチナシよりも栄えた町であったそうだ。人口が1.5倍程あったらしい。そもそもの人口の絶対数は決して多くはないから、どんぐりの背比べと言われればそうなんだけど。

 閑静なベットタウンの側面が強かったワカクサは、特別娯楽性の強い施設が建てられていなかったためか、人類の電脳空間への移住が始まるとどんどんと寂れて行ってしまった。それこそ市の中心にある図書館くらいだ、戸建てとスーパーマーケット以外は。

 だからワカクサまで着くことができれば図書館までの道には迷わない。一番大きい建物が図書館だから。一番大きい建物に向かって自転車を転がせばよい。

 

 主を失いその形状を保てなくなった戸建てを横目に、それらが連なる細道を風を切って進むと、周囲の大多数の建物とは不釣り合いなほど大きな建物が目の前に現れた。今日の目的地だ。

 いざ目の前にするとめちゃくちゃ大きいなぁ……

 え? 今日これからこの中で楽譜探さなきゃいけないの? 帰れなくない?


 少しばかり絶望感を覚えながら、駐輪場に自転車を止める。

 他にもいくつか自転車が置かれていたが、いつから置かれていたかは想像がつかないほど、駐輪場の雨よけと同様に赤錆にまみれ、触れたら崩れてしまいそうですらあった。


 自転車に鍵をかけ、図書館の入り口に向かっているところで、携帯端末が音を鳴らした。


「応答を許可」


「もしもし、サトル? こっちはこのあたりで一番大きな図書館に着いたけど、サトルはどう? ワカクサ着いた?」


 発信の主はヒカリだった。ヒカリとサイカワは目的地に着いて、これから楽譜探しをするところのようだ。


「あぁ、俺もワカクサの図書館に着いた。入り口に向かっているところ。これから探すけど、どうする? いったん通話切って、後で進捗報告するか? こっちの図書館はもう人なんていないから通話しっぱなしでも誰にも迷惑はかからないが、そっちはそうもいかないだろう?」


「……そうだね、さすがに図書館の中で電話はできないかな。よし、じゃあ二時間後に電話しよう!」


「わかった。じゃあ、検討を祈る。何かあったらすぐに電話してくれ」


「はーい。じゃあね、気を付けてねサトル」


「おう」


 短く返し、通話を切った。

 二時間か。それまでに見つかると良いなぁ。けどこの規模の図書館だし、何より検索するための端末が間違いなく死んでいるのがツラいな。まさに手探りで探すしかないかもしれない。

 しかし、ここまで来たんだ。やるしかない。

 覚悟を決めて、軋む扉を潜った。



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