第25話 暴かれた真相

 図書室の前には一人の女子生徒がいた。立ち入り禁止の札はついたままだ。

「どうかしたの?」

 真倉は息を整えながら尋ねた。


「中から話し声が聞こえるんです。でも鍵がかかってるのか、扉が開かなくて」

そう女子生徒が言うので、真倉は入り口の扉にそっと耳を当てた。紀見崎の声が聞こえてくる。


「つまり、最後の『6』をそのまま読むとこうなる。『カモン ライブラリー バイ ファイブ アイアム シノギ』となり『十七時までに図書室に来い 俺は篠儀だ』という意味になる」


どうやら紀見崎も暗号が周期表を使って書かれたことに気がついたらしい。

「あの、先生。誰か呼んできたほうがいいですか?」

「そうね、職員室に行って、図書室の鍵を取ってきてくれる?」

「わたし、行ってきます」


 そう言って女子生徒は早足でその場を立ち去った。この場にい続けるのが精神的にきつかったのかもしれないと真倉は感じた。


 中からの声は続いている。耳を扉に当てなくとも廊下までその声は聞こえてきた。


「なあ、楽しいか?」


 だがその声は篠儀のものではなかった。

「別に。楽しくて謎を解いたわけじゃない。あいつがこんな暗号を作ったのなら何かわけがあるんだろうと思って来ただけさ。そうしたらあんたがいた。この暗号は篠儀の名を騙ってあんたが出したものだったんだな、樋口さん」


 ああ、そうだこの声。

 図書委員の樋口京介だ。


「そうさ。君には特別な才能があると思ったからね。それがどれほどのものか試してみたくなったのさ。そうしたらびっくり。あれよあれよと謎を解いてちゃんと十七時までに図書室に来やがった。立ち入り禁止の札も無視してな」

「あれは厄介払いの札だったってわけね」

 紀見崎のため息まで聞こえてくる。


「そうだよ。昨日はじめて君を見てから、俺は君への興味が抑えられなくなった。すぐに君の親友の篠儀君に君のことを根掘り葉掘り聞いたよ。そうしたら……ぷくく。ああ、おかしい。君みたいな特別な人間を僕は探していたんだよ!」

 表情はまるでわからないが、樋口は何かに飲みこまれたように、高笑いをあげているように真倉には思えた。


「特別な人間を探してた? どういう意味だ」

「君に出会えたんだ。やっぱり僕は運が良いんだ」

「答えろ、特別な人間とはどういう意味だ?」


 紀見崎は明らかに苛立っている。声がうわずり、何かに怯えているようだ。


「わかってるくせに。白々しいな。そういうところもむかつくんだよなあ」

「別に俺は、特別な人間じゃない。あんたが求めているような人間じゃ——」


 その瞬間、ドンと大きな音が中から聞こえてきた。樋口が何かを叩きつけたようだ。



「篠儀君が親切にも教えてくれたよ。君が、秋峰政紀の息子だってね」



 樋口そう言って高らかに笑い声をあげた。

 紀見崎くんが、秋峰政紀の息子?


「ファンの間じゃ有名だよな。秋峰政紀は芸名で本名はもっと女の子みたいだって話。考えたんだ、俺も。君みたいに。名探偵みたいに。そしたらわかったよ。あれはアナグラムだ。『あきみねまさき』を入れ替えると『きみさきあまね』になる。単純な暗号さ。紀見崎天音。それが君の父親、秋峰政紀の本名なんだろ? 本名非公開だから息子の君に確かめるしかないんだ。なあ、教えてくれよ、息子くん」


 紀見崎は無言だ。

というより気配がしなくなった。まるで樋口が一人で喋っているかのようだ。


「あれ。シカト? まあいいや、たぶん当たっているし。さっきの周期表の暗号よりこっちの方がずっと単純でわかりやすい。あ、ちなみにあの暗号結構気に入っているんだ。篠儀とかいう使いやすい名前の奴が君と親友でよかったよ。やっぱり俺は運が良いなあ」


 樋口の勝ち誇ったような声が図書室に響き渡る。

 真倉は体から力が抜けていくような感じがした。紀見崎くんが、秋峰政紀の息子? あまりにも突飛で現実離れしている。


「俺もよく聴くよ、秋峰政紀。『光と雨』、『駆けあがれ、俺』どちらも名曲だ。時代を超えて愛されるっていうのはああいうのをいうんだな。けどその息子はどうだ? 親のスネをかじったぶっきらぼうなコミュ障探偵? くかか、笑わせてくれるなあ」

 紀見崎もそこまで言われれば黙ってはいない。


「おい、親父が秋峰政紀だとして、それがお前に何の関係がある? あんな暗号で呼び出しておいて、言いたいことはそれか?」

 しかし樋口は止まらない。

「強がるなよ。いいか。俺はな、お前みたいな特別な人間ってやつが大っ嫌いなんだ。見ているだけで反吐が出る」

 樋口は声をますます低くしてまくしたてる。


「人間はみんな……みんなだ! 出しゃばるな。自分の才能のなさに早く気づけ。俺に言わせれば、お前という人間は、こうやって推理を披露することで、周りに自分は才能のある特別な人間なんだと思わせたいだけなんだ。そうだろ」


「ちが、違う。別にそんなこと思ってなんかない」

「黙れ。父親の英才教育もむなしく、音楽の才能に目覚めなかったお前は、推理という新しいお遊びを見つけると、喜んで飛びついた。そしてそれを使って自分の才能をひけらかすことにした。音楽の才能がない代わりにな」


「ひけらかす? そんなこと俺がいつした」

「今日だ。真倉の奴に暗号のことを話しただろ。あれがなによりの証拠だ。俺はお前と二人で話したかったから、わざわざお前の下駄箱に暗号を置いておいたのに。いらないことをしたな。音楽家の音痴息子さんよ」

 樋口は吐き捨てるように言った。

「お前に何がわかる。俺の気持ちのなにが……」

 絞り出すような紀見崎の声が聞こえる。扉越しでもわかる。彼は今、悔し涙を流している。


「おっ、いいねえ。そういう台詞。自分は特別。俺の気持ちはお前らなんかにはわかりませーんってか? うざいうざいうざい。本当どこまでも最高に最低だな、お前は。……そうか、そういうことか。これまで特別扱いされて生きてきたせいで、今さら自分が平凡だと認めるのが嫌なんだ。はあ。いい加減気づけよ。大人になれ。お前は全国どこにでもいる、平凡な高校生の一人に過ぎないんだ。歌手の息子だろうが、名探偵だろうが、そんなこと関係ねえ。見なければいけないことから一時的に目を背けているだけだ」


 紀見崎は先ほどよりもさらにか細い声で言った。

「それじゃあ俺の親父はなんなんだ。成功している人間だってこの世にはたくさんいる。あいつらは特別な人間とは違うのか?」


「違うね」

 樋口はその声をばっさりと断ち切った。

「教えてやるよ。世の中、すべては運だ。成功するしないは運なんだ。何をやってもだめなやつ、お前の周りにもいるだろ? 勉強もだめ、スポーツもだめ。ほら、篠儀とかいったっけ? ああいう奴さ。なんであいつが何をやってもだめかわかるか? 運がないからだ。運がないやつは何をやってもうまくいかない。いつまで裸の王様でいるつもりだ。そろそろ現実を見るんだ、いいな」



 そう言うと樋口は図書室のカギを中から開けた。

 ずっと中に入りたかった。紀見崎の奴に一言、声をかけてやりたかった。だがカギが開いたとき、真倉の体は言うことを聞いてくれなかった。


 ある種、樋口の言うことも正しいと、真倉は思ってしまったからだ。

 才能のない人間というのは、ごまんといる。そしてそれを自覚できずにいる人もだ。この世界はそうした人間で溢れかえっている。

それに、扉を開けるのが怖かったのだ。扉が開けば打ちひしがれた紀見崎の姿が、否が応でも目に入る。それを見るのが怖かった。目の前の光景を認めるのが怖かった。現実を認めるのが怖かった。

その先に待ち受けるものが予想できず、どうしていいかわからなくなるのが嫌だった。



それでも扉は開かれる。

「おや、真倉先生。解けたんですね、あの暗号。おめでとうございます」

 樋口は口角をいやらしく捻じ曲げて言った。

「樋口くん、君には言いたいことがたくさんある。まずね——」

 しかし樋口はそれを手で制した。

「説教なら聞かないですよ。俺は俺のやり方で俺の言いたいことをいっただけ。ひとつの意見に過ぎない。それをどう受け取るかは紀見崎君次第でしょ」


 樋口はそう言うと、再び図書室の紀見崎の方を向いて言った。

「いいことを教えてやるよ。お前は父親とは違う。奴は運がよかったから成功したにすぎない。普通の人間には無理だ。それとお前のやっている推理は、音楽とは違う。どちらも人前に立つものだが、音楽と違って一度にたくさんの人を幸せになんかできやしない。悪いことは言わない、推理なんてやめちまえ。そんなことしたってなんにもならない。履歴書に書けるわけじゃないんだ。お前はまだ運がいい。このことに十五歳で気づけた。世の中にはな、こんなことにも気づけずに、いつまでも夢を追う馬鹿がいる。そいつらに比べれば、お前はずっとましだ」


 樋口はそう言うと図書室から出ていってしまった。

 紀見崎は図書室の入り口のところに直立したまま、うつむいてしまっている。表情はうかがえない。


「ちょ……ちょっと待ちなさいよ!」

 ようやく真倉の心に体が追いついた。真倉は紀見崎を一瞥すると、その後ろを追いかけた。


 しかし樋口は図書室を出たすぐのところに立っていた。というより真倉のことを待っていたようにも見える。

「これ。返しますね」

 そう言って手のひらに収まるほどの何かを真倉に投げ渡した。

「えっ? うおおっと」

 真倉がそれをなんとかキャッチしたときには、もう樋口の姿は消えていた。


「あの野郎め……」

 真倉は図書室の鍵をぐっと握りしめながら、どうりで鍵を取りに行った女子生徒が戻ってこないわけだ、と唇を噛んだ。

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